そして漱石はつづく

漱石関連文献

 

林原耕三『漱石山房の人々』(講談社文芸文庫,2022.02)の復刊

 

森まゆみ永井荷風『鴎外先生』(中公文庫,2019)の「解説 鴎外と荷風」のなかで記している。

残念なことだが、亡くなってのちも読みつがれる作家はきわめて少ない。有名な賞の作家でも次の受賞者が出てくると古い方から消えていく。そういうことを繰り返し見ているうちに、あることに気づいた。それは亡くなった時に後輩が騒がなければいけないということだ。大正11年七月九日森鴎外が亡くなった時に、永井荷風は見事にその役を務めた。(308頁『鴎外先生』)

全集刊行後は、事あるごとにに「全集を読め」と旗を振る必要がある。(310頁『鴎外先生』)

 

鴎外の場合は、門弟や弟子はいなかった。だから永井荷風がその役目を担ったわけだ。

鴎外の場合と正反対なのが夏目漱石である。漱石には多くの門弟がいた。木曜会に参加する知識人たちである。漱石死後、次々と、<漱石論>や<漱石伝記>を出版し、漱石に関するあらゆる情報が提供されて行く。

漱石の弟子のなかで、漱石に関する最後の書物『漱石山房の人々』(1971)を出した林原耕三は、漱石の妻へヴェロナールを一週間分提供したことを後悔の思いをもって告白している。林原耕三は、それが『行人』の文章に表れていることの告白は、作品分析にどうように関係するのか、これまでの論考ではあまり問題にされていない。

もう一点は、<則天去私>神話を、林原耕三が先生・漱石からの発言があったことの強調にある。

 

「文献主義批判」を、特に江藤淳漱石論や『漱石とその時代』に対する批判として「文献」よりも関係者の記憶を優先するかのごときものであり、極論排除の意味からいずれも排したい。

 

現在のところ、漱石論は出尽くした感があり、赤木桁平『夏目漱石』を嚆矢として、夏目鏡子述、松岡譲筆録『漱石の思い出』(1928)が出版され、それに異論を唱え、膨大な資料を用いた弟子による決定版ともいうべき小宮豊隆著『夏目漱石』(1938)でほぼ伝記的な漱石像が決定されている。

今回復刊された、林原耕三『漱石山房の人々』(講談社文芸文庫,2022)は、講談社の元版を仮名遣いを現代仮名遣いにあらためたのみで、解説は山崎光夫が担当している。山崎光夫は、『胃弱・癇癪・夏目漱石ー持病で読み解く文士の生涯』(講談社メチエ,2019)の著書*1がある。


わたくし自身の漱石問題は、なぜ「三角関係」を繰り返し、小説に書いたのか。ホモソーシャルな男二人の間にひとりの女性を巡り、三角関係となり昇華できない陥穽に陥るのはなぜなのか。『三四郎』は例外であり、『坊っちゃん』が赤シャツと山嵐の闘争の終末期に四国のM市に赴任し、山嵐に加担してのち、東京へ帰る話であったように、『三四郎』は、野々宮と美祢子の恋愛が終わる頃、熊本から上京し美禰子に翻弄される話である。その点では、『三四郎』と『坊っちゃん』は逆ベクトルの同じ物語と言っていいだろう。『それから』から『こころ』までは、「三角関係」が繰り返される。最後の『明暗』は、お延と清子に津田が係わる「三角関係」になっているが未完である。

 

もう一点は、<則天去私>神話の解体であり、漱石没後、死去直前の木曜会で漱石が発言したと思われる「則天去私」について、松岡譲・森田草平小宮豊隆等が、漱石の到達した悟りの境地とする説が、門下生によって共有され、今もその神話が生きている。

 

 

しかしながら、<則天去私>神話は、1950年代、江藤淳によって解体された。
柄谷行人は「意識と自然」のなかで、漱石が『明暗』を書き出す前、大正五年元旦に「点頭録」を書いたところに注目し、

驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を蔽ひ尽して儼存してゐるといふ確実な事実である。一挙手一投足の末に至る迄まで此「我」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越してゐるといふ動かしがたい真境である。だから其処に眼を付けて自分の後を振り返ると、過去は夢所ではない。炳乎として明らかに刻下の我を照しつゝある探照燈のやうなものである。従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間並に年齢を取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。/生活に対する此この二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に就いて、自分は今何も説明する積はない。又解剖する手腕も有たない。たゞ年頭に際して、自分は此この一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任せる覚悟をした迄である。(628頁「点頭録」『漱石全集16』)

 

私はこれ(「点頭録」の引用文)を悟りを開いた人間のいうことばとして読む気になれない。あまりに痛々しい「覚悟」が感じられるからである。(81頁『増補漱石論集成』)

 

柄谷行人は記している。わたくしは、この柄谷行人の理解に賛同する。

漱石門下乃至周辺の人物の漱石語りの本は、今回の林原耕三『漱石山房の人々』出版で終わりでよい。周辺の人物が語ることは、語る人の主観が入るので、やはり漱石が残したテクストを信頼したい。


残された問題は、漱石はなぜ「三角関係」を書き続けたのか、である。


林原耕三『漱石山房の人々』のなかで、「鏡子夫人」の次の文章を引用しておきたい。

奥さんに就いては世間にいろいろの誤解がある。姉御風であり、陽気なことが好きではあったが、成金趣味の見栄坊ではなかった。自分を可愛がってくれる夫なら泥棒でもいいと言われた説がある。私は奥さんの切ない表現として同情はするが、所詮は先生の世界の人ではなかったのである。(113頁『漱石山房の人々』)

