コメディ映画の偉大な監督ビリー・ワイルダーの基本は脚本にあった

脚本・監督=ビリー・ワイルダー

 

~「完璧な人間なんて、ひとりもいない」(『お熱いのがお好き』)~

 

~「何よりも重要なのはよい脚本です。映画監督は錬金術師ではない。にわとりの糞から金を作り出すことなんて不可能なのだ。」(ビリー・ワイルダー)~



多くの映画ファンは、ビリー・ワイルダーの映画を絶賛している。主としてコメディ的な演出、その上手さに、感銘を受ける。三谷幸喜など、ことあるごとにビリー・ワイルダーを持ち出す。なぜ、ビリー・ワイルダーは後世の映画関係者や映画ファンをひきつけるのか。

ビリー・ワイルダーは、ナチスから逃れオーストリアからアメリカに亡命した。

映画監督になる前は、映画の脚本を数多く執筆している。エルンスト・ルビッチに『青髭八人目の妻』(1938)『ニノチカ』(1939)の脚本を提供し、ハワード・ホークスには『教授と美女』(1941)の脚本を書いている。『教授と美女』は、辞書を作るために外界から遮断された世界で研究に専念する8人の教授たちの中で一番若いゲイリー・クーパーのもとへ、スラングに詳しいダンサー実はギャングの情婦であるバーバラ・スタンウイックがその書庫に侵入してくる。ドラマ展開として、これほど見事な設定はないだろう。このように脚本家として注目される存在となった。やがて自分が書いた脚本を、自ら監督することになる。後にゲイリー・クーパーは、『昼下りの情事』(1957)に、バーバラ・スタンウイックを『深夜の告白』(1944)で起用することに繋がった。

 

映画第一作『少佐と少女』(1941)は、30歳のジンジャー・ロジャースを12歳の少女に変身させる。意表をつく設定であり、それが成功しているのだ。ジンジャー・ロジャースといえば、フレッド・アステアとのコンビで流麗なダンスを披露した大女優だった。


『熱砂の秘密』(1943)は、第二次大戦中のエジプト砂漠で、ナチスと戦う人々をリアリスティックに描いた。映画製作は戦争中だが、戦後から見た世界のように見える。エーリッヒ・フォン・シュトロハイムロンメル将軍は、他の誰よりも存在感を放出していた。

 

 

『深夜の告白』(1944)は、フィルム・ノワールという言葉が使用されていない時代に、レイモンド・チャンドラーが脚本に加わり、スピーディに展開される。冒頭フレッド・マクマレイが録音機に向かって吹き込んでいる。録音の相手は、保険会社の上司エドワード・G・ロビンソンに向けてである。バーバラ・スタンウイックとの関係の清算を報告する。

 

 

『失われた週末』(1945)はアルコール中毒の作家志望者レイ・ミランドが酒を求めてさまよう週末を描いた作品。内容としてプロットのつじつまが合わない点があるも、失われた週末部分を、「THE Botle」というタイトルの小説に仕上げることで、それが結果として出来上がったのが、この映画になっている。何よりアル中患者を更生させる恋人ジェーン・ワイマンの存在が大きい。


異国の出来事』(1948)は、戦後の荒廃したベルリンに駐留する米軍を訪問する女性議員ジーン・アーサーが、当地で出会うマルレーネ・ディートリッヒと彼女の愛人となっているジョン・ランドの三角関係は見かけの表層で、ナチスの大物の情婦だったディートリヒから、大物ペーター・フォン・ツェルネックを逮捕することがアメリカ駐留軍の目的であった。

 

 

サンセット大通り』(1950)はワイルダーの代表作の一つで、かつての大女優グロリア・スワンソンと、二流脚本家ウィリアム・ホールデンに、執事エーリッヒ・フォン・シュトロハイムが絡む、壮大な演劇的悲喜劇ともいうべき作品。

 

『地獄の英雄』(1951)は、NYの新聞社を追われたカーク・ダグラスが地方新聞社に就職し、そこで、一人の男が洞窟に閉じ込められていることが分かり、これを事件としてスクープし、山頂から掘削する方法をとったのだった。

 

 

第十七捕虜収容所』(1953)は、戦争捕虜収容所ものだが、基本はコメディだ。ウィリアム・ホールデン日和見な捕虜役を演じ、捕虜の中にスパイがいることを知り、ドン・テイラーの中尉を救済するために、一芝居打つ仕掛け。

 

 

『情婦』(1957)は法廷ものとして、最高級の傑作であることは誰もが認める完璧さに収まっている。老弁護士」チャールズ・ロートンが心臓病を抱えたままで自宅兼事務所に帰宅する。付き添う看護婦は、事実上の妻エルザ・ランチェスターが演じていて、二人のやり取りは絶妙の掛け合いになっている。やがて、殺人事件の犯人として訴ええられたタイロン・パワーが弁護依頼人として登場する。タイロン・パワーの妻マルレーネ・ディートが、一芝居打つ。裁判映画の醍醐味が味わえる。あのヒッチコックを超えたと評価された一作。

 

 

コメディの傑作『麗しのサブリナ』(1954)『七年目の浮気』(1955)『昼下りの情事』(1957)、『お熱いのがお好き』(1959)『アパートの鍵貸します』(1960)については、あまりにも多くが語られている。付け加えるべき、新しき言説など持ち合わせていない。まぎれもなく傑作だのだから。

 

ワイルダーの二本の映画のなかで、オードリー・ヘプバーンは、この世の女性を演じるおとぎ話の王女を演じた。「かわいいオードリー以上に完璧なシンデラはあり得ないよ。彼女は崇敬に値した。どんなことでもらくらくと優雅にこなしていた。オードリー・ヘプバーンには演技を指導する必要はなく、いいヒントを与えるだけで良かった。(162頁『ビリー・ワイルダー生涯と作品』)

マリリン・モンローについては、以下の記述が」ある。

思うに、モンローの大きな秘密は、ただ単に存在していることができ、「みんなどうしてじろじろ見るの?」と不思議に思っていることにあった。この点で彼女はおそろしく純真だった。・・・(中略)・・・難しかったのは、とにかく彼女をセットに連れてくることだった。あとは彼女が台詞をしゃべれることを祈るだけである。(450,452頁『ビリー・ワイルダー自作自伝』)

彼女はせりふを憶えようとしなかった。まったくひどかった。そのあと三十テイクめにようやくせりふをいうんだが、それは誰にもまねのできないくらいすばらしかった。(165頁『ビリー・ワイルダー生涯と作品』)

 

 

ビリー・ワイルダーは、最初の監督作品『少佐と少女』(1942)以来、『ワン・ツー・スリー』(1961)までの16作品はいずれも、完成度が高い素晴らしいばかりだ。ただし、『皇帝円舞曲』(1948)だけは、ビング・クロスビーのミュージカル作品として失敗作なのでランキングから除外した。


以下に、<暫定ランキング>を記載するが、第17作以降では、『フロント・ページ』(1974)と『シャーロック・ホームズの冒険』(1970)、『悲愁』(1978)の3本のみを入れた。

最後の作品『バディ・バディ』(1981)が最後の作品となり、以後2002年、95歳で他界するまでの23年間、映画を撮ることはなかった。ビリー・ワイルダーへのインタビューなどは、監督引退後になされたものである。偉大なハリウッド監督・脚本家であったビリー・ワイルダーの早すぎる引退とその後の日々は、書物から伺うことができる。以下、三冊を参考文献として挙げておく。

 

シャーロット チャンドラー 著,古賀弥生訳『ビリー・ワイルダー (叢書・20世紀の芸術と文学) 』(アルファベータブックス,2012)

キャメロン クロウ著、 宮本高晴訳『ワイルダーならどうする?―ビリー・ワイルダーキャメロン・クロウの対話』(キネマ旬報社,2000)

 

 

ヘルムート カラゼク 著、瀬川裕司訳『ビリー・ワイルダー自作自伝』(文藝春秋,1996)

キャメロン クロウの『ワイルダーならどうする?』が一番面白く、かつワイルダー作品に迫っている。

 

 

