坪内祐三にサヨウナラ、はまだ早い

みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。

 

坪内祐三追悼特集雑誌が二冊刊行された。『本の雑誌2020年4月「さようなら、坪内祐三」』(本の雑誌社,2020)と『ユリイカ総特集坪内祐三』(青土社,2020)だ。

 

本の雑誌442号2020年4月号

本の雑誌442号2020年4月号

  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 坪内祐三の新著作(と言っても編集は出版社)が、この6月下旬に二冊刊行された。
本の雑誌坪内祐三』(本の雑誌社、2020.)と『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』(幻戯書房、2020)である。

 

本の雑誌の坪内祐三

本の雑誌の坪内祐三

  • 作者:坪内祐三
  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

まず『本の雑誌』2020年4月「さようなら、坪内祐三」に多くの関係者が、追悼文を寄稿している。その中で気になったのが四方田犬彦「緑雨になれたはずなのに」の最後の文章から引用する。

 

わたしは彼が同業者を何人か集めて、タクシー会社の宣伝のような雑誌を拵えたとき、これはダメだと思った。群れなどなしていては、いい批評など書けるわけがないからだ。ちょっと可哀想なことを書くようだが、新宿の狭い「文壇」とやらに入り浸って、英語の本を読む習慣を忘れてしまったのは、彼の凋落の始まりだったような気がしている。(68頁『本の雑誌2020年4月』)

 その前には以下の期待が記されている。

わたしは、・・・(中略)・・・今の世の斎藤緑雨になれるかもしれない。そう期待してみた。(68頁『本の雑誌2020年4月』)

 

多くの友人、知人が追悼の意を表している文章のなかで異色の文だ。斎藤緑雨になって欲しいと思うかどうかは、見解が分かれるところだが、雑文量産よりもしっかりと評論を書き残して欲しかったと、小生も思う。生前最後の著作が『テレビもあるでよ』( 河出書房新社,2018)では少しさみしい。

 

ユリイカ総特集坪内祐三』(青土社,2020)はかなり厚く、より多くの知人・友人たちが寄稿している。

本の雑誌』で、平山周吉(小津映画で笠智衆が演じた役名と同じ)が、「坪内祐三の10冊」を取り上げている。

 

『ストリートワイズ』(晶文社,1997)
『慶応三年生れ七人の旋毛曲り』(マガジンハウス,2001)
『古くさいぞ私は』 (晶文社,2000)
『文庫本宝船』 (晶文社,2016)
『昼夜日記』 (本の雑誌社,2018)
『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』(新潮社,2005)
『東京』 (太田出版,2008)
『昭和の子供だ君たちも』 (新潮社,2014)
『後ろ向きで前へ進む』 (晶文社,2002)
『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』(幻戯書房,2018)


私は重複を避けて五冊にしたい。発売順に、


『「別れる理由」が気になって』(講談社,2005)
『極私的東京名所案内』 (彷徨舎,2005)
『考える人』(新潮社,2006)
『探訪記者 松崎天民』(筑摩書房,2011)
『父系図 近代日本の異色の父子像』(扶桑社,2012)

 

考える人 (新潮文庫)

考える人 (新潮文庫)

 

 

父系図~近代日本の異色の父子像~

父系図~近代日本の異色の父子像~

  • 作者:坪内 祐三
  • 発売日: 2012/03/09
  • メディア: 単行本
 

 

探訪記者松崎天民

探訪記者松崎天民

  • 作者:坪内 祐三
  • 発売日: 2011/12/01
  • メディア: 単行本
 

 


編集者としての坪内氏は、
『明治の文学』(筑摩書房)全25巻を評価したい。

 

斎藤緑雨 (明治の文学)

斎藤緑雨 (明治の文学)

  • 作者:斎藤 緑雨
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

坪内氏の作品は、東京に関するものが多い。『東京』 (太田出版)などは、東京の地名に絡めた、著者自身の一種自叙伝になっている。

 

