坪内祐三の死が気になって

追悼・坪内祐三

 

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 1月15日付け『朝日新聞(大阪版)』による坪内祐三氏の訃報に驚いた。享年61歳は若い。60代70代の著作も十分可能だったと思うと残念に思う。坪内氏の著作は、『ストリートワイズ』( 晶文社、1997)以後、『古くさいぞ私は』( 晶文社、2000)などから、『「別れる理由」が気になって』( 講談社、2005)を頂点として、随分お世話になった。

 

ストリートワイズ (講談社文庫)

ストリートワイズ (講談社文庫)

 

 

 

古くさいぞ私は

古くさいぞ私は

 

 

 

最も大きいのは、小島信夫作品との出会いへの補強だった。加えるとすれば

筑摩書房の『明治の文学』責任編集者としての坪内祐三である。

 

拙ブログで、坪内祐三氏について何度か言及している。

2018年1月27日、『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない』( 幻戯書房、2017)を取り上げたのが最後だった。

それ以前はというと、2006年10月25日、『本日記』(本の雑誌社,2006)、このとき三冊まとめて出版された『酒日誌』(マガジンハウス,2006)『『近代日本文学』の誕生』(PHP新書,2006)についてである。

2006年8月30日には、『考える人』( 新潮社、2006)を取りあげた。

同じく、2006年6月13日は、『同時代も歴史である 一九七九年問題』( 文春新書、2006)に言及している。

さかのぼり、2005年4月3日に、『「別れる理由」が気になって』を取り上げたことになる。拙ブログ上の評価の分岐点は、この『「別れる理由」が気になって』にあるだろう。過去のブログ記事を読み返して、前妻神蔵美子(『たまもの』と末井昭との三角関係ののち離婚あたりから、坪内氏の生活的な危機を乗り超えて、小島信夫にたどり着くあたりになろうか。

いずれにしても、『ストリートワイズ』から『古本的』( 毎日新聞社、2005)あたりまでが、一番興味深く坪内氏を読んでいたことになる。

もちろん、代表作は『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス、2001)になるのかも知れないが、小生にとって小島信夫への接近に意味を見出したことは大きかった。

最近の著作について、追いかけて読むことはなかった。文学理論的だの、文芸批評的だの、理論家だのというより、文学にまつわる雑学的な博覧強記ぶりが、著者の真骨頂だったと思う。その意味では、明治以降の日本近代文学史に関する、坪内氏独自の切り口による大著を60代以降に書き上げて欲しかった。

突然の死。あまりに突然故に、若い写真像の坪内氏の印象が残る。ご冥福を祈りたい。

 

 

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後ろ向きで前へ進む

後ろ向きで前へ進む

 
日本近代文学評論選“明治・大正篇” (岩波文庫)

日本近代文学評論選“明治・大正篇” (岩波文庫)

 

 

 

一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」

一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」

 

 

 

 

広津柳浪 (明治の文学)

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