以下は、とりあえずの私的ランキング。

 

暫定ランキング
1.『サンセット大通り』(1950)
2.『情婦』(1985)
3.『お熱いのがお好き』(1959)
4.『地獄の英雄』(1951)
5.『アパートの鍵貸します』(1960)
6.『麗しのサブリナ』(1954)
7.『深夜の告白』(1944)
8.『少佐と少女』(1942)
9.『ワン・ツー・スリー』(1961)
10.『昼下りの情事』(1957)
11.『失われた週末』(1945)
12.『第十七捕虜収容所』(1953)
13.『熱砂の秘密』(1943)
14.『異国の出来事』(1948)
15.『翼よ! あれが巴里の灯だ』(1957)
16.『七年目の浮気』(1955)
17.『シャーロック・ホームズの冒険』(1970)
18.『フロント・ページ』(1974)
19.『悲愁』(1978)

 

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番外.『皇帝円舞曲』(1948)

 

 

森田芳光の・ような映画監督は今後出てこないだろう

森田芳光全映画


宇多丸、三沢和子編『森田芳光全映画』(リトルモア,2021)を読了した。
ひとりの映画作家の全作品を解題する書物は、めずらしいことだ。自主映画から始め、どこの映画会社にも所属せず、助監督修行もなく、自ら自分が撮りたい映画で出発する。撮影所システムが終了し、一作ごとにスポンサーを見つけ、いつの間にか森田組が出来上がっている。映画界における異端児でありながら、最後の作家的映画監督といわれる森田芳光について、製作された映画に即して、パートナーかつプロデューサーであった三沢和子さんの<ことば>は、理解の手助けとなっている。

 

 

 

家族ゲーム』(1983)から『僕達急行 A列車で行こう』(2012)までほぼ同時代公開作品として森田作品を見てきた者にとって、全作品解題という快挙につきあわないわけには行かない。
森田芳光は、商業映画第一作『の・ようなもの』を撮り、『僕達急行 A列車で行こう』(2011)の製作後、急逝してしまった。本書は、自主製作『ライブイン茅ヶ崎』(1978)から『A列車で行こう』までのすべての映画について、監督の伴侶であった三沢和子と宇多丸が全作品を解説するという画期的な映画本になっている。

 

本書は、映画青年であり素人が8mmのキャメラを回して、友人・知人たちをに出演依頼し、映画として成立させる。映画撮影所システムの崩壊までは、特定の映画会社の社員となり、助監督修行により、キャメラ撮影、セット美術、照明、編集などを経験した後に、晴れて監督に昇進し、映画を撮るのが一般的スタイルだった。

 

ところが、森田芳光は撮影所システムを経験することなく、自主映画『ライブイン茅ヶ崎』を撮り、親から借金をしてデビュー作『の・ようなもの』(1981)を製作する。その後、日活で『(本)噂のストリッパー』(1982)『ピンクカット 太く愛して深く愛して』(1983)2本のプログラム・ピクチャー製作経験を経て、代表作となる『家族ゲーム』(1983)で全国区に進出した。撮影所システム崩壊後の、映画好きの青年が、映画監督進出したモデルケースを実践したのだった。

 

森田芳光 全監督作品コンプリート(の・ようなもの)Blu-ray BOX(完全限定版)』が12月20日に発売予定である。全作品とあるが、『そろばんずく』のみが版権者が拒否したようで、全作品マイナス1本という形にならざるを得ない。『そろばんずく』の製作はフジテレビ、ニッポン放送となっている。とんねるず主演の映画だが、とんねるずには当時のギャグを封じたとされている。なぜ、『森田芳光 全監督作品コンプリート』への収録に許諾しなかったのか。必ず後悔すること*1になるだろう。


全作品を見直す余裕はないので、とりあえず未見の『未来の想い出 Last Christmas』(1992)を見る。なんだかコマーシャルフィルムのようだ。森田的世界の逸品というところか。工藤静香清水美砂の二人の女性が、1981から1991の間を往復するタイムスリップもの。突然の死により10年間を生き返すことになった二人。三度目の正直を愚直に反復している。映像と音楽に酔えるかどうかが鍵となる。ディビッド伊藤と和泉元彌を起用。当時の二人はメジャーではなかった。その慧眼を評価すべきだろう。

 

未見の作品『悲しい色やねん』(1987)は、ジャンルもの<やくざ映画>へ挑戦した作品。道頓堀の美しい夜景シーンが、シークエンスの転換時に挿入される。中村トオル高嶋政宏が友人でありながら敵対せざるを得ない状況への描写。藤谷美和子のクレイジーな役柄や、ボスの小林薫江波杏子がいつもクッションの良いソファに横たわっている光景などいかにも森田芳光作品らしい。<ジャンル映画>からのはみ出しぶりも秀逸だった。

 

もう一本再見したのが『39 刑法第三十九条』(1999)。かつて見たときよりシリアスな映画だったことに驚いた。森田芳光は、同じような映画は二度と撮らないので、ミステリアスで問題を含む刑法39条に着目した点、論点の運び方、俳優を個性化することなど、実に優れた監督であることを再発見した。鈴木京香の精神鑑定士を見た目で造形している。刑事役の岸部一徳のいつもにやけた顔、検事の江守徹はぼそぼそ小声で話すなど。犯人役が堤真一だったことは意外な発見。当時はまだ無名だった。

 

更に一本『キッチン』(1989)も見直した。市電が通る札幌の街の夜景が美しく、とりわけ緑に光る電車周辺の光景を背後にして、川原亜矢子と松田ケイジのさらりとした関係描写、松田ケイジの父親でありながら母として存在する橋爪功。モダンなキッチンの設定にも、森田監督の意図がみえる。

 

一作ごとに作風が変わるので、森田芳光のスタイルだの作風として一言に凝縮することは困難である。ただ、常に斬新なアイデアとスタイルの先取りが結果的に成功へのキーワードであったことは確かだ。

 

 

とは言っても、『家族ゲーム』(1983)と『それから』(1985)が森田監督を周知させた代表作となるだろう。現時点の私的ベストテンを作成したみた。

 

 

1.『それから』(1985)
2.『家族ゲーム』(1983)
3.『(ハル)』(1996)
4.『39 刑法第三十九条』(1999)
5.『阿修羅のごとく』(2003)
6.『間宮兄弟』(2006)
7.『ときめきに死す』(1984
8.『の・ようなもの』(1981)
9.『黒い家』(1999)
10.『キッチン』(1989)
11.『わたし出すわ』(2009)
12.『武士の家計簿』(2010)
13.『僕達急行 A列車で行こう』(2012)
14.『サウスバウンド』(2007)
15.『椿三十郎』(2007)
16.『おいしい結婚』(1991)
17.『失楽園』(1997)
18.『メイン・テーマ』(1984
19.『未来の想い出 Last Christmas』(1992)

20.『悲しい色やねん』(1987)
21.『海猫』(2004)
22.『模倣犯』(2002)
23.『愛と平成の色男』(1989)

【補足1】

『そろばんずく』(1986)は、『森田芳光 全監督作品コンプリート』に版権所有者が許諾を与えなかったので、ランキングから除外した。とんねるずに敢えて当時の持ちネタ・ギャグを封じて今なお新鮮な見方ができるフィルムであるからこそ、番外としたい。

 

【補足2】

脚本森田芳光、監督根岸吉太郎『ウホッホ探検隊』(1986)を見ていると、十朱幸代と男の子二人の家庭に、単身赴任中の夫田中邦衛が訪ねてくる。父親が帰るというより他者の侵入というイメージだ。実際、田中邦衛は職場の女性藤真利子と不倫関係にあったことが後に分かることになる。この家族の雰囲気、単身赴任先の企業の仕事は不気味だ。この雰囲気、このニュアンスは紛れもなく森田芳光の世界であると感じさせる。

 

