芸術新潮「漱石の眼」


芸術新潮 2013年 06月号 [雑誌]

芸術新潮 2013年 06月号 [雑誌]


5月末刊行の『芸術新潮』6月号、『Kotoba』第12号は「夏目漱石を読む」と、このとことろ漱石特集が続いている。漱石特集は今に始まったことではないが、「夏目漱石の美術世界展」開催に併せたかのように、特集が組まれている。汗牛充棟ただならぬ漱石論に、新たな漱石の解釈が可能なのか、明治中期以降、とりわけ漱石没後に始まった漱石評価は、この100年ひとり勝ちしている近代作家として存在している。



『Kotoba』掲載、祖父江慎氏は電子書籍「坊っちゃん文字組101年」に触れていて、「坊っちゃん」のテキストのみを、時系列に、本の組版の変化として示されていることを、電子版で確認した。直筆原稿も出版されている『坊っちゃん』は、毎年のように新しい版が出版されていて、常に新しい読者を獲得しているテキストであることが良くわかる。

特に「何故しててゝ。〜ないてゝ」と「て」の字が3回、2回と重なるところは間違いやすい。初出の「ホトトギス」から、間違って文字が組まれている。


吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)


漱石没後100年が2016年に、生誕150周年が、2017年にやってくる。没後100年が経過し、漱石が残したテクストの豊潤さには、驚きを禁じえない。「いつやるか? 今でしょ!」の授業でブレイクしている東進ハイスクールの予備校講師の林修氏は、小説は最初の一頁、つまり書き出しを読めば、作品の価値が表れているという。そして漱石の『吾輩は猫である』を紹介している。



渡部直己氏は『本気で作家になりたければ漱石に学べ!』(大田出版,1996)にも、漱石作品の書き出し一覧を第一稿で、紹介している。青空文庫から引用してみよう。

吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生まれたか頓と見當がつかぬ。何ても暗薄いじめじめした所でニャー/\泣いて居た事丈は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間で一番獰惡な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕へて煮て食ふといふ話である。然し其當時は何といふ考もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。但彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフハフハした感じが有つた許りである。掌の上で少し落ち付いて書生の顏を見たが所謂人間といふものゝ見始であらう。此の時妙なものだと思つた感じが今でも殘つて居る。第一毛を以て裝飾されべき筈の顏がつる/\して丸で藥罐だ。其後猫にも大分逢つたがこんな片輪には一度も出會はした事がない。加之顏の眞中が餘りに突起して居る。そうして其穴の中から時々ぷう/\と烟を吹く。どうも咽せぽくて實に弱つた。是が人間の飮む烟草といふものである事は漸く此頃知つた。

「倫敦塔」
二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物した事がある。その後ご再び行こうと思った日もあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断わった。一度で得た記憶を二返目に打壊ぶちこわすのは惜しい、三みたび目に拭ぬぐい去るのはもっとも残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
 行ったのは着後間まもないうちの事である。その頃は方角もよく分らんし、地理などは固もとより知らん。まるで御殿場の兎うさぎが急に日本橋の真中へ抛ほうり出されたような心持ちであった。表へ出れば人の波にさらわれるかと思い、家に帰れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑い、朝夕安き心はなかった。この響き、この群集の中に二年住んでいたら吾が神経の繊維もついには鍋の中の麩海苔のごとくべとべとになるだろうとマクス・ノルダウの退化論を今さらのごとく大真理と思う折さえあった。

「カーライル博物館」
公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形の尖った帽子を被かずいて古ぼけた外套を猫背に着た爺さんがそこへ歩みを佇めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前に出て来る。二人の視線がひたと行き当る。演説者は濁りたる田舎調子にて御前はカーライルじゃないかと問う。いかにもわしはカーライルじゃと村夫子が答える。チェルシーの哲人セージと人が言囃すのは御前の事かと問う。なるほど世間ではわしの事をチェルシーの哲人セージと云うようじゃ。セージと云うは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はからからと笑う。村夫子はなるほど猫も杓子も同じ人間じゃのにことさらに哲人セージなどと異名をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で善かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。

「幻影の盾」
一心不乱と云う事を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲たる背景の前に写し出そうと考えて、この趣向を得た。これを日本の物語に書き下おろさなかったのはこの趣向とわが国の風俗が調和すまいと思うたからである。浅学にて古代騎士の状況に通ぜず、従って叙事妥当を欠き、描景真相を失する所が多かろう、読者の誨おしえを待つ。
遠き世の物語である。バロンと名乗るものの城を構え濠を環めぐらして、人を屠ふり天に驕れる昔に帰れ。今代の話しではない。
 何時の頃とも知らぬ。只アーサー大王の御代とのみ言い伝えたる世に、ブレトンの一士人がブレトンの一女子に懸想した事がある。その頃の恋はあだには出来ぬ。思う人の唇に燃ゆる情けの息を吹く為には、吾肱をも折らねばならぬ、吾頚をも挫かねばならぬ、時としては吾血潮さえ容赦もなく流さねばならなかった。懸想されたるブレトンの女は懸想せるブレトンの男に向って云う、君が恋、叶えんとならば、残りなく円卓の勇士を倒して、われを世に類なき美しき女と名乗り給え、アーサーの養える名高き鷹を獲て吾許に送り届け給えと、男心得たりと腰に帯びたる長き剣に盟ちかえば、天上天下に吾志を妨ぐるものなく、遂ついに仙姫の援を得て悉く女の言うところを果す。鷹の足を纏える細き金の鎖の端はしに結びつけたる羊皮紙を読めば、三十一カ条の愛に関する法章であった。所謂「愛の庁」の憲法とはこれである。……盾たての話しはこの憲法の盛に行われた時代に起った事と思え。

