松山子規事典


昨年2017年は子規・漱石生誕150年だった。

坪内稔典正岡子規』(岩波新書)、柴田宵曲『評伝 正岡子規』(岩波文庫)、復本一郎『正岡子規 人生の言葉』(岩波新書,2017)、森まゆみ『子規の音』(新潮社,2017)など子規関係書を読む。昨年が子規・漱石生誕150年だったが、漱石は、岩波書店から何度も全集が刊行されているが、子規は講談社版全集が1975〜76年に刊行され、以後増補改訂されていない。『子規全集』が久しく刊行されていないということが、漱石との読者数の差異が反映されている。


正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)

正岡子規 言葉と生きる (岩波新書)

正岡子規 人生のことば (岩波新書)

正岡子規 人生のことば (岩波新書)


2017年刊行で追加しておきたいのは、松山子規会編『松山子規事典』(松山子規会,2017)の刊行である。



子規の故郷松山において、柳原極堂が発足させた子規顕彰のための松山子規会は、「本会ハ俳聖正岡子規ヲ敬仰、其ノ偉業ヲ不朽ナラシメ、且郷土ニ於ケル子規系巨星ノ事績ヲ研究スルヲ以テ目的トス」との趣旨のもと1943年以降、継続して研究・顕彰が行われてきた。生誕150年に併せて、11年をかけて編集・執筆された、地方ならではの貴重な事典である。管見によれば『子規事典』は刊行されていない。その点では、『松山子規事典』は、正岡子規関係の事典の嚆矢となった。


柳原極堂は1897(明治30)年、雑誌『ほとゝぎす』を松山で創刊する。翌1898(明治31)年、東京版『ほとゝぎす』が虚子編集により発行を引き継ぎ、現在まで虚子の子孫が発行していることは周知のとおりである。『ホトトギス』の家元化現象に、子規は「虚子よ、おまえも・・・月並み・・・」とでも言いそうだ。

柳原極堂の功績は『ほとゝぎす』の創刊と、松山子規会の発足であろう。その子規会がこの度の『松山子規事典』に繋がる。


『松山子規事典』は以下のとおり構成されている。

  • 本編;五十音順排列
  • 正岡子規評伝
  • 「子規と松山」作品抄
  • 松山の方言
  • 全国の主な子規文学碑
  • 子規略年譜
  • 正岡子規年表
  • 人物索引
  • 総索引


なかでも、「全国の主な子規文学碑」は、北は岩手県から南は福岡県まで、また中国の大連市まで及んでいる。松山市が一番多く、次いで東京だが、東京は20箇所記載されている。


子規に関する文献は多い。評伝類が多く、俳句関係、短歌関係、写生文など、いわゆるジャンル論だ。しかしながら、子規の場合、総体として捉えないと、全体像が掴めない。望ましくは、講談社版全集刊行後発見された資料類を含めた新全集の刊行と、本格的な『子規事典』の刊行である。『松山子規事典』は、最初の一歩を踏み出した貴重な成果であり、本格的な子規事典の編集・刊行を要請するものでもある。

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

この一句は誰もが知る有名な句で、子規の俳句2万余の代表的俳句だろう。

一般的にいえば、名前から俳句が自然に出てくるのは、芭蕉の発句「古池」の句を除いて、芭蕉の一句は、「奥の細道」から

「夏草や 兵つはものどもが 夢のあと」
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の聲」

など浮かぶだろう。山頭火の一句は、次のいずれか一句浮かぶであろう。

「うしろすがたのしぐれてゆくか」
「分け入つても分け入つても青い山」

例えば虚子の一句は?浮かばない。河東碧梧桐は? 出てこない。

俳句といえば、今TV「プレバト」という番組で、夏井某先生による順位付けと添削が人気を博しているようだが、夏井某なる先生の代表作は?となる。いやそもそも俳句の順位付けは有効なのだろうか。夏井某氏の個人的な評価によるものが、あたかも俳句の真髄であるかのような状態というのも、如何なものだろうか。


閑話休題


子規に話を戻そう。子規は、俳句・短歌の革新と写生文を提唱した。

俳諧大要 (岩波文庫)

俳諧大要 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

墨汁一滴 (岩波文庫)

墨汁一滴 (岩波文庫)


子規は『俳諧大要』の冒頭で、

「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即すなわち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以もって論評し得べし。」「俳句と他の文学との区別はその音調の異なる処にあり。」「俳句の種類は文学の種類とほぼ相同じ。」p6-9(『俳諧大要』岩波文庫,1983)

と述べている。俳諧を「俳句」として独立させ、「俳句は文学である」と明言した。


かなり前になるが、桶谷秀昭著『正岡子規』(小沢書店,1982)と岡井隆著『正岡子規』(筑摩書房,1982)を読んだはずだが、記憶が飛んでいる。岡井隆氏の場合、短歌論から読む手法だった。桶谷秀昭氏は、伝記的記述から距離を置く、いわば文芸批評的な記述だった。この時期、講談社版『子規全集』刊行による影響が大きいだろう。粟津則雄『正岡子規』(朝日選書,1982)も同時期の出版である。最近の刊行として、ドナルド・キーン著『正岡子規』(新潮社,2012)も貴重な評伝であることを付記しておきたい。



子規の音

子規の音


昨年、生誕150年には、森まゆみ『子規の音』*1と復本一郎『正岡子規 人生の言葉』くらいであり寂しい。その点でも『松山子規事典』の刊行は、大きな成果であり、本格的な『子規事典』が編集出版されることを期待したい。



和田茂樹氏は講談社版『子規全集』の代表編集者であり、ご子息の和田克司編『子規の一生(子規選集14)』(増進会出版社,2003)は、子規三十五年の生涯を、一日一日(慶應3年〜明治35年)毎に新資料を加えた充実の子規年譜となっている。この「正岡子規年譜」は、荒正人編著『漱石研究年表』に比肩し得る年表といっても過言ではない。


漱石・子規往復書簡集 (岩波文庫)

漱石・子規往復書簡集 (岩波文庫)

小生は、子規とは漱石を通じて対象化される存在であり、和田茂樹編『漱石・子規往復書簡集』(岩波文庫,2002)が基本となる。

*1:森まゆみ氏は参考文献に『子規選集』を記載していない。講談社版『子規全集』の記載はあるが、『子規の一生』を含む『子規選集』の記載がない。「正岡子規年譜」は子規の評伝を書く場合、必須文献となっているはずだが・・・