【補足3】

森田芳光は、優れた映画監督であった上に、新人発掘にも大いに貢献している。
監督としては、『バカヤロー』シリーズで、堤幸彦岩松了中島哲也篠原哲雄、明石知幸、太田光山川直人等々。俳優として、鈴木京香を最初に出演(『愛と平成の色男』)させている。また塚地武雄を『間宮兄弟』で初めて映画出演させたことも特筆に値する。NHK朝ドラでブレイクするはるか前、鈴木亮平を『椿三十郎』でデビューさせている、など枚挙にいとまがないほどだ。

『の・ようなもの』では、主演の伊藤克信、若手落語家の一人に<でんでん>、オバサンディレクターに鷲尾真知子落研高校生に江戸はるみが、それぞれ映画デビューになる。石田ゆり子は『悲しい色やねん』で、中村トオルの恋人役で映画デビュー、伊東美咲は『模倣犯』で山崎務の孫娘役で映画デビュー、唐沢寿明は『おいしい結婚』でヒロイン斉藤由貴の恋人役で映画デビュー、木村佳乃は『失楽園』で役所広司の娘役で映画デビューしている。

参考文献:『森田芳光組』(キネマ旬報社,2003)

 

 

*1:『そろばんずく』はコメディの傑作であり、その功績は、監督森田芳光によるものである。映画の基本を忘れた「とんねるず」には大馬鹿野郎と言っておきたい。『そろばんずく』は、今後一切DVD等で発売せず、廃盤にすべきだ。

映画監督・川島雄三は時間経過によって普遍性を帯びてきた

花に嵐のたとえもあるぞサヨナラだけが人生だ~川島雄三覚書

 

川島雄三は、日活に入社し、清水宏小津安二郎木下恵介などの実力監督のもとに助監督として働き、『還って来た男』(1944)で織田作之助原作を第一作として監督昇格する。松竹最後の作品が『昨日と明日の間』(1954)となった。

 

日活に移籍してからの作品はきわめて充実しており、『愛のお荷物』(1955)から名作『洲崎パラダイス赤信号』(1956)を経て、代表作となった『幕末太陽傳』(1957)を最後に、東宝に移籍する。

 

東宝では、東京映画という五社協定の外枠にある会社での製作、『女であること』(1958)を皮切りにその後の川島映画を特徴づける作品『暖簾』(1958/宝塚映画)、『グラマ島の誘惑』(1959年/東京映画)、『貸間あり』(1959年/東京映画)などを製作後、大映若尾文子主演映画三本『女は二度生まれる』(1961年/大映東京)『雁の寺』(1962年/大映京都)『しとやかな獣』(1962年/大映東京)の傑作を撮る。

 

また、別の意味での代表作『青べか物語』(1962年/東京映画)、『喜劇 とんかつ一代』(1963年/東京映画)を撮り、この段階で「キネマ旬報」誌編集者であった白井佳夫のインタビューを受け「自作を語る」を残した。最後の作品『イチかバチか』(1963年/東宝)は死後公開となった。享年四十五歳。若すぎる死であったが、生涯に51本の作品を残した。没後60年近くの時間が経過したが、作品は面白く、軽快でスピーディな展開で、上映館があれば多くの川島雄三ファンがかけつけるほどだ。

 

繰り返し川島雄三レトロスペクティヴが催され、その都度川島ファンを増加させる、小津安二郎に続く日本映画を代表する映画監督というのが現在の評価だろう。

 

川島映画を特徴づけるアイテムは、アヴァン・タイトルの描写、階段、煙草、便所、キャメラ・ポジション等々であろう。川島映画には傑作と凡作があると言われるが、少なくとも、日活時代と東宝時代の作品を見る限り、決定的な失敗作はないとみた。

 

まず、松竹時代の作品。第一作『還って来た男』は、復員した医者佐野周二が自分の夢をかなえることが最大の目的であるようだ。川島作品では心理描写がない。動きやことば、もちろん映像によって男女の内面を語らせる。この第一作では、二人の会話が続きながら、背景が不自然に変化している撮り方が披歴されている。プロローグとエンドマークの整合性は、むしろ物語の宙吊りを示している。これは、川島作品に一貫しているように思う。

 

松竹時代最後の作品『昨日と明日の間』は、24本目の映画で通算51本からみれば、ほぼ半分は松竹時代に製作されたことになる。プログラムピクチャーとして企画された作品をいかに川島流に処理してみせたかが松竹時代だった。その点では、『昨日と明日の間』は実に優れたフィルムである。冒頭、鶴田浩二は社長に辞職表を出し、「完成したことに関心がなく、新しく事業をはじめたい」と啖呵を切り、また恋人淡島千景にも別れを告げたところで、スクリーンサイズが小さくなり、クレジットタイトルが始まる。ラストも、飛行機会社の設立の成功に満足することなく、人妻の月丘夢路と恋人淡島千景とに別れを告げ、マニラへ船の旅に出る。あるシーンでは歩道が透明になっていて、下からキャメラで捉える手法は、後に鈴木清順が『刺青一代』で模倣したことになる。またスクリーンの裏側を見せる箇所も鈴木清順の『野獣の青春』におけるナイトクラブの光景を想起させる。川島雄三の着眼の早さに驚く。

 

日活時代は、助監督に有能な今村昌平浦山桐郎がつき、『愛のお荷物』(1955)『あした来る人』(1955)『銀座二十四帖』(1955)『風船』(1956)『洲崎パラダイス赤信号』(1956)『わが町』(1956)『飢える魂』(1956)『続・飢える魂』(1956)『幕末太陽傳』(1957)、全9作品が安定した出来上がりになっている。

 

 

『洲崎パラダイス赤信号』の男を引っ張る気風のいい女性・新玉三千代に心ひかれ、『愛のお荷物』の秘書北原三枝の端正な美しさに見とれ、『風船』では清楚な芦川いづみに同化し、『銀座二十四帖』では少女浅丘ルリ子のかわいい存在が際立っているし、『幕末太陽傳』では南田洋子左幸子の本気の喧嘩シーンの長回しに圧倒された。

 

東宝に移籍後の第一作『女であること』には、階段でできているような弁護士森雅之の家屋の造りに川島趣味がみられる。美人の妻・原節子はこの作品が唯一の川島作品出演作となった。久我美子の奔放な現代娘、貞淑でいて芯のとおった犯罪者の娘・香川京子の美しさ。三人の女性それぞれの個性に合った役柄の配置がこのドラマには必要であったことに納得させられる。

 

 

『暖簾』の森繁久彌は、『わが町』のベンゲットの他吉・辰巳柳太郎と対比されるだろう。『貸間あり』は、武家屋敷をアパートにしたような部屋の配置に、ひとくせ、ふたくせもある人々が住み着いている。小沢昭一によれば、インテリでお人好しの五郎・フランキー堺は、川島雄三の自伝的人物と解釈ができるようだ。

 

 

『グラマ島の誘惑』は、川島自身のことばで「天皇制批判」映画ということだが、戦争批判とも占領体制批判ともとれる多様性があり、最後にグラマ島で水爆実験が行われるシーンで終わることから、風刺作品というカワシマのことばを採りたい。

 

 

青べか物語』は、山本周五郎原作であり、川島版『どですかでん』に相当する。エピソードの羅列といえばそれまでだが、浦安を浦粕と置き換えている。浦粕橋に森繁がたどり着くシーンで始まり、同じ浦粕橋から去るシーンで終わる。撮影およびカラーの渋い色合いは、キャメラが冴えている証拠だ。

 

以上とは別に、特に大映作品、若尾文子主演三部作はいずれも傑作といえよう。

「若尾クンを女にしてお目にかけます」と宣言した『女は二度生まれる』は、文句なしの名作に昇華している。

富田常雄の原作「小えん日記」を、川島流に料理している。芸者若尾文子は、ご贔屓の旦那山村聰の愛人になる。浮気がばれて刃物を持って脅す山村聰を恐れる。しかし山村聰の死去により、元の芸者に戻る。藤巻潤の学生に思いを寄せるが、彼が卒業して芸者として小えんを呼び、外人相手の依頼をされて断る。もうひとりの若者・高見国一と親しくなり、上高地へ向かうが、終着駅で高見にお金を渡し山へ送り出す。ひとりぽつんと駅のベンチに座る姿をロングで捉えたキャメラが引いて「終り」の文字がでる。宙吊りの終り方は余韻を残す。