 

漱石の妻が、「先生の世界の人ではなかった」からこそ、漱石は作家として優れた作品を残し得たともいえよう。

なお林原耕三は、最初の『漱石全集』編纂時に漱石の多くの作品を校正した経験から「漱石文法」を作成した。このあたりの経緯は、「初刊漱石全集の校正について」に詳細に記されている。「漱石文法」は、森田草平・林原耕三・内田百閒の三人が作成したと全集の月報に記載されているが、

この「漱石文法」は実は私一人で作ったものであります。(362頁『漱石山房の人々』)

とあり、安倍能成が林原耕三の大学卒業を優先させることを理由に、全集編集部から締め出されたようだ。この間の事情について、おそらく怒りに近い思いを持って「初刊漱石全集の校正について」を書いたようだ。

 

 

 

夏目漱石周辺人物事典』によれば、林原耕三の項目に以下の記述がある。

漱石山房に出入りする所謂門下生の中でも、安倍能成は極端に耕三を嫌い、「まず大学を卒業するのが先だ」と言って、『漱石全集』の編集委員から締め出し、排斥した。漱石が金に困った耕三に内職として校正をしばしば頼み、安倍が校正をしたいと漱石に希望を出しても、耕三が手放さなかったことが影響しているかもしれない。(440頁)


林原耕三は、安倍能成が耕三の大学卒業を優先させることが先だと編集委員から締め出された。にもかかわらず、「漱石文法」を編集委員へ提出した功績は、評価されなければならないだろう。

 

石原千秋小森陽一『なぜ漱石は終わらないのか』(河出書房新社,2022.03)

 

 

最近出版された石原千秋小森陽一『なぜ漱石は終わらないのか』(河出書房新社,2022.03)は、『漱石研究』編集者二人が、『文学論』を読み解くところから始め、『吾輩は猫である』から『明暗』まで14作品を取り上げて、漱石文学の解読する研究者の対談形式になっている。

 

 

内容は、『漱石激読』(2017)の増補版であり、「補章 なぜ漱石は終わらないのか」が文庫版出版にあたり、対談を増補したものである。

 

なぜ漱石は終わらないかと言えば、「漱石の小説は構成が緩い」からだと石原氏は言う。「緩いというのは、パーツがいくらでも独立しうる」とつけ加えている。特に、後期三部作は短編や中編小説を重ねて長編として成立している。また、終わりかたが開かれているということになる。終わり方がオープンになっているのだ。

 

新しい漱石論の出現を待っているが、<こころ論争>以後、漱石に関する書物は毎年、数多く出版されるが、新説が出てこない状況が続いていることは否めない。

「補章」で石原千秋が言及している。

リアルな戦争が起これば実体経済が決定的に破壊されるから、それはお互いにもうできない。(403頁)

 

関連して小森陽一は、漱石が生きた時代とは、「戦争によって国家独占資本主義が形成されていく時代」だと指摘してる。

 

2022年2月24日に始まった、プーチン・ロシアによるウクライナへの侵略戦争は、その方法において、20世紀前半の戦争であり、漱石の時代に引き戻されたといえよう。

漱石の「点頭録」から引用しよう。「軍国主義」と題して四回にわたり記述している。


自分は常にあの弾丸とあの硝薬とあの毒瓦斯とそれからあの肉団と鮮血とが、我々人類の未来の運命に、何の位の貢献をしてゐるのだらうかと考へる。さうして或る時は気の毒になる。或る時は悲しくなる。又或る時は馬鹿々々しくなる。最後に折々は滑稽さへ感ずる場合もあるといふ残酷な事実を自白せざるを得ない。
(631頁「点頭録」『漱石全集16』)

戦争は戦争の為の戦争ではなくつて、他に何等かの目的がなくてはならない、畢竟ずるに一の手段に過ぎないといふ事に帰着してしまふ。(638頁「点頭録」『漱石全集16』)

何れの方面から見ても手段は目的以下のものである。目的よりも低級なものである。人間の目的が平和にあらうとも、芸術にあらうとも、信仰にあらうとも、知識にあらうとも、それを今批判する余裕はないが、とにかく戦争が手段である以上、人間の目的でない以上、それに成効の実力を付与する軍国主義なるものも亦また決して活力評価表の上に於て、決して上位を占しむべきものでない事は明かである。(638頁「点頭録」『漱石全集16』)

 

軍国主義への批判である。ほぼ100年前の欧州戦争に対する漱石の所感であるが、21世紀の現在、きわめて悪質なプーチン・ロシアのウクライナへの侵略戦争は、そこにどのような目的があろうとも、また軍事行動という手段は、いかなる理由があろうとも、許されない。<プーチン体制の終わりの始まり>の時がきたと思う。

漱石関係文献の新刊紹介から、プーチン・ロシアのウクライナ侵略戦争にまで、コラージュのような記述になってしまった。


あくまで、私的な問題では、「則天去私」神話の解体と、「三角関係」にこだわる漱石について言及することが、本論の目的であった。いずれ漱石はなぜ「三角関係」にこだわったのかをまとめたい。

 

なお、漱石関連文献の収集については、拙ブログ2013-12-29「漱石関係文献の収集3年」と題して記述していることを申し添えておきたい。

 

 

 

*1:2018-10-27の拙ブログで言及済