柄谷行人インタヴューズ


柄谷行人柄谷行人インタヴューズ』が、2冊本で刊行されている。『1997-2001』と『2002−2013』(講談社文芸文庫,2014)を通読する。



NAMの頃前後に、柄谷氏の姿勢に変容が見られた*1が、アソシエーションという交換の第4方式(D)は、一貫して変わっていないことが、大きな発見であった。


畏怖する人間 (講談社文芸文庫)

畏怖する人間 (講談社文芸文庫)


『畏怖する人間』から、氏の著書は、ほぼ購入してきた。ただし、全てを読んできたわけではない。文芸批評の傑作は『日本近代文学の起源』だろう。


定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)

定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)


風景や内面や児童の発見、告白という制度、病という意味、構成力、ジャンルの消滅など、文学が文学たりえた時代の「文学」からの決別という画期的な論文だった。


「可能なる人文学」(2007)の指摘は、差異の存在こそが、人文学の根底にあること、また、原典(翻訳でもよい)を読むことを提言している。大学の文学部における講義が成立し難いことをも、スピヴァク『ある学問の死』を例にあげながら、映画を見せないと、授業が成立しない現状を、説明している。


マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)

マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)


『インタヴューズ』2冊は、柄谷行人が『マルクスその可能性の中心』で『資本論』の読み換えから始まったところの、生産から交換に視点を移し歴史を読むことで、「資本=ネーション=国家」という柄谷的問題を提起してきたことなど、近著『世界史の構造』に至る過程が読みとれる。


世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)

世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)


インタビューであるから、柄谷行人の著書が、話し言葉で語られる。1997年は昭和52年であり、『意味という病』(1975)以後の

  • マルクスその可能性の中心』(1978)
  • 『反文学論』(1979)
  • 日本近代文学の起源』(1980)
  • 『隠喩としての建築』(1983)
  • 『探究1・2』(1986,1989)
  • 『<戦前>の思考』(1994)
  • 『倫理21』(2000)
  • トランスクリティーク』(2001)
  • 『日本精神分析』(2002)
  • 近代文学の終り』(2005)
  • 『世界共和国へ』(2006)
  • 『世界史の構造』(2010)
  • 『哲学の起源』(2012)

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まで、テクストに向き合う柄谷行人の姿勢が視えてくる。


定本 柄谷行人集〈3〉トランスクリティーク―カントとマルクス

定本 柄谷行人集〈3〉トランスクリティーク―カントとマルクス

日本精神分析 (講談社学術文庫)

日本精神分析 (講談社学術文庫)

哲学の起源

哲学の起源


私は、フーコーのみならず、アルチュセール、さらにさかのぼってグラムシも、国家をたんに国家の内部だけで考えていると思う。国家をその内側だけで考えていると、国家権力は社会的な権力と同じことになる。・・・国家が露骨にあらわれるのは戦争のときです。・・・国家はたんなるイデオロギー的上部構造ではない。(p.189『2002-2013』)


初期柄谷行人から、現在の柄谷行人に連なる一貫した思考法とは、世界の構造を読み解き、<資本=ネーション=国家>を超える処方箋を提起するところにあるように思える。持続する強靭な思考力には、ただただ脱帽するほかない。


◆印象深い著書5点

意味という病 (講談社文芸文庫)

意味という病 (講談社文芸文庫)

近代文学の終り―柄谷行人の現在

近代文学の終り―柄谷行人の現在

<戦前>の思考 (講談社学術文庫)

<戦前>の思考 (講談社学術文庫)

増補 漱石論集成 (平凡社ライブラリー)

増補 漱石論集成 (平凡社ライブラリー)

定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築

定本 柄谷行人集〈2〉隠喩としての建築

*1:柄谷行人・本人は、時代状況の変化が激しいとき、三回「変わった」と述べているが、本質的には不変だと思う。