 

大映第二作は『雁の寺』。水上勉原作を川島雄三のアレンジが凄い。とにかく便所のシーンが強烈に匂うのだ。冒頭のアヴァン・タイトルで中村鴈治郎が描く「雁の親子」の襖絵がカラーで写される。本編はモノクローム。寺院住職の三島雅夫の愛人に収まる。小坊主高見国一は若狭からきた貧乏育ちで中学に通っている。若尾文子は自らも貧乏であったことから高見が気にかかる。やがて三島雅夫の失踪により、新住職は元中学教師だった木村功がくる。真面目な臨在宗僧侶木村の愛人として残ることができない。前住職の失踪に高見小坊主が関係していることが若尾に分かり、高見は旅にでる。居場所がない若尾文子は襖絵に「鴈の親子」の図を探すが肝心の箇所が破られていた。物語が宙吊りになる。すると突然現代になりカラーに変わり、小沢昭一が観光客を案内している。ここが「鴈の寺」有名ですとかなんとか・・・川島演出が冴える。フレームの位置付けが変容するに従い、キャメラポジションが変化する。

 

大映最後の作品が『しとやかな獣』。脚本は新藤兼人。出演者全員が悪人。自分たちは、幸福を求めているだけで犯罪者ではないと主張する。能舞台の謡と鼓の音楽にのせて、伊藤雄之助山岡久乃夫妻。浜田ゆう子と川畑愛光が兄弟役。弟が務める芸能事務所の所長・高松英郎団地の4階にやってくる。会計係・若尾文子が同行している。やがて会計の若尾文子が弟、所長をだます、のみならず税務署の船越英二に納税する税金を若尾が着服していることが判明する。すべては若尾文子が旅館を建て自立するための資金になっていたのだ。キャメラ団地の中を移動するのみでフレームを意識したあらゆる角度からこれらの状況を捉える。船越英二が雨の中、投身自殺することで、その後の行方をパトカーのサイレンに暗示させると、キャメラは団地全体を捉えて終わる。ここでもやはり物語は宙吊りにされている。途中、若尾文子が独白するシーンは特別な階段の上り下りであらわされる不思議な光景になっている。見るたびに驚く、シュールな映画だ。

 

川島雄三については、あまりにも多くの論説・解説があり、敢えて拙ブログでは最小限に留め、詳しく触れないことにした。

 

とりあえず、21本を見た上での私的ランキングを以下に作成してみた。

 

1.『女は二度生まれる』(1961/大映東京)
2.『幕末太陽傳』(1957/日活)
3.『しとやかな獣』(1962/大映東京)
4.『貸間あり』(1959/東京映画)
5.『雁の寺』(1962/大映京都)
6.『洲崎パラダイス赤信号』(1956/日活)
7.『青べか物語』(1962/東京映画)
8.『グラマ島の誘惑』(1959/東京映画)
9.『暖簾』(1958/宝塚映画)
10.『わが町』(1956/日活)
11.『風船』(1956/日活)
12.『あした来る人』(1955/日活)
13.『昨日と明日の間』(1954/松竹大船)
14.『女であること』(1958/東京映画)
15.『愛のお荷物』(1955/日活)
16.『喜劇 とんかつ一代』(1963/東京映画)
17.『還って来た男』(1944/松竹大船)
18.『銀座二十四帖』(1955/日活)
19.『飢える魂』(1955/日活)
20.『続・飢える魂』(1956/日活)

 

【補足】(2021年11月1日)

2022年1月19日にDVD発売される、東宝作品が7本予定されている。これで東宝時代の川島作品は網羅されることになる。

 

『人も歩けば』(1960年/東京映画)
『接吻泥棒』(1960年/東宝
『赤坂の姉妹 夜の肌』(1960年/東京映画)
『縞の背広の親分衆』(1961年/東京映画)
『特急にっぽん』(1961年/東宝
『花影』(1961年/東京映画)
箱根山』(1962年/東宝

 

残るのは、松竹時代の川島作品のDVD化だ。小津安二郎ばかり喧伝されているが、
川島雄三こそ引き続き時代および現代を読み解く、重要な作品群だ。

 

中平康は高く「評価」されるべき映画監督だ

中平康の映画作品

 

中平康は、松竹に入社し、大場秀雄、原研吉、渋谷実等の助監督を務める。
その後、1954年に日活再開とともに、日活に移籍。山村聰田坂具隆新藤兼人の助監督に付き、『狂った果実』で監督として華々しいデビューを飾る。太陽族映画、あるいは石原裕次郎という大スターを生み出した映画として記憶される。中平康の演出力は、評価されなかった。

中平康に関する研究書や資料集として、次の2冊がある。

 

〇中平まみ著『映画監督中平康伝』(ワイズ出版,1999)
ミルクマン斉藤監修『中平康レトロスペクティヴ』(プチグラパブリッシング,2003)

 

 

中平まみ氏は、中平康の娘であり、父親の汚名挽回のための書である。

序章  死
第一章 生
第二章 創
第三章 エッセイ
第四章 フィルモグラフィ

で構成されている。父・中平康52歳の死を娘の視点から語られる。

本書は、関係者による発言引用が多く、客観的な視座を保ちながら、そこに小説家となった娘まみ氏の言説が加わり、映画監督・中平康の私生活も明かされる。「第三章 エッセイ」は、中平康が『映画芸術』や『キネマ旬報』に寄稿したエッセイが採録されていて、中平監督の持論が展開されている。

 

 

 

中平康レトロスペクティヴ』は、作品回顧上映時のパンフレット的な内容で、全作品の解説が記されている。

この2冊は貴重な資料である。

 

中平康の作品を見直す、あるいは今回はじめて見たフィルムにも、スタイリッシュな画面構成とスピーディな展開ぶりは、何ら古びていない。むしろ、中平康が評価されていないことが不思議な現象だと思える。日活時代の作品の評価は低く、キネマ旬報ベストテンには一回も入選していないし、およそ各種の映画賞とは無縁であった。


同時代の今村昌平増村保造大島渚に比べても、あまりにも評価が低いと言わざるを得ない。今回、中平康作品を17本ほど見た印象を以下に記録しておきたい。

 

狂った果実』(1956)は、第一作として、日活のスター女優だった北原三枝に、兄弟役として、石原裕次郎津川雅彦が共演する衝撃の問題作。湘南の海、ヨットとボート。兄と弟の確執。美しい女性が現れる。弟は彼女は良家の子女だと思い込む。しかし、兄裕次郎は、彼女にはアメリカ人の亭主がいる既婚者であることを突きとめる。北原三枝は肉体的な兄に惹かれる。弟を出し抜き、二人でヨット遊びに出かける。女性と兄の不在にきずいた弟は、ボートで二人の跡を追跡する。そして悲劇に遭遇することになる。問題作、話題作となり興行的にヒットするが、批評家からの評価は得られなかった。そのことが、最後まで尾を引くことになる。

 

 

『牛乳屋フランキー』(1956)は、徹底したナンセンスコメディで、中平康は悲劇から喜劇まで、あらゆるジャンルを撮ることができる監督であることを早々に証明してみせた。フランキー堺市村俊幸のコンビもの。時代背景も良く分かる。ドタバタ風ギャグ連発のなかにも、粋なはからいは、ラストシーンに「映画は日活」の看板がついたトラックを画面を横切るように走らせる見事な演出ぶり。

 

『街燈』(1957)はソフィスティケイティッド・コメディである。月丘夢路と若い恋人岡田真澄。一方、南田洋子と葉山良二の関係は発展含み。銀座の商店街はセットを組み、屋外撮影部分とうまく融合させたと中平監督自身が言及している。実に、しゃれた映画だ。

 

『誘惑』(1957)は、銀座の画廊を舞台に、経営者千田是也、その娘左幸子、雇われている女性渡辺美佐子、前衛画家グループの安井昌二、葉山良二。千田是也の昔の恋人の娘に芦川いづみ(二役)が出演。岡本太郎東郷青児は、本人として登場している。群像ドラマとして人物の出し入れを巧みに演出した大成功の傑作フィルム。

