メディアとしての紙の文化史


ローター・ミュラー著、三谷武司訳『メディアとしての紙の文化史』(東洋書林、2013.5)は実に刺激と示唆に富んだ書物である。現在、プロローグとエピローグ及び、原克氏の「解説」を一読しただけだが、これはただならぬ書物である。

メディアとしての紙の文化史

メディアとしての紙の文化史


何よりの驚きは、ヴァレリーの提起(1932)した「信用構造」の問題と、デリダのが1997年に言及した紙の縮小の問題を前提に、印刷物という狭い範囲ではなく、メディアとしての紙の歴史を次の3つの視点から記述していることだ。

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)


第一は、物質としての紙。文明の産物としての紙。「グーテンベルクの時代」に拘束されない問いだ。

第二は、ヴァレリーが示した蓄積と伝導の媒体(メディア)としての紙の問題。紙がどような文科技術、下部構造、生活様式において、文字、図像、数字を蓄積し、流通させるメディアとして機能したかという問題。

第三は、紙の時代を内部から捉える視点。紙の時代そのものの自己意識、自己解釈を問い、そのなかで紙がどのように捉えられてきたのか。

人間の精神を白紙になぞらえたジョン・ロックから、一枚の紙が裏表両面をもつことをひきあいに出して、言語記号が二重の性質をもつことを示したソシュールにいたるまで、紙を用いた隠喩は、学問と観念の歴史から切り離すことができないほど浸透している。(p11-12)

一般言語学講義

一般言語学講義


そして現在進行中の電子ペーパーと、アナログ紙との競合状態について。

これだけで、わくわくするではないか。


プロローグから以下引用する。

紙の歴史こそは、デジタル技術を応用した蓄積・流通メディアの先史なのである。現在、電子メディアの発達とデジタル化の急速な進展によって変化しつつあるのは、「グーテンベルクの時代」ではなく、紙の時代そのものである。紙は、新しい形式や文化に適応する優れたメディアであり、だからこそ近代文明における重要な地位を―銀行で、郵便局で、新聞社で―確保することができた。・・・(略)・・・現在、紙を基本とする生活習慣や文化技術―文書による遠隔通信―自体が、デジタル技術を用いた生活習慣や文化技術にとってかわられ、補完され、形を変える時代となった。そうした電子ペーパーの品質は、アナログ紙にますます近づいている。製糸業全体に占める新聞や書籍用の紙の割合は、二十世紀末から縮小し続けている。・・・(略)・・・だからこそ、本書では、電子ペーパーについて拙速な判断を下してしまう前に、アナログ紙の時代について論じておきたいのである。(p13-14)


グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成

グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成


この宣言は、きわめて新鮮に思える。確かに、紙は消滅するという前に、紙の歴史を再確認する必要は実感できる。


以下、本書で言及される図書の一例

ドン・キホーテ

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

「ガルガンチュアとパンタグリュエル」

ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉 (ちくま文庫)

ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉 (ちくま文庫)

その内容の詳細と感想は、読了後に・・・とりあえず読もう。