右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。

坪内祐三『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。』(幻戯書房 (2017.12)は、著者にとって三冊目の評論集と言う。『ストリートワイズ』(晶文社,1997)、『後ろ向きで前へ進む』(晶文社,2002)に続く三冊目ということだが、小生にとって『慶應三年生まれ七人の旋毛曲がり』(マガジンハウス,2001)や『「別れる理由」が気になって』(講談社,2005)も評論に入ると思う。また、坪内祐三単独編集の『明治の文学』全25巻も、一種の評論と理解できる。


後ろ向きで前へ進む

後ろ向きで前へ進む


本書の内容に言及してみたい。第一章「戦後論壇の巨人たち」には、福田恆存から丸山眞男まで24名の知識人が取り上げられている。
著者がいうように、

この国には知識人がもう殆んど残っていない。/しかも、まったく補填されていない。/その情況を考えると恐ろしくなってしまう。かつての左翼と右翼という対立に変わって今、サヨとウヨという言葉がある。サヨであれウヨであれ、そんなことはもはやどうでもよい。事態はもっと深刻なことになっているのだ。(p13)

全く、同感である。いま知識人がいないことを深刻な事態だと捉えなければなるまい。

以下は、雑誌と編集者がいた時代を検証している。

第二章「文藝春秋をつくった人々」菊池寛佐佐木茂索池島信平に触れている。

第三章「滝田樗陰のいた時代」木佐木勝、滝田樗陰

第四章「ラディカル・マイノリティの系譜」エリア・カザンスーザン・ソンタグ鶴見俊輔との対話

第五章「「戦後」の終わり」

  • 文春的なものと朝日的なもの
  • 「戦後八十年」はないだろう
  • 歴史の物差しのひとつとして


巻末の「関連年表」が面白い。1986年〜2017年に亘り、主に雑誌の創刊や廃刊、本書で取り上げている人物の没年など該当する年度に記載されている。

坪内氏は、戦後80年はないだろうと記している。

あとがきに、

本や雑誌に載せる文章には文脈が必要です。いや、文脈こそが命であると言っても過言ではないでしょう。そういう媒体(雑誌)が次々と消えて行く。これは言葉の危機です。(p389)


ツイッターの言葉には文脈がないという。知識人の消滅、雑誌の廃刊。まさしく、<言葉の危機>的情況である。

インターネットは、著名人以外の一般人が自由に発信できる時代となった。誰もが自由に情報を発信できる時代とは、情報の価値を見分ける仕組みが必要であるが、もはや情報の真偽を見分けることは至難の技となった。

坪内氏が、本書で取り上げている知識人や編集者には信頼できる<文脈>があった。ところが、現状は物故者となった知識人を補填する人物が現われていない。それが良いのか、悪いのか、すくなくとも今私たちは、そのような情況の中に生きている。


知識人というメルクマールがない時代になっている。論壇の巨人は昭和から平成に変わる移行期に物故している。論壇自体の崩壊、文壇などはるか昔になくなっている。戦後70年とは、戦後の終わりだったのだろうか。


ちなみに、21世紀に入り他界された知識人は、本書の巻末年表から引用し若干補足すると、以下のとおり。

2003年
エドワード・サイード没(9月25日)、エリア・カザン没(9月28日)
2004年
林健太郎没(8月10日)、スーザン・ソンタグ没(10月28日)
2006年
小島信夫没(10月28日)
2007年
小田実没(7月30日)
2008年
アレクサンドル・ソルジェニーチェン没(8月3日)
加藤周一没(12月5日)
2010年
井上ひさし没(4月9日)、梅棹忠夫没(7月3日)
2011年
谷沢永一没(3月8日)
2012年
吉本隆明没(3月16日)、吉田秀和没(5月22日)、丸谷才一没(10月13日)
2013年
山口昌男没(3月10日)
2014年
大西巨人没(3月12日)
2015年
鶴見俊輔没(7月20日)、阿川弘之没(8月3日)、原節子没(9月5日)、野坂昭如没(12月9日)
2019年
西部邁没(1月21日)


以上、知識人たちの没年を示すと、もはや戦後知識人や巨人と呼ばれた人達は、昭和の終わりから平成始め、1990年代までに多くの巨人が他界されている。21世紀初頭に、小島信夫加藤周一井上ひさし吉田秀和吉本隆明山口昌男鶴見俊輔が他界された。残る知の巨人巨人は?


私たちは、参照すべき巨人がいない時代に生きている。参照すべきは古典しかない、ということだろうか。


坪内祐三代表作

古くさいぞ私は

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「別れる理由」が気になって

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