 

『四季の愛欲』(1958)は、母親・山田五十鈴は48歳で浮気心満々、長女・桂木洋子は、詐欺師・小高雄二に熱を上げ、夫・宇野重吉と子供を放置したまま浮気に熱を上げる。長男・安井昌二のみが正常に見えるが、同棲中の楠侑子が家を出て自由奔放にふるまうのにも平然と構えているけれど、渡辺美佐子に心ひかれる。唯一まともなのは中原早苗のみだが、彼女は友人を兄に紹介したいようだ。母親をはじめその子共達の恋愛模様を乾いたタッチで描いた大傑作。最後は大女優・山田五十鈴が見るものを唖然とさせる。

 

紅の翼』(1958)は、石原裕次郎主演。破傷風のための血清をセスナ機で八丈島まで運ぶことになった石原裕次郎。新聞記者中原早苗が同乗する。フライトを依頼したのが訳あり風の二谷英明。セスナ機の説明がくわしく、それがラストへ向かう伏線になっており、航空映画としても出色。途中小島に不時着した三人が、夜開けを待つ。その夜明けシーンはホリゾントで描かれた空だが、徐々に明るくなる光景は美しい。娯楽作品にして、芸術的映画に仕上がっているのは、中平康の才能を示す。

 

『その壁を砕け』(1959)は、脚本を新藤兼人が書いている。ドキュメント風の映像は、テンポが素晴らしく、細部が際立つ。ローケションは当時の風景を映し出す。東京を出発した小高雄二は、恋人芦川いづみが待つ金沢へ、購入したばかりのワゴン車で疾走する。舗装されてない道路。前がよくみえない夜間走行。これらの条件を見事に映像化している。小高雄二は冤罪に巻き込まれる。長門裕之と弁護士・芦田伸介により、冤罪が晴らされ、ラストのクラクションは、暗い本作を吹き飛ばしている。モノクロ映像が時代の背景や懐かしい風景を捉えて、美しい。

 

『密会』(1959)は、大学教授の妻・桂木洋子が、夫の弟子である学生伊藤孝雄との密会状況が、長回しシーンとして冒頭延々と7分余り続く。密会中、草むらの近くでタクシー強盗があり、二人は目撃してしまう。その後、桂木洋子は夫・宮口精二の目を気にし、一方、伊藤孝雄は目撃した事実を警察に話そうとする。警察へ通報するため、電車に乗ろうと停車場で待っている伊藤孝雄の背中を急行列車が通過する瞬間に、桂木洋子が押してしまう。逃げる桂木洋子を俯瞰で追うキャメラは彼女が捕まるのを捉える。冒頭とラストシーンの長が回しが照応している、必要な箇所に焦点を当てる斬新な手法が成功している。

 

 


『学生野郎と娘たち』(1960)は、ある私立大学に在籍する学生群像をみごとに描いた傑作。中原早苗ひとりが元気で大学側との新学長中谷昇への対抗心と、学生たちを鼓舞する雄姿に圧倒される。学生には、長門裕之、伊藤孝雄、芦川いづみ等が出演。特に、芦川いづみが清純なイメージを払拭した作品。

 

 

『あした晴れるか』(1960)は、スクリューボール・コメディの傑作。日本でも、ビリー・ワイルダーのようなスピーディなギャグ満載の作品を撮ることができる監督がいることを証明した傑作だ。単なる裕次郎映画ではない。群像劇だが、その後の世界は暗示にとどまる。芦川いづみの眼鏡姿と、素顔のギャップが素晴らしい。

 

『あいつと私』(1961)、石原裕次郎の大学生青春映画。女優陣は豪華。芦川いづみ中原早苗、笹森礼子吉行和子渡辺美佐子、高田敏江。母親に轟夕起子、父親が宮内精二、実父に滝沢修石坂洋次郎の原作から、中平監督自在のスピーディで、ハイテンションな青春劇の快作。

 

危いことなら銭になる』(1962)は、ニセ札を巡り多くの俳優が演技する、それが結果として強烈な喜劇映画になっているというとんでもないフィルムだ。宍戸錠長門裕之、草薙幸次郎に、若い浅丘ルリ子が参加している。大傑作コメディ。

 

『光る海』(1963)は、は、吉永小百合浜田光夫のコンビもの。大学の卒業式、英文学科では男子学生が七人で他は全て女性という環境で卒業式を迎える。英文学科の秀才・十朱幸代とその妹和泉雅子和田浩治と妊娠している松尾嘉代、あるいは山内賢など群像劇。エキセントリックな台詞のテンポが速い吉永小百合は見もの。吉永の母・高峰三枝子は、交際している森雅之と結婚する。その結婚は、森の妻・田中絹代の死によってもたらされる。母の再婚を祝福しながら、表面的には過剰に祝うが、実は寂しいことが示される。やがて、吉永小百合は作家として自立し、浜田光夫と十朱幸代の婚約を祝福する。<光る海>が映されてフィルムは終わる。

 

『月曜日のユカ』(1964)は、<加賀まりこ>という主人公を得て初めて成り立つスタイリッシュなフィルムだ。時代を先取りしている快作。中尾彬が若い。愛人の加藤武もそれらしい姿をみせている。今でも、今だからこそ、見たい作品として人気が高い。

 

猟人日記』(1964)は戸川昌子原作で、主演も果たしている。仲谷昇は「猟人日記」を書いている。関西物産会長の娘・戸川昌子と結婚している仲谷昇は、東京出張の際、ガールハントによる成果を記録したのが「猟人日記」だった。ホテルに滞在し、「猟人日記」を記録する場所としてアパートを契約していた。やがて彼が関係した女性が、次々と殺人されてゆく。しかもその現場には、必ず仲谷が犯人であることを証明する証拠が残されていた。仲谷は自分の無実を証明できる方法がなく裁判にかけられ「死刑」を宣告される。第二審を依頼された弁護士・北村和夫と助手十朱幸代によって真実が解明される筋立てになっている。日活映画としては、異色のフィルムとなった。

 

『黒い賭博師』(1965)は、小林旭主演のシリーズものの一本。日活といえば石原裕次郎小林旭が二大スター俳優。鈴木清順はスターを主演に迎えることが出来なかった。中平康は、日活ではスター男優・女優を主演に撮ることができた職人監督だが、スピード感、ショットの斬新さなどでは天才と言われた。本作では、『007』シリーズのパロディ的要素を取り入れたシーンなど、娯楽映画を超越している快作。

 

『結婚相談』(1965)は、30歳を迎えた芦川いづみが、結婚相談所を訪ねると、沢村貞子が所長で、裏側ではコールガール斡旋所であったことが次第に判明し、芦川いづみは、それを逆手にとって奮闘する予想外の展開をみせる快作。この作品でも芦川いづみは、より新しい魅力をみせている。

 

以上の作品を見てくると、中平康こそ、映画史に残る作品を撮った、高く「評価」されるべき映画監督であることが了解されるだろう。

 

【追記(2021年9月20日)】

『泥だらけの純情』など4本を見たので、追記しておきたい。
とりわけ、『泥だらけの純情』は傑作ともいっていい程のスピードで心中に突入する身分違いの吉永小百合浜田光夫コンビの代表作となった。

 

『泥だらけの純情』(1963)
吉永小百合浜田光夫のゴールデン・コンビの傑作『泥だらけの純情』(1963)は、大使の娘吉永小百合とチンピラやくざの浜田光夫が恋に落ち、とりつかれたように最後の逃避行に至る、一直線の物語。いわばよくある純愛心中の話なのだが、映像へのこだわり、細部を丁寧に撮り積み重ねられたフィルムの淡い色彩。とくに、心中後の葬儀に雲泥の差があることが、ラストに置かれると見るものは悲痛な思いになる。豪華な小百合の葬式、幾重にも続く高級乗用車の列に対して、浜田の葬式はこじんまりした暗い小さな部屋、葬列も貧者は徒歩。この強烈な対比は、死後の二人に思いをはせる。やりきれなさ。この作品は、中平康ならではの純愛物語の形を示したものだ。
二人が逃避行で貸間にいてタンメンを食べた後、玄関に新聞販売勧誘の男が訪ねて来る。契約すると「景品」と「村田英雄ショー」の招待券をもらう。村田英雄を知らない吉永小百合の前で、浜田光夫が「王将」を歌うシーンは実にしみじみと感傷を誘う秀逸であった。

