漱石記念年の出版

2016年は、夏目漱石没後100年だった。2017年は、漱石生誕150年になる。二年連続した漱石記念年になり、漱石関連の出版物が多い年だった。


漱石忌となる12月9日に、岩波書店から『定本漱石全集』の刊行が開始された。平成版全集をもとに、その後発見された
・「物の関係と三様の人間」(満洲日日新聞掲載)
・「韓満所感」(満洲日日新聞掲載)
・「アーサー・ヘルプスの論文」(保恵会雑誌掲載)
の3点と、
・俳句約20首
・書簡約20通
が追加される。

更に、自筆原稿が確認された作品(本文テクストが修正される可能性がある作品)
・『門』の一部
・『文鳥』の一部
・『それから』(前回全集の刊行時には閲覧に制限があった)
・『道草』(新発見18枚,神奈川近代文学館展覧会)

とされる。この自筆原稿を底本とする基本方針について云えば、原稿重視ならファクシミリで「原稿」を復元すればいいことである。作品を読むのは読者であり、漱石が読んで欲しいと思ったのは当然初出誌紙となり、底本を、<初出>とすべきであろう。原稿が印刷されて読者に届くのが大原則である。岩波書店が編集している平成版以降の全集が唯一正しい<定本>とは言えない。そこに読者への視点が不在であることを押さえておくべきだろう。



夏目金之助は、慶応三年に生まれ、大正五年に他界している。50歳をまえに胃潰瘍で死去するまでの生涯を描いた伝記・評伝の類は、赤木桁平から始まり、小宮豊隆森田草平、戦後は江藤淳など多くのテクストが書かれてきた。

没後100年、生誕150年となる2016年、2017年には、多くの漱石本が刊行される。評伝として、
十川信介著『夏目漱石』(岩波新書,2016)がまず、11月に刊行された。


夏目漱石 (岩波新書)

夏目漱石 (岩波新書)

十川信介氏の評伝は、評伝の基準を外さず読ませる。優れた評伝だと思う。

幼少時代の不幸な環境から学問を志し、多くの友人・知人を得て帝国大学を卒業する。以後、英語教師として、東京から松山、熊本を経て、ロンドン留学に至る。帰国後は、帝国大学の講師として勤めながら、高浜虚子の勧めもあり、短篇「猫伝」のちに「吾輩は猫である」と題される小説を雑誌「ホトトギス」に掲載される。同時に「帝国文学」に「倫敦塔」を発表。『吾輩は猫である』第一章が好評を博し、作家として社会的な名声を得て行く。

「猫」は好評につき、「ホトトギス」連載が続く。第10回連載時には、国民的人気の高い「坊っちゃん」が同時掲載される。「猫」は上・中・下の三部作として発売される。造本に凝った装幀とともに当時のベストセラーになった。

この間、『漾虚集』『鶉籠』『文学論』を出版し、帝大講師を辞し朝日新聞に入社する。以後の小説は全て、朝日新聞連載のかたちをとることになった。

虞美人草』前期三部作『三四郎』『それから』『門』ののち修善寺の大患を経て、作風も変化し、後期三部作、『彼岸過迄』『行人』『こころ』を新聞連載、そして『道草』を完成させ、周知のとおり『明暗』執筆途中で倒れ、大正5年12月9日家族・門下生に見守られながら他界する。

これらのおおまかな生涯は、ほとんど周知の事実となっている。評伝とは、新たな見解を付加しなければならない。

以上を踏まえて、今年の漱石本の本格的評伝である、
佐々木英昭著『夏目漱石 人間は電車ぢやありませんから』(ミネルヴァ書房,2016)は、実にオーソドクスな新たな評伝になっている。(現在読書中)


岩波新書では年末12月にもう一冊、漱石論が刊行された。

赤木昭夫漱石のこころ』(岩波新書,2016)



赤木昭夫氏の『漱石のこころ』は、極論的肯定派と疑問派に別れるのではあるまいか。率直にいえば、ヘーゲル弁証法に関連ずける手法に違和感あり。『文学論』から、『坊っちゃん』『こころ』の時代精神に結びつけるところは斬新な印象を受けるけれど、そして百年後の漱石大江健三郎に擬するのも肯けるのだが、うーんそうだろうか?いささかの強引さは否めない。

しかし、もっとも残念なのは、
×芳川泰久坊っちゃんのそれから』(河出書房新社,2016)である。

坊っちゃんのそれから

坊っちゃんのそれから


誰もが、その後の<坊っちゃん>を期待するであろうが、全く別の作品になっている。多田金之助という主人公は、時代的に明治28年以降の芳川氏の創作以外の何物でもない。とすれば面白いか否かで判断せざるを得ない。まったく、面白くもない、フランス文学者による漱石の代表作を借用したひとつの小説に過ぎない。

坊っちゃん』のあの活きの良い文体、江戸っ子の<おれ>が一人称で語るその文章の輝かしさこそ、国民文学たりえているのだ。芳川氏の『坊っちゃんのそれから』は、漱石という偉大なる名を借りた、全く別の作品であり、それに『坊っちゃん』のタイトルを付与することはフランス文学者として如何なものか。


時実象一著『コピペと捏造』(樹村房,2016)を一読すれば解ること。

コピペと捏造:どこまで許されるのか、表現世界の多様性を探る

コピペと捏造:どこまで許されるのか、表現世界の多様性を探る


次の、『吾輩のそれから』は見てもいない。三部作だそうだが、パロディなら許容できるが、漱石の名を借りた別の作品を書くのなら、漱石ファンとして許容できない。おそらく、芳川氏は趣味的に創作されているのであろうが、漱石論として書くべき内容である。あるいは、漱石の名を使用しない明治時代を背景とする創作にすればよろしいのではないか。漱石記念年に便乗した企画の悪しき例として敢えて指摘したい。



12月に出版されたもう一冊。

○佐藤泰正編著『漱石における<文学の力>とは』(笠間書院,2016)4は、故佐藤氏が編者になっているが、2015年98歳で逝去されている。小森陽一石原千秋姜尚中など10名による論文集である。


以上のほかに、漱石関連の復刊本にも注目しておきたい。


夏目鏡子 述 , 松岡譲文『漱石の思ひ出』(岩波書店,2016)

漱石の思ひ出――附 漱石年譜

漱石の思ひ出――附 漱石年譜


○矢口進也著『漱石全集物語』(岩波書店,2016)解説は柴野京子

漱石全集物語 (岩波現代文庫)

漱石全集物語 (岩波現代文庫)

漱石全集物語

漱石全集物語


夏目伸六著『父・夏目漱石』(文春文庫,2016)解説は半藤一利

父・夏目漱石 (文春文庫)

父・夏目漱石 (文春文庫)


十川信介編『漱石追想』(岩波文庫,2016)

漱石追想 (岩波文庫)

漱石追想 (岩波文庫)



百年後に、漱石評価はより高まっている。では百年後の漱石とは誰だろうか?

大江健三郎

村上春樹

私は、文壇からの距離、国民的作家、世界的に評価されている、などから村上春樹氏が、百年後の漱石にふさわしいと思うのだが、果たしてどうだろうか。


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

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