自分自身への審問
脳出血に続いて癌におかされている辺見庸『自分自身への審問』は、いわば遺書とも読める濃密な内容の書物になっている。読むことに一種の覚悟が必要な書物だ。拙ブログの1月5日と14日の二度にわたり触れた辺見氏の共同通信配信記事「人の座標はどのように変わったか」は、本書の第三章に収められている。いずれの文章も、後遺症の右麻痺、歩行障害、感覚障害のなかで、左手によるワープロ打ちで書かれた原稿である。
- 作者: 辺見庸
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第一章「死、記憶、恥辱の彼方へ」と第五章「自分自身への審問」は、辺見氏が自身に問いかける形式になっており、とりわけ「自分自身への審問」は、癌手術前から術後の間に、病室で書かれた究極の自問自答で、ここまで冷静に己を分析できる辺見氏の意思の強靭さに、頭が下がる。自然と正座して読んでしまった。辺見氏は、自己の問題は、この世界の問題とつながっている。癌手術後に書かれた文章に次のような記述がある。
<人間的な非人間性>とは何か。人の存在はいま、恐るべき多義性の罠に没している。眼には見えない殺戮システムの一端をみずから知らずに担いながら、同時に殺戮に反対したり、殺戮を憂えたり、殺戮を評論したり、無関心を決めこんだり・・・・・のいずれの態度決定もできるけれど、不可視の殺戮システムのなかで日々、生きていることには変わりがない。そのような文脈での<人間的な非人間性>なのだ。殺戮システムとうと穏やかでないようだが、万物の商品化を実現しえている世界市場は、実のところ、いま最も合法的な殺戮システムではないだろうか。(p.170)
また、
変哲もない平穏な家庭というものが実は血なまぐさい世界に一番近い、と私は思っている。平穏無事な家と血まみれの世界を分かつ境界なんかない。(p.173)
と自分の家庭問題も辺見氏にとっては同じ位相にある。
辺見氏の慧眼は、病床にあっても明晰なことは、以下の文章にみられるだろう。
前世紀の後半にフーコーら先鋭な思想家、哲学者たちは「人間」という概念は時代遅れだとか「内面の時代」は終わったとかいいだしましたが、ひょっとしたら現在を予感していたのかもしれません。たしかに人類史上これほど内面の貧弱な時代はかつてなかったし、資本万能の時代もありませんでした。ハイデガーが言った「神性の輝き」を放っているのはいまやキャピタル(資本)と市場だけではないですか。人間がその意思の力で資本の暴走を阻止しようとする運動も逆に資本に蚕食されて、いまや瀕死の状態です。これが破局の源であり、世界の失意のわけなのです。(p.82)
資本・市場万能主義に陥っているこの世界への警告であり戒めを、病床から書き続ける意思の強靭さには、名状しがたい感銘をうけないわけにはいかない。
本書が遺書となることなく、辺見氏は生き続け、書き続けて欲しい。
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