 

『喜劇 大風呂敷』(1967)
笑えない喜劇だった。喜劇俳優を揃えることで「喜劇」が撮れるはずはないことを、中平康監督が一番良く知っているはずだ。藤田まこと田中邦衛のほか、映画製作当時のコメディアンのギャグを懐かしく感じる人にはそれなりに懐かしいだろう。しかしながら映画として<笑えない喜劇>となってしまっていることは確かだ。よって、中平康作品の私的ランキングは最下位となる。

 

『黒い賭博師 悪魔の左手』(1967)
小林旭の<賭博師シリーズ>の最終作。荒唐無稽な設定。パンドラ王国の王・大泉滉は、賭博大学教授二谷英明の提案で、世界征服を目指し、まずは日本の氷室浩次・小林旭を倒すべく、三人の賭博名人を派遣する。三人の二人目がジュディ・オング、三人目が原泉と個性俳優が演じる。賭博方式にそれぞれ工夫があり、抱腹絶倒とも言えるコメディ・タッチが的を得ている。ここまで馬鹿馬鹿しく作り込めば快作といえよう。パンドラ王国の四番目の妻・広瀬みさが好演。

 

『アラブの嵐』(1961)
エジプトに海外ロケーションを敢行した石原裕次郎主演もの。ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』のパロディが見られる。祖父の死により、重役会議と親族会議で孫の石原裕次郎をパリに追いやることが決定される。祖父の遺言書に従い、裕次郎は香港、ベイルートを経由して、カイロにたどり着く。偶然飛行機で隣合わせたのが、父の消息を求めてエジプトに旅する女性・芦川いづみだった。裕次郎ベイルート空港での待合室で、臨席の男の背中にナイフが刺さるというヒッチコック風の災難が、次は、ケイリー・グラントのように飛行機に襲われるシーンもヒッチコックへの敬意と受け取りたい。エジプトロケがもたつくとの評価が一般だが、スフィンクス等観光名所が網羅されているので、見る者は楽しむことができる。

 

中平康作品には失敗作がほとんどない。プログラム・ピクチャーを担いながら、独自のスタイル、映像美学に徹した映画作家だ。ベストワン候補は数本あがるだろう。
まずは石原裕次郎が認知された代表作狂った果実
ハイスピードでテンションが高い喜劇危いことなら銭になる
時代を超えて完成度が高く愛好される『あいつと私』『光る海』

吉永小百合浜田光夫の代表作となった『泥だらけの純情』
スラップスティック・コメディ的傑作『あした晴れるか』
など数多い。

私は人間の関係性の根源に迫る『四季の愛欲』を押す。

とりあえずのわたくしのランキングを以下に記しておきたい。

 

中平康の私的ベストテン(増補改訂2版)
1.『四季の愛欲』(1958)
2.『狂った果実』(1956)
3.『その壁を砕け』(1959)
4.『密会』(1959)
5.『危いことなら銭になる』(1962)
6.『月曜日のユカ』(1964)
7.『誘惑』(1957)
8.『あいつと私』(1961)
9.『街燈』(1957)
10.『光る海』(1963)
11.『泥だらけの純情』(1963)
12.『あした晴れるか』(1960)

13.『紅の翼』(1958)
14.『学生野郎と娘たち』(1960)
15.『結婚相談』(1965)
16.『猟人日記』(1964)
17.『才女気質』(1959)

18.『アラブの嵐 』(1961)
19.『牛乳屋フランキー』(1956)
20.『黒い賭博師 悪魔の左手』(1966)
21.『黒い賭博師』(1965)
22.『喜劇 大風呂敷』(1967)

 

 

【補足】
「リスペクト中平康!」クール!スタイリッシュ!スピーディー!テクニック!孤高のモダニスト 日本映画史に残る天才映画監督中平康!天才監督の傑作群を順次DVD化するシリーズ「リスペクト中平康!」が始動した。
[株式会社ハピネット]が順次、 中平康作品をDVD化して発売している。
2021年9月に『猟人日記』(発売済)、10月6日には『砂の上の植物群』が発売される予定である。11月以後の情報は未定。

 

【補足2】(2021年9月26日)

中平康著作権問題

中平まみ氏によれば、中平康作品の著作権は、「父と全く血のつながらない人に継承された」と『映画監督中平康』の47頁に記されている。再婚した女性の姪に「作品使用料」が継承されているというのは、きわめて理不尽な話だ。「著作権」の趣旨から考慮しても、当然著作権は、中平康の娘である「中平まみ」氏に継承されるべきだ、と強く思う。

「映画女優の自伝」を読む2(キッチリ山の吉五郎)

私の渡世日記

 

高峰秀子の自伝、『私の渡世日記』(文春文庫,1998)を読む。

 

 

 

 

女優の自伝について、小津安二郎メモの関連として前回は、岡田茉莉子岸惠子の自伝に触れた。しかし、女優自らが執筆した自伝の嚆矢は、高峰秀子の自伝『私の渡世日記(上)(下)』であり、しかも優れた映画史にもなっている。

 

小津安二郎に言及した箇所が下巻にある。「キッチリ山の吉五郎」という見出しのもと、『宗方姉妹』撮影時の体験が次のように記されている。

 

 

微笑を浮かべた彼の目が、じっと私をみつめた。その目は、ただ不用意に女優の顔を見る目ではなく、私の皮膚を突き破って内臓まで見通すような、脳ミソの重さまで計るような、奥深い目だった。それでいて、鋭さや厳しさなどみじんも感じられない、慈愛に満ちた温かい表情がそこにあった。骨太でガッシリとした体格の小津安二郎の顔は大きく立派で、古武士のような風格があった。
(88頁『私の渡世日(下)』)

 

昭和三十年一月、私は小津安二郎から思いがけない手紙をもらった。/「『浮雲』を見た。デコにとっても成瀬にとっても、最高の仕事だと思います。早く四十歳になって、僕の仕事にも出てください」(96頁『私の渡世日(下)』)

 

 

以上のように、小津安二郎には親しみを込めて、しかも厳しい監督として「キッチリ山の吉五郎」と命名している。

 

更に、『宗方姉妹』撮影時に高峰秀子は、小津安二郎の頭髪に関する冗談を遠慮なく言う。

「宗方姉妹」を撮ったとき、小津安二郎は四十六歳だった仕事用の白ピケの帽子を脱いだ彼の頭は、四十六歳にしてすでに朧月夜だった。なけなしの頭髪の乱れを気にして後頭部を撫でている彼に私は言った。「先生はもう櫛なんか要らないね、ヘラで間に合う」/小津安二郎は「このヤロウめ」と私をこづきながらも、余程その冗談が気に入ったらしく、その後、なにかというとヘラの話を吹聴しては面白がって笑っていた。(93頁『私の渡世日(下)』)

 

厳しい監督に向かって、堂々と冗談を言える高峰秀子は、傑物だ。高峰秀子は秀逸な女優であり、本書の自伝・エッセイは、現場から見た映画史にもなっている。

それにしても、岡田茉莉子岸惠子の先輩女優である高峰秀子の『私の渡世日記』は優れた作品として、自立している。高峰秀子は、木下恵介と成瀬己喜男の二人の監督作品がほぼ同数であり、『二十四の瞳』(1954)と『浮雲』(1955)がそれぞれの監督との代表作になっている。

 

 

上巻の「馬」「青年・黒澤明」「恋ごころ」(283~328頁)は、高峰秀子の<初恋>について、率直に告白している貴重な内容であることを申し添えておきたい。

 

 


ここでは、高峰秀子自選ベスト13作を『高峰秀子』(キネマ旬報社,2010)から、以下に記載しておこう。

 

