哲学探偵ベルクソンの事件簿


ベルクソンの哲学を解説的に引用しながら、事件を解決する探偵小説、瀬名織江『哲学探偵ベルクソンの事件簿』(彩流社,2013)を読了した。古今東西の著名人を探偵に登場させる小説は多いが、「哲学探偵」は「ベルクソン」が初めてではないだろうか。いま、フランスの学界*1では、ベルクソンルネッサンスらしい。


哲学探偵ベルクソンの事件簿

哲学探偵ベルクソンの事件簿


ベルクソンには、4大著書がある。『意識に直接与えられたものについての試論』(英語版では『時間と自由』)、『物質と記憶』、『創造的進化』、『道徳と宗教の二つの源泉』、小著として『笑い』があるが、それとは別に著者自身で講