胃弱・癇癪・夏目漱石


漱石研究には、作家論、作品論等、いわば本流の作家研究があり、一方、漱石の私生活や恋愛などに主体的アプローチする批評がある。


胃弱・癇癪・夏目漱石 持病で読み解く文士の生涯 (講談社選書メチエ)

胃弱・癇癪・夏目漱石 持病で読み解く文士の生涯 (講談社選書メチエ)


山崎光夫著『胃弱・癇癪・夏目漱石』(講談社,2018)は、漱石の病気に注目し、作品を排除したかたちで漱石像に迫る論考である。


まず漱石の根底に、<ミザンスロピック(厭世)病>と規定する。多病才人。宿痾は胃潰瘍、他に神経衰弱、痔疾、糖尿病などがある。要は多病の漱石が、自分の身体を<病気>と自覚していたか、である。

あらかじめ私見を述べれば、柄谷行人漱石論が最後の本格的論考であった。

漱石も彼の手に余る問題を扱おうとしたと結論することができる(「意識と自然」増補漱石論集成、p13)


が根底にあり、作品が二重に分裂していると解釈する柄谷氏の論考を超える漱石論は出ていない。従って、あまた書かれた漱石論に、新しい見解はないと看る。

とすれば、漱石論以外の側面的アプローチしか残されていない。


漱石の地図帳―歩く・見る・読む

漱石の地図帳―歩く・見る・読む

編集者 漱石

編集者 漱石


中島国彦著『漱石の地図帳』(大修館書店,2018)も、地理・地形から漱石作品を解読している。長谷川郁夫著『編集者 漱石』(新潮社,2018)は、編集者としての漱石の生涯を細部にわたり読み込んでいる。

さて、山崎光夫著『胃弱・癇癪・夏目漱石』は、作品には深く言及せず、もっぱら病気と健康から漱石の生涯を追っている。漢方に精通しているらしい著者によれば、「変人医者が生き方のお手本」は、自らを<変人>と規定する漱石に漢方を利用していれば、健康的にはより良い人生を送れたかのような思いがある。しかし、明治以降西欧化が全てにおいて、事後的にあれこれ指摘しても余談にしか読めない。


唯一、なるほどと感心したのは、『門』執筆後に長与胃腸病院に入院後、退院にあたり転地療養を勧められ、修善寺の吐血に至るわけだが、著者はその原因は「温泉にある」と明記している点だ。

漱石胃潰瘍は急性の炎症性疾患と考えられ、また、退院したばかりでもあり温泉は禁忌だった。逆に胃潰瘍を悪化させるので、温泉に浸かってはならなかった。漱石の「どうしても湯が悪いように思ふ」との認識は大正解である。(p243)


さらに、山崎氏は強調する。

繰り言めくが、わたし(筆者=山崎光夫)は、もし漱石胃潰瘍の初期の段階から漢方療法を受けていたら、胃潰瘍はかなり制圧されたのではないかと思っている。漢方は内科系疾患に強い。東洋医学は数千年の伝統を有し、歴史の重みに堪えて残っていて、人の病を癒す有効な医学である。(p288)


漱石は死の直前、真鍋嘉一郎に「死ぬと困るから」と言った話は有名である。

「則天去私」の漱石が、「死ぬと困るから」とはの謎を解くには,漱石最晩年の「断片」からの言葉が参考になる。

生死ハ透脱スベキモノナリ回避スベキモノニアラズ。 毀誉モ其通リナリ。(大正四・五年ころ)


全編、「病気」という切り口から、解説した漱石情報といえるだろう。


しかしながら、テキスト以外から作家にアプローチするのは、個人的な思い込みや逆転の発想があるのかも知れない。漱石が近代日本文学の頂点だから、余計に周辺からみる評伝が多くなる。漱石は10年以上、読み続けているが、関係文献の多さに辟易するのが本音だ。誰もが、個人的な「漱石像」を持てばそれで良い、というのが最近の心境となった。


外国文学の場合は、多くの場合、テキストのみで十分読むことができるのを考えれば、情報の多さもテクストから限りなく遠ざかるといえるのではないか。このところ19世紀ロシア文学を読んでいるが、テキストと註釈程度で十分だ。研究者は別だろうが・・・