カラマーゾフの兄弟


数多い文庫本のなかで、「光文社古典新訳文庫」の企画は快挙と言っていいだろう。亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』がよく売れているらしい。ドストエフスキーが多くの読者を獲得していることは嬉しいことだ。遅ればせながら、亀山新訳を読み始め、第2巻第5編『大審問官』まで読み進めた。沈黙するキリストと大審問官の緊張あふれる物語をイワンがアリョーシャに語る。


カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟2 (光文社古典新訳文庫)


埴谷雄高が『死霊』の「自序」で、『大審問官』から受けた影響を次のように記した。

私は『大審問官』の作者から、文学が一つの形而上学たり得ることを学んだ。そして、その瞬間から彼に睨まれたといい得る。私は彼の酷しい眼を感ずる。絶えざる彼の監視を私は感ずる。ただその作品を読んだというだけで私は彼への無限の責任を感ぜざるを得ないのである。それは如何に耐えがたい責任であることだろう。とうてい不可能な一歩をしかも踏み出さねばならぬということを。私はついにせめて一つの観念小説なりともでっち上げねばならぬと思い至った。(『死霊』定本1976年版、p.3)


もちろん、獄中でのカントの影響もあるけれど、形而上学を『死霊』なる小説として書く大きな要因が、ドストエフスキーの『大審問官』であったわけだ。さてその埴谷雄高『死霊』構想ノートが残された原稿の中から発見され、『群像』最新11月号に掲載されている。


死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)


亀山郁夫は、翻訳に続き『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』(光文社新書、2007.9)を出している。まずは、『カラマーゾフの兄弟』5冊を継続して読むこと。


『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)

『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)


日本には真の知識人がいなくなった。最後の知の巨人・加藤周一は80歳後半になっている。日本の知的状況はきわめて貧弱だ。メディアに出るコメンテータは、かつての知識人のレベルにはない。現実を狭隘な視野で切り取っているだけ。かつてたしかに真の知識人が時代をリードしたことがあった。いまや政治と経済、それも物神化された貨幣=金銭にかかわる次元で語られることが多い。出版物の貧困さが、それを証明している。8万冊余りの書物が毎年出版されているが、50年、100年後に読み継がれる本は何冊あるのだろうか。そう思うと寒くなる。もはや古典にしか手応えが感じられないのが率直な心境だ。


カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)