電子書籍を読む!


ユリイカ2010年8月号』(青土社)の特集は「電子書籍を読む!」であり、あたかも2010年が「電子書籍元年」を象徴しているように見えるが、実は電子書籍なるものは、1990年代から例えばCD-ROMのような形式を借り、パッケージとして流通していた。


特集掲載論文の一つ、門林岳史「それはなぜいまでも電子書籍と呼ばれているのか?」によれば、マクルーハンの代表作『グーテンベルクの銀河系』『メディアの理解』をCD-ROM媒体を介して全文検索を行い、マクルーハン研究の出発点になったと述べている。


グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成

グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成

メディアの法則

メディアの法則

例えば「artist (芸術家)」「 poetic process(詩的過程)」「 tactile(触覚的)」 「synaesthesia(共感覚)」「 anaesthetic (麻酔)」「 light through(透過光)」」といった項目を、・・・全文検索をして前後箇所を読み進めていく過程のなかで、マクルーハンのテキストのなかにリゾーム上に張りめぐらされた言葉同士の比喩連関が私にとって初めて可視的になってきた・・・(p189)


グーレンベルクによる活字印刷がもたらした技術的な影響は、「技術の本質を理解するのには時間がかかる」ように、「印刷媒体と電子的媒体という二つの書記メディアが併存しせめぎ合うなかで、様々な利害や権利、法制度の調亭の結果産み落とされたハイブリッドなメディア」なのであると、門林氏は述べている。

つまり、現在起きている「電子書籍」なることばによる混乱は、それが過ぎさったあと、「いつの日にか書かれるはずの新たな書記メディアの歴史的記述」によって証明されるというわけだ。


また一方では、師茂樹『「公共の記憶」としての電子書籍』には、ビクトル・ユゴーの小説から、

いやはや、あなた、世の終わりですな。・・・もう写本もいらん、本もいらん!てわけです。印刷術は本屋殺しですよ。いよいよ世も終りですなあ。


という言葉が引用されるが、ユゴーの発言の背景には、「聖書の意味を読み取る担い手が、カトリック教会から、それぞれに聖書を手にした読者に移行してしまうのではないか」という「カトリック文化滅亡」への恐れが表現されている。ここで、「印刷術」を「電子書籍」や「電子出版」に置き換えれば、書記メディアの変容が、今現在、同じように反復されていることがよくわかる。


 デジタル化されたテキストは「ジャンル」や「慣習」を剥奪し、その中身だけを対象とすることになるというわけだ。写本から印刷本への移行には、文化的遺産の保存問題とは別に、「人間の思想はその形態が変わるにつれて表現形式も変わっていく」とされる。

印刷技術が大伽藍を滅ぼすことによって得られた読者個々の読書の時間が、電子書籍ニコニコ動画的なアーキテクチャーを組み合わせることによって再び中世的な共有の場としてのテキストを復活させるのであれば、再び歴史の皮肉を思わざるを得ない。(pp111-112)


電子書籍時代の「公共の記憶」へのアクセス環境は、より敷居が低く、より自由なものとなっているだろう」と師茂樹は、テクストの共有という新たな状況を思い描いている。

 中世的な意味での「テクスト」は、記憶の操作を通じて著述され、写本として公開されたあと、読者による批判とその応答が追加された。


 「原典、注釈、引用、句読法、装飾などすべてがひとつの記憶のイメージとしてまとまり、それが「テクスト」を構成している」(メアリー・カラザース『記憶術と書物』)という。フランセス・イエイツが「ユゴーがつくり出したこの寓話は、印刷の普及が目に見えない記憶術の大伽藍に及ぼした影響にも当てはめることができる」のであり、中世以前のヨーロッパにおいては、読んだ書物を記憶し、脳内に「図書館」を作りあげることが知的活動の基本であった。脳内「図書館」に所蔵された「書物」にアクセスするためには、建築物(大伽藍のようなイメージ)が必要だった。これが「公共の記憶」となっていた。


記憶術

記憶術


いま、印刷術の革命において解体された大伽藍(公共の記憶)が、「電子書籍」としてウェブ上の「公共圏」に構築され、中世的な「テクストの共有」というアイロニカルな回帰現象として現れているとすれば、いささか複雑な思いに捉われる。


電子書籍」は、今始まったわけではなく、この10年以上の間に除々に形を変えながら、紙媒体としての印刷による冊子体型の書物を解体しつつあるが、大きくは書記メディアの変容として歴史的視点からの評価・解釈が要請される。一方で、ウェブ上の「共通圏」的テクストの在り方からみれば、中世的・大伽藍的な「共有のテクスト」化しつつあるのも事実である。問題は、電子か紙かという形式ではなく、思考法の根底にかかわる変化と理解しておくべきだろう。

昨今あまたの「電子書籍」をめぐる言説が氾濫しているが、賢明な読者は「踊る電子書籍報道」にまどわされることなく、便乗商品に乗ることもなく、ここは泰然として様子を見極めることではないだろうか。


電子図書館 新装版

電子図書館 新装版


さて、『ユリイカ』特集でも突出しているのが、長尾真「電子書籍は新しい世界を開く」という短文である。長尾氏による「電子書籍」とはインタラクティヴなものであり、三次元、四次元の世界を取り扱うものである。

世界中でこのような可能性についてまだ誰も気づいていない。今のうちに日本がしっかり頑張れば世界をリードすることが可能である。これは国として人口知能研究者を結集して研究開発させるなどの支援をすることも必要となるだろう。(p72)

そのためには、著作者、出版社自体が時代に適合する新たな著作権の在り方を提言しなければならないと長尾氏は結んでいる。


情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)


長尾氏の自伝『情報を読む力、学問する心』(ミネルヴァ書房、2010)が最近刊行されている。未読だが、読むべき本として手元に置かれている。