 
以上13本が、高峰秀子自選とされる。

山本嘉次郎が2本、木下恵介が1本、成瀬己喜男が3本、松山善三が2本、豊田四郎が2本。野村芳太郎稲垣浩増村保造がそれぞれ1本となっている。

 

 

 

 

 

 


次回こそは、小津安二郎について覚書をUPしたいと思っている。

小津安二郎に関する記事は数多く、もはや書くことなど残されていないのだが・・・

 

「映画女優の自伝」を読む

女優岡田茉莉子

 

 


小津安二郎のDVDを見直していると、小津映画サイレント期の名優岡田時彦の娘、岡田茉莉子の出演作二本、『秋日和』と『秋刀魚の味』にコメディエンス的女優として出演している。岡田茉莉子が直接小津安二郎に質問している。「四番バッターはどなたですか」と、答えは「杉村春子だ」すぐに回答があり、ではわたしはと聞くと小津さんは「君は一番バッターだよ」と返事があったそうだ。

 

 

小津安二郎映画における女優の位置づけはきわめて重い課題*1だ。東宝から松竹へ移籍した岡田茉莉子は、父岡田時彦の主演作品を監督した小津安二郎監督の『秋日和』に出演する。小津の遺作『秋刀魚の味』にも、佐田啓二の妻役として出演し、小津作品は二本に出演した。いずれの作品もコメディエンヌ的存在として父親の演じたキャラクターと共通する点があった。

ここまでは、小津安二郎との関係で岡田茉莉子に関心を持ち、100本記念として自らプロデュースし、監督に吉田喜重を希望し、吉田喜重が脚本も担当できるのであればという条件のもとで撮られた『秋津温泉』を見る必然に突き当たったからだ。

 

 

岡田茉莉子著『女優 岡田茉莉子』(文藝春秋,2009)を書棚から引き出して、あらためて読み直してみる。といっても購入時点では、すぐに読むことをおそらくは前提としていなかった。しかしながら、小津安二郎吉田喜重の、例の松竹監督会・宴会からの因縁を踏まえると、吉田喜重著『小津安二郎の反映画』(岩波書店,1998)が小津解読の大きな鍵となる。しかし今はそこまで踏み込むことは控える。

 

 

更に、四方田犬彦編著『吉田喜重の全体像』(作品社,2004)をも必然的に呼び起こすこととなる。この本の表紙には、『煉獄エロイカ』から岡田茉莉子の画像が掲げられているのは、吉田喜重にとっての岡田茉莉子の存在の大きさを示すものだろう。

 

 

小津安二郎の作品をサイレントから一本づつ見直していた作業が根底にある。従って、小津安二郎に関する覚書を作成するのが本来の目的であり、それは次回以降にまわさざるを得なくなった。それほど『秋津温泉』という作品の強度がわたくしを惹きつけたからにほかならない。

 

さて、今回の本題は、岡田茉莉子著『女優 岡田茉莉子』である。女優になるべく生まれたような女優だが、女優になるまでは、母子家庭であり、実に過酷は環境だった。父親は戦前の大スター岡田時彦。この事実を知るまでの過程に泣かされる。高校2年のとき疎開先の新潟の映画館で溝口健二サイレント映画『瀧の白糸』を見る。帰宅して母に話すと、

「あなたの見た映画は、お父さんの映画ースクリーンに写っていたのは、あなたのお父さん」

と初めて岡田茉莉子の父親の存在が知らされる。岡田時彦は既に結婚していたが、宝塚歌劇スター田鶴園子と不倫愛で出来た子どもが、高橋鞠子(本名)だった。鞠子一歳のとき父時彦が急死した。これらの事実を初めて鞠子は知らされる。その宿命がやがて、東京に戻り東宝の女優となるのだった。

 

 

本書の細部は、出演した映画や舞台劇の梗概を記述しており、いってみれば著者・岡田茉莉子の映画愛に満ちた日本の映画史的な資料的価値が十分ある。

 

東宝の大部屋から女優岡田茉莉子としてスタートする。岡田茉莉子映画出演第一作は成瀬己喜男監督『舞姫』(1951)だった。
以後、東宝に所属していたけれど、1957年にフリーとなるが、その年の9月に松竹と専属契約をかわす。そして、父岡田時彦が親しくしていた小津安二郎監督の『秋日和』(1960)に出演を果たす。
いよいよ、1962年「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として自らプロデュースした主演映画『秋津温泉』の監督に吉田喜重を希望することになる。

 

 

以後、監督吉田喜重、女優岡田茉莉子としての作品、『水で書かれた物語』(1965)、『女のみづうみ』(1966)『情炎』(1967)『炎と女』(1967)、『樹氷のよろめき』(1968)、『さらば夏の光』(1968)、『エロス+虐殺』(1970)『煉獄エロイカ』(1970)、『告白的女優論』(1971)、『鏡の女たち』(2003)と『秋津温泉』を併せて、計11本の映画にかかわることになる。二人は1964年に結婚し、現在に至っている。

岡田茉莉子は、『舞姫』から『鏡の女たち』に至るまでの映画の内容を紹介しながら、女優ならではの映画史にもなっている自伝を書いたと言えるだろう。一方で、多くの舞台に出演し多忙な中、吉田監督はフランスでオペラ『マダム・バタフライ』の演出に5年ほど係わり、また映画を離れていた間は、TVで「美の美」という芸術に係わるドキュメンタリーを撮影している。

『女優岡田茉莉子』は、自身の自伝であるのみならず、夫吉田喜重とのあゆみをも綴り、日本映画界の監督や俳優にも多く言及していて*2、実に興味深い映画愛自伝になっている。

更に重要なこと、すなわち撮影所システムの崩壊に立ち会うことにもなる。もちろん、その予兆を感じつつ直前に岡田茉莉子は、夫吉田喜重が独立プロを立ち上げて松竹から独立した。映画製作にとって撮影所システムが如何に重要であったかの証明もされている。<撮影所システム>とは、原則会社側が、監督・俳優・撮影・美術・照明・道具その他すべてを抱えて、映画を製作するシステムのことであった。


岸惠子自伝


あの「君の名は」で一世を風靡した岸惠子の疾風怒濤・波乱万丈の半生を自らの手により上梓した『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店,2021)は、圧倒的な筆致で読む者を引き込む、稀有な自伝になっている。

 

 

映画女優としても、帰国しては、主に市川崑監督作品に出演している。『おとうと』が渡仏後に撮った作品だったとは、時間軸を、著者自身の「自伝」と巻末「岸惠子略履歴書年譜」を参照しながら読む。映画女優のほか、国際ジャーナリストとして活躍し、エッセイを書き、「小説」を書き、作家になり、日経新聞に「私の履歴書」を掲載したことが契機となり、総合的な自叙伝として刊行されたのが本書である。女性としての生き方を示す指針ともなり得る、優れた作品になっている。語り口の良さ、素直で読みやすい文章から、岸惠子の全体像が浮かび上がってくる。優れた自伝とは、生き方が見事に反映されている。それは『女優岡田茉莉子』も同様である。

 

 

岸惠子も、小津作品に一本だけ出演している。『早春』(1956)では、淡島千景を妻に持つ池部良と不倫関係になるOLを演じている。自分の考えをしっかり持ち、男に対して堂々と自己主張できる女性を演じている。『東京暮色』(1957)では、笠智衆の娘で原節子の妹有馬稲子の役は、岸惠子を想定して脚本が書かれていたそうだ。

 

 

 

 

 

 



*1:小津安二郎作品の女優といえば、原節子三宅邦子杉村春子田中絹代有馬稲子淡島千景司葉子岡田茉莉子岩下志麻、高橋とよ、飯田蝶子、吉川満子、桑野通子、桜むつ子、一本でも印象深い若尾文子山本富士子岸惠子等々数多い

*2:例えば、三国連太郎は台詞覚えが良くない、など

鈴木清順映画はバイアスを排除した評価をすべきときだ

鈴木清順映画

 

清純神話といういつの間にか神ががりの映画監督と称される鈴木清順について、ベストテンを記録しておきたい。もちろん、目標はあの淀川長治さんの「映画ベスト1000」にほかならない。

