『こころ』異聞は、女性の強さに着目している
『こころ』異聞
若松英輔著『『こころ』異聞』(岩波書店,2019)を、7月1日購入後、一気に継続して読んだ。最近、読書に集中できない状況の中で、5日間で読了するとは、以前に比べると稀有な体験と言わねばなるまい。それだけ、惹きつける魅惑に満ちた、『こころ』新解釈と形容できる充実した内容だった。
漱石『こころ』については、膨大な研究歴史があり、それをまとめたものに、仲秀和著『『こころ』研究史』(和泉書院,2007)がある。仲氏は第一部で、「問題の所在と同時代批評、昭和20~30年代批評、昭和40年代の研究、昭和50年代以降の研究、昭和60年代以降の研究。ここまでが、菊版全集による。それに漱石自筆研究を基に新編集した平成版全集を対象とする平成6年以降の研究。以上を8章に分けて紹介している。とりわわけ40年代の「作品論」、60年代の「テキスト論」を中心に、問題の所在を説明し、「『こころ』についてはある程度論じ尽くされてきている」と述べている。
「文学研究の方法」の見直しがあり、「文化論」「文化史」的な、『こころ』の読み直しは「現在進行中」であると、記している。しかし、おおむね提起された問題の所在は、解き尽くされてもいるようだ。
第2部は、「『こころ』文献目録」であり、これも書誌的に貴重な資料である。
現在第2次『漱石全集』が定本*1として配本中であるが、平成版漱石全集と称する、この全集を、若松氏はテキストに採用することの理由を記している。同時代からの読者が読んできたテクストとは異なる『こころ』ではある。ここは、著者の主張に従い、本文を読んでみることにした。
若松氏の新説とは、『こころ』の書き手である「私」は、何歳なのだろうかという疑問から出発している。
「先生」が自殺した年は、1912年、35歳。「お嬢さん」こと「先生」の妻・静は28~29歳くらい。「私」は「先生」より十余歳下であると、著者は、全集の編集者であった秋山豊と、『こころ』註解者の重松泰雄の二人に依拠している。
筆者には『こころ』に記された文字そのものが「私」の遺書だったように思われてならない。読者である私たちは、二つの遺書を読んでいたのではないか。その行間からは、「先生」の年齢を超えた「私」の姿が、行間からくっきりと浮かび上がるのである。(p.232)
この結論に至るまでに、キリスト教の苦行=求道を、キーワードに読み解く。井筒俊彦、内村鑑三、河合隼雄など*2を引用しながら、Kの求道者的生き方と、「先生」のKへの共感する部分があり、Kを自殺させた原罪を背負い、自ら「遺書」を「私」に託すことになる。
本書の読みどころは、「庇護者の誤認」にある。
妻はあるとき、「先生」に「男の心と女の心は何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものだろうか」という。/「先生」は、「若い時ならなれるだろうと曖昧な返事を」する。それを聞いた妻は「自分の過去を振り返つて眺めてゐるやう」だったが、やがて微かな溜息を洩ら」(百八)す。/男の目から見て頼りなさそうに映る女性も、男が思うほど弱くない。むしろ、男の方が、芯に脆さを抱えている場合が少なくない。/心を一つにしたい、そう語った妻は、自分たちの関係は、助ける助けられる関係ではなく、人生の試練を前にするときも、ふたりで生きていくと決めたのではなかったか、と夫に問い返しているのである。(p.225)
若松氏の新説は、『こころ』という小説がもつ構造的な内容から、女性の視点とキリスト教的に捉える方法であった。
静の「男の心と女の心は何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものだろうか」という問いから女性の視点に立つ方法は、管見の限り若松氏の発見と言ってもいい。
たしかに、新鮮な解読方法といえよう。しかしながら、『こころ』の不可思議な作品の全貌を解明するための一視点を提供したと言えるが、<諸問題の解読>を一挙に伏線を回収したことにはならないところが、『こころ』が厄介テクストである所以でもあるのだ。
まあしかし、ここは、若松英輔氏の新解釈が、『こころ』研究史に一点加わった功績を、指摘すれば十分だろう。
なお、『こころ』研究本としては、石原千秋編集の下記のムックがある。
また、漱石作品の読み方についての基本は、次の図書が示唆的である。