「琴のそら音」
「珍らしいね、久しく来なかったじゃないか」と津田君が出過ぎた洋灯の穂を細めながら尋ねた。
 津田君がこう云いった時、余ははち切れて膝頭の出そうなズボンの上で、相馬焼の茶碗の糸底を三本指でぐるぐる廻しながら考えた。なるほど珍らしいに相違ない、この正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日まで津田君の下宿を訪問した事はない。
「来よう来ようと思いながら、つい忙がしいものだから――」
「そりゃあ、忙がしいだろう、何と云っても学校にいたうちとは違うからね、この頃でもやはり午後六時までかい」
「まあ大概そのくらいさ、家へ帰って飯を食うとそれなり寝てしまう。勉強どころか湯にも碌々這入らないくらいだ」と余は茶碗を畳の上へ置いて、卒業が恨しいと云う顔をして見せる。

「一夜」
「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯ある人が二たび三たび微吟して、あとは思案の体である。灯ひに写る床柱にもたれたる直き背の、この時少しく前にかがんで、両手に抱く膝頭に険しき山が出来る。佳句を得て佳句を続つぎ能ざるを恨てか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。
「描えがけども成らず、描けども成らず」と椽に端居して天下晴れて胡坐かけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛き髪を五分ぶに刈りて髯貯わえぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室へやの中なる女を顧かえりみる。

「薤露行」
世に伝うるマロリーの『アーサー物語』は簡浄素樸という点において珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏は免がれぬ。まして材をその一局部に取って纏ったものを書こうとすると到底万事原著による訳には行かぬ。従ってこの篇の如きも作者の随意に事実を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりしてかなり小説に近いものに改めてしもうた。主意はこんな事が面白いから書いて見ようというので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しようというのではない。そのつもりで読まれん事を希望する。
 実をいうとマロリーの写したランスロットは或る点において車夫の如く、ギニヴィアは車夫の情婦のような感じがある。この一点だけでも書き直す必要は充分あると思う。テニソンの『アイジルス』は優麗都雅の点において古今の雄篇たるのみならず性格の描写においても十九世紀の人間を古代の舞台に躍せるようなかきぶりであるから、かかる短篇を草するには大いに参考すべき長詩であるはいうまでもない。元来なら記憶を新たにするため一応読み返すはずであるが、読むと冥々のうちに真似がしたくなるからやめた。
一 夢
百、二百、簇がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古たるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く牽く衣の裾の響のみ残る。
 薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明らさまなるに、裳のみは軽ろく捌く珠の履をつつみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち顔なる様にてそよとも動かぬ。ギニヴィアは幕の前に耳押し付けて一重向うに何事をか聴きく。聴きおわりたる横顔をまた真向に反して石段の下を鋭どき眼にて窺う。濃やかに斑を流したる大理石の上は、ここかしこに白き薔薇が暗きを洩もれて和き香りを放つ。君見よと宵に贈れる花輪のいつ摧たる名残か。しばらくはわが足に纏わる絹の音にさえ心置ける人の、何の思案か、屹と立ち直りて、繊ほそき手の動くと見れば、深き幕の波を描いて、眩き光り矢の如く向い側なる室の中よりギニヴィアの頭に戴ける冠を照らす。輝けるは眉間に中あたる金剛石ぞ。
ランスロット」と幕押し分けたるままにていう。天を憚かり、地を憚かる中に、身も世も入いらぬまで力の籠たる声である。恋に敵なければ、わが戴ける冠を畏おそれず。

「趣味の遺伝」
陽気のせいで神も気違になる。「人を屠ふりて餓たる犬を救え」と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応こたえて百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた。すると渺々たる平原の尽くる下より、眼にあまる狗くの群が、腥さき風を横に截り縦に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出したように飛んで来た。狂える神が小躍して「血を啜すれ」と云うを合図に、ぺらぺらと吐くほのおの舌は暗き大地を照らして咽喉を越す血潮の湧き返る音が聞えた。今度は黒雲の端を踏み鳴らして「肉を食くらえ」と神が号ぶと「肉を食え! 肉を食え!」と犬共も一度に咆え立てる。やがてめりめりと腕を食い切る、深い口をあけて耳の根まで胴にかぶりつく。一つの脛を啣えて左右から引き合う。ようやくの事肉は大半平げたと思うと、また羃々たる雲を貫つらぬいて恐しい神の声がした。「肉の後には骨をしゃぶれ」と云う。すわこそ骨だ。犬の歯は肉よりも骨を噛かむに適している。狂う神の作った犬には狂った道具が具わっている。今日の振舞を予期して工夫してくれた歯じゃ。鳴らせ鳴らせと牙を鳴らして骨にかかる。ある者は摧いて髄を吸い、ある者は砕いて地に塗まみる。歯の立たぬ者は横にこいて牙を磨とぐ。


