思い出す事など


朝日新聞は、漱石『こころ』掲載100年百年目に、再掲載すると発表した。2014年4月20日、100年目にあわせて当時と同じ「心(こころ) 先生の遺書」のタイトルカットで、掲載が始まった。


こころ (岩波文庫)

こころ (岩波文庫)



近代文学者で学者から新聞社に入社し、新聞小説家として、10年間を胃潰瘍や痔・糖尿病など様々な病気を抱えながら、現在も読み継がれる作家・漱石


国民作家の転機となった『思い出す事など』を再読する。


思い出す事など 他七篇 (岩波文庫)

思い出す事など 他七篇 (岩波文庫)


『思い出す事など』は、<修善寺の大患>と呼ばれる30分間の死を前後を描き、俳句、漢詩などを、文中または文末に配置した、生死の境から戻ってきて、漢詩に「風流」という独自の世界を、見出して行った。



テクストは、『思い出す事など』を中心に、『漱石日記』の内「修善寺大患日記」、吉川幸次郎漱石詩注』(いずれも岩波文庫)及び、古井由吉漱石漢詩を読む』(岩波書店,2008)などを参照しながら読む。


漱石詩注 (岩波文庫)

漱石詩注 (岩波文庫)


これまでは、漢詩の部分を飛ばして、文のみ読んできたが、今回は漢詩をも理解すべく、吉川幸次郎氏と作家の古井由吉による解釈をも併せて読むことで、全く異なる世界が視えてきた。


漱石の漢詩を読む

漱石の漢詩を読む


もう一つの資料、荒正人『増補改訂 漱石研究年表』(集英社1984)を手元に置き、明治43(1910)年6月16日(木)の「雨。長与胃腸病院に行き入院決まる」から、明治44(1911)年4月13日「漱石「病院の春」。(『思い出す事など』33回最終回)までの期間を対象とする。


漱石研究年表

漱石研究年表


しかしよく考えてみれば、<修善寺の大患>から5年余りで他界する。『猫』第一回発表が『ホトトギス』(第8巻4号)、明治38(1905)年1月1日発行のことであるから、1905年から1916(大正5)年まで、延べ12年間に近代文学の代表作を胃病を抱えながら書き続けた。荒正人漱石の生涯を一日毎に、記録したことでも解るとおり、疾走し続けた毎日だった、と云うほかないだろう。


さて、以上のような方法は、時系列に沿って、<修善寺の大患>を追想することになる。朝日新聞社員としては、10年という短期間に、『虞美人草』から『明暗』までが書かれた。<修善寺の大患>は、その半ば、つまり5年目の出来事であった。漱石の文學が、『こころ』の先生の死を含みながらも、全体として青春小説となっているのは、漱石の老いが、現実な感覚として壮年までしか生き得なかったこととの関係、作品への反映に老人の視点が少ないことからも窺える。


胃潰瘍は21世紀の今日では治癒可能な病であるけれど、漱石にとって病を抱えながら<書く>行為に格闘し続けた。


漱石日記 (岩波文庫)

漱石日記 (岩波文庫)


9月17日の日記に以下の記載あり。

安心安神静意静情。この忙しき世にかかる境地に住し得るものは至福なり。病の賜也。


また、9月26日に次のような記述もある。

切に考うれば希望三分二は物質的状況にあり。金を欲するや切也。


漱石は甦える。一度目は<修善寺の大患>後に、二度目は100年後に。



夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)



100年に関して言えば、『夢十夜』第一夜の「自分」は、最後に、

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気が付いた。


と予言的に、夢に託して書いていた。

漱石文学全注釈〈12〉心

漱石文学全注釈〈12〉心

夏目漱石集―心 (近代文学初出復刻)

夏目漱石集―心 (近代文学初出復刻)

漱石全集〈第9巻〉心

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