 

鈴木清順に関する言説はいまや至るところに横溢している。いわく清純美学、いわく清純スタイル、いわく清順マジック等々、枚挙にいとまがない。

 

 

通常は、『ツィゴイネルワイゼン』に始まる、日活解雇後、独立ブロからシネマプラセットなる映画ドームを設置してそこで上映する度肝を抜くあの快挙だ。わたくし自身が経験した清純映画とは、公開に間に合った映画として『ツィゴイネルワイゼン』は記憶され、通常はこの作品をベストワンに押している。

 

 

 

 


1968年日活から鈴木清順が解雇される。1967年に公開された『殺しの烙印』が解らない映画だというのが直接の原因だった。1966年の『東京流れ者』の段階で、日活上部からの解雇もやむなしという構えで、美術の木村威夫とともに、セットや色彩、ショットの確信性や、プログラム・ピクチャーの限界に挑戦していた。実際、木村威夫の美術は極限をきわめ、抽象的なオブジェがあるだけのナイトクラブを設計している。主題歌が常に流れる、歌謡映画アクションの最高峰であろう。

 

 

鈴木清順映画は、『野獣の青春』以後『殺しの烙印』までの作品が通常評価されている。とりわけその契機となったが『関東無宿』に表れてるワン・ショットであろう。小林旭が敵の相手を切り倒した、その瞬間に壁が真っ赤に反転するショットに代表されるだろう。

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関東無宿の背景が一瞬にして真っ赤になった瞬間

刺青一代』において高橋英樹が、敵方に一人で乗り込む時の演出の見事さは、多くの批評家が指摘しているように、プログラム・ピクチャーとして出色であった。襖を次々に開けてゆく展開、ガラスの上での高橋英樹河津清三郎の対決など、言及すべき多くのすぐれた演出がある。

 日活時代の作品には、大勢のその他群衆やエキストラが多数出演したいた。それが、わずか10人程度で群衆を表現せざるを得なかったのが、『ツィゴイネルワイゼン』冒頭の女性の死を取り囲む群衆の少ない数であった。撮影所システムから離れることのリスクは大きい。

 

 


ツィゴイネルワイゼン』は怪談話の変奏である。ショットの斬新さ・前衛性によって、画面の表示が作品の意味を排除している、という不思議な快作であった。40年を過ぎた2020年代に見る新鮮さはもはやない。本来は、清純のベストとなるべきであろうが、『けんかえれじい』の完璧さに及ばない。

 

 


大正浪漫三部作も全てを同じ評価基準では語れない。『夢二』の遊びは再見の欲望を刺激しないし、『ピストルオペラ』はファッションと色彩と仕掛けを見る作品で、映画的評価は困難である。とは言っても『夢二』の女優さんたち、毬谷友子、宮崎萬美、広田玲央名の美しさ、更には『ピストルオペラ』の江角マキコ山口小夜子のスタイリッシュな美しさは、この監督ならではの女優の美を映像に刻印したことは十分賞賛したい。

 

 


上島春彦鈴木清順論: 影なき声、声なき影』(作品社,2020)が昨年出版され、副題に『影なき声』が置かれている。具流八郎集団による脚本『夢殿』を補助線に論じているようだが、定価1万円は一人の映画監督論としてはどうだろうか。辞書的役割をも果たしているようだが、出版社HPで読むことができる「まえがき」と第一章の冒頭を読み敬遠することにした。

 

 

 

日活初期作品である『影なき声』(1958)は、新聞社の電話交換手であった南田洋子が質屋強盗の声を聴いたが、その時は犯人特定に至らなかった。3年後南田は、小心者・高原駿雄と結婚し平凡な主婦になっていた。宍戸錠が支配する広告会社に就職できた高原は、麻雀接待を連日続けることになり、妻南田は、電話で宍戸の声が犯人の声であることを確信したため、悲劇に巻き込まれる。これは電話が交換手を通すシステムの時代の話だが、新聞記者二谷が南田の様子が気になり、事件解明に取り組む。随所に清順らしきショットが遍在する。割れた鏡、取り調べ室を横移動のキャメラで捉えるショット。アクションサスペンス映画だが、よくできたリアリズム映画になっている。

 

 

 

 

 

鈴木清順アクション映画ベストテン


1)けんかえれじい(1966)

2)関東無宿(1963)

3)東京流れ者(1966)

4)刺青一代(1965)

5)ツィゴイネルワイゼン(1980)

6)殺しの烙印(1967)

7)河内カルメン(1966)

8)陽炎座(1981)

9)悪太郎(1963)

10)野獣の青春(1963)

 

以上がベストテンになる。以下、今回再見した映画、初見の映画も含めて
見た映画に限定してランキングに位置づけ*1てみた。


11) 俺たちの血が許さない(1964)

12) 春婦傳(1965)

13)  峠を渡る若い風(1961)

14) すべてが狂ってる(1960) 

15)探偵事務所23 くたばれ悪党ども(1963)

16) ピストルオペラ(2001)

17) 夢二(1991)

18) 花と怒濤(1964)

19) 踏みはずした春(1958)

20) 散弾銃の男(1961)

21) 素ッ裸の年令(1959)

22)悲愁物語(1977)

23)肉体の門(1967)

24) 密航0ライン(1960)

25) 影なき声(1958)

26) オペレッタ狸御殿(2005)

27) カポネ大いに泣く(1985)

28) その護送車を狙え(1960)

29) 暗黒街の美女(1958)

30) 東京騎士隊(1961)

 

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鈴木清順映画の素朴な疑問】(補足1

ショットが繋がらない映画は、果たして映画といえるのだろうか。映画は、大衆娯楽であるとすれば、鈴木清順はこの矛盾を抱えたまま、敢えてショットが繋がらない映画を撮り続けたことになる。仮に他の映画監督が、ショットが繋がらない映画を撮った場合は、問題視されるはずだ。映画の物語性を考えると、映画から物語の意味を排除した鈴木清順の評価は、日活解雇という事件が大きく作用したと言えないだろうか。日活時代こそ評価したい映画ファンはどう思うのだろうか。

 

【プログラム・ピクチャー時代の監督たちの再評価】(補足2)
日活時代の鈴木清順を評価することは、当時の五社(松竹、大映東宝東映、日活)時代の監督諸氏の評価こそ見直す時期に来ている。現在の日本映画の衰退は、一本の映画を作るために多くのスタッフの結集が必要であり、何よりも資本の調達が大前提となる。この際、いわゆる巨匠監督、小津安二郎溝口健二黒澤明諸氏等は除外している。

 

松竹でいえば清水宏渋谷実木下恵介豊田四郎ほか、大映は、三隅研次森一生増村保造ほか、東宝は、成瀬己喜男・市川崑ほか、日活は川島雄三舛田利雄中平康蔵原惟繕井上梅次ほか、東映では、マキノ雅弘沢島忠山下耕作中島貞夫など、錚々たるメンバーがいる。彼らは五社に拘束されるなかでも、自己作品に特徴を持たせている。それぞれ作家論が可能な才能を発揮している。彼ら、プログラム・ピクチャー時代の作家の評価も必要だろう。成瀬己喜男、木下恵介市川崑川島雄三マキノ雅弘増村保造は、既に個人作家としての研究書が出版されている。渋谷実研究書は最近刊行された。

 

 

スタジオ・システム時代は、セット・美術・照明・道具技術などに高度な水準を持つスタッフを各社が雇用しており、常に一定水準の映画を毎週量産していたことは、あらためて強調しておく必要があるだろう。鈴木清順が日活時代にコンスタントに仕事ができた背景には、映画黄金時代にプログラム・ピクチャーの助監督・監督としての土台を築いていたことが大きい。

 

ここで取り上げた作家諸氏の名前は記憶されるべき作品を残している。鈴木清順のみが絶賛されることは、映画および映画史を語る場合、映画批評に偏向をもたらしはしないか。

優れた映画を撮った作家は評価されるべきだろう。

*1:日活時代の作品を新たに見た場合はその都度、ランキングの中に組み入れていることを報告しておきたい。