坊っちゃん (岩波文庫)

坊っちゃん (岩波文庫)

坊っちゃん
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。

草枕 (岩波文庫)

草枕 (岩波文庫)

草枕
山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈きだ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

二百十日
ぶらりと両手を垂げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。
「どこへ行ったね」
「ちょっと、町を歩行あるいて来た」
「何か観みるものがあるかい」
「寺が一軒あった」
「それから」
「銀杏いちょうの樹きが一本、門前もんぜんにあった」
「それから」
「銀杏いちょうの樹から本堂まで、一丁半ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」
「這入はいって見たかい」

「野分」
白井道也は文学者である。
 八年前大学を卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩いた末、去年の春飄然と東京へ戻って来た。流すとは門附に用いる言葉で飄然とは徂徠に拘わらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者といえども受合わぬ。縺もつれたる糸の片端も眼を着すればただ一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。ただ一筋の出処の裏には十重二十重の因縁が絡んでいるかも知れぬ。鴻雁の北に去りて乙鳥の南に来きたるさえ、鳥の身になっては相当の弁解があるはずじゃ。

虞美人草 (岩波文庫)

虞美人草 (岩波文庫)

 

虞美人草
「随分遠いね。元来どこから登るのだ」
と一人ひとりが手巾で額を拭きながら立ち留まった。
「どこか己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」

「坑夫」
さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生はえていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨めっ子こをしている方が増しだ。
 東京を立ったのは昨夕べの九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥れて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇の神楽堂へ上ってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目が覚さめたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押にここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩く精がない。
と顔も体躯も四角に出来上った男が無雑作に答えた。

三四郎 (岩波文庫)

三四郎 (岩波文庫)

三四郎
うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸きゅうのあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。
 女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。
 三輪田のお光さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。

それから (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

「それから」
誰か慌たゞしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中なかには、大きな俎下駄が空から、ぶら下さがつてゐた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退のくに従つて、すうと頭から抜ぬけ出だして消えて仕舞つた。さうして眼めが覚めた。
 枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちてゐる。代助は昨夕床の中なかで慥かに此花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはづれに正たゞしく中たる血の音を確ながら眠ねむりに就いた。

門 (岩波文庫)

門 (岩波文庫)

「門」
宗助は先刻から縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。肱枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較くらべて見ると、非常に広大である。たまの日曜にこうして緩り空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉まゆを寄せて、ぎらぎらする日をしばらく見つめていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。障子の中では細君が裁縫しごとをしている。


彼岸過迄 (岩波文庫)

彼岸過迄 (岩波文庫)



彼岸過迄
敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注さして来た。元々頑丈にできた身体だから単に馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸かったなり居据って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端にすぽりと外はずれたりする反間へまが度重なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪も手伝って、飲みたくもない麦酒ビールをわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁な気分を自分と誘って見た。けれどもいつまで経たっても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退のかないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、その後あとからまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫なでながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外はずして廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜り込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟つぶやいた。

行人 (岩波文庫)

行人 (岩波文庫)

「行人」
梅田の停車場ステーションを下おりるや否や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥を雇って岡田の家に馳けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎い親類とばかり覚えていた。
 大阪へ下りるとすぐ彼を訪うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地で落ち合おう、そうしていっしょに高野登りをやろう、もし時日が許すなら、伊勢から名古屋へ廻まわろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。

こころ (岩波文庫)

こころ (岩波文庫)

「こころ」
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

道草 (岩波文庫)

道草 (岩波文庫)

 

「道草」
健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。
 彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭いがまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭のうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった。


明暗 (岩波文庫)

明暗 (岩波文庫)

「明暗」
医者は探りを入れた後で、手術台の上から津田を下おろした。
「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前探さぐった時は、途中に瘢痕の隆起があったので、ついそこが行きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日きょう疎通を好くするために、そいつをがりがり掻き落して見ると、まだ奥があるんです」
「そうしてそれが腸まで続いているんですか」
「そうです。五分ぐらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」
 津田の顔には苦笑の裡うちに淡く盛り上げられた失望の色が見えた。医者は白いだぶだぶした上着の前に両手を組み合わせたまま、ちょっと首を傾けた。その様子が「御気の毒ですが事実だから仕方がありません。医者は自分の職業に対して虚言を吐つく訳に行かないんですから」という意味に受取れた。
 津田は無言のまま帯を締しめ直して、椅子の背に投げ掛けられた袴を取り上げながらまた医者の方を向いた。
「腸まで続いているとすると、癒りっこないんですか」
「そんな事はありません」


漱石作品の書き出しを、並べてみると壮観である。作品すべてが異なる文体、異なる虚構を創出している。言文一致などというものではなく、新しい文体を作り出したのだった。