東京

東京

  • 作者:坪内 祐三
  • 発売日: 2008/07/19
  • メディア: 単行本
 

 『風景十二』( 扶桑社)は場所(図書館など)に絡め、著者の記憶が係わる。その点では、『極私的東京名所案内』の<極私的>タイトルが、内容的には<歴史的文学史・東京>に関する記述であり、貴重な書物だ。

 

極私的東京名所案内

極私的東京名所案内

 


『「別れる理由」が気になって』は、私的にはベスト著作であり、理由は拙ブログで既に言及している。
『考える人』は、著者好みの作家批評家が取り上げらていて、好著だと感じる。
『探訪記者 松崎天民』はあまり知られていない明治のジャーナリストの生涯を辿る稀書だといえよう。
『父系図 近代日本の異色の父子像』は、淡島椿岳・寒月親子に始まり、内田魯庵内田巌、・・・・九鬼隆一・周造など12組の親子像を示す貴重な仕事だった。


さて新刊の、本の雑誌社刊行『本の雑誌坪内祐三』は、巻末の「坪内祐三年譜」(川口則弘作成)が、氏の様々なエピソードを引用しながら、月別あるいは日別に構成されていて、優れて面白い読み物になっている。

 

『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』は、跋文を書いている平山周吉(またまた小津)が、紹介しているように幻戯書房の名嘉真春紀氏の企画により実現した没後の出版物である。内容は、「文壇おくりびと」「追悼の文学史」「福田章二と庄司薫」「雑誌好き」・・・「平成の終わり」によって構成されている。いかにも坪内祐三の文章が並べられている。
一種、追悼のために編纂された書物のようだ。

 

 

 

 

文庫本宝船

文庫本宝船

  • 作者:坪内 祐三
  • 発売日: 2016/08/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 『文庫本宝船』の「あとがき」で次のように出版状況について触れている。7年前の『文庫本玉手箱』でも同じように記していたが、「出版不況」は変わらない。

 

この七年間で出版をめぐる情況は、まったく好転していません。・・・(中略)・・・かつて私の本は増刷が当たり前、三刷、四刷になることもありました。しかし、ここ十年ぐらい私の本は常に初版どまりです。・・・この連載を千回続けたい。(714~715頁『文庫本宝船』)

 

週刊文春』の「文庫本を狙え!」の連載が1000回を超えている。最後の回まで収録した『文庫本〇〇』を連載元の文藝春秋か、あるいは本の雑誌社で発行されるこを期待したい。『文庫本〇〇』の発行や、単行本未収録の原稿を書籍化して欲しい。坪内氏にサヨウナラするのは、それからでも遅くはない。

 

【追記】(2020年6月28日)

『みんなみんな逝ってしまった、けれど文学は死なない。』の中で、「福田章二と庄司薫」に新鮮な味わいを持った。

 

喪失 (中公文庫)

喪失 (中公文庫)

  • 作者:福田 章二
  • 発売日: 1973/07/10
  • メディア: 文庫
 

 福田章二は大学生の時に「喪失」で中央公論新人賞を受章した。江藤淳は「新人福田章二を認めない」で全否定した。福田章二は、『駒場文学』に「喪失」の初出原稿を掲載している。その初稿を書き改めて『中央公論』に応募したわけだ。初稿はのちに芥川賞を受賞する『赤頭巾ちゃん気をつけて』を彷彿させる口語的文体であった。福田章二は文学を<らせん状>に考え、改稿した「喪失」を提出したのだった。

歴史的に回顧すれば、庄司薫は青春文学の古典を書いたと評価されよう。「喪失」とその初稿、そして10年後の「赤頭巾」に至る背景を、坪内氏は明快に解説している。

 

赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫)

 

 


もうひとつ「厄年にサイボーグになってしまった私」では、坪内氏は自分の死生観に「殆ど関心がない」と記し、

二十一世紀に入ろうとする時頃、二〇〇〇年暮、私は新宿で事故に遭い、死にかけた。・・・(中略)・・・三度の手術(その内一度は顔の手術)を経て復活した私はまるでサイボーグのようになってしまった。・・・(中略)・・・私は既にあの時、死んでしまったのかもしれない。(365~367頁)

 

と書いていた。この箇所は坪内氏が、自分の<死>を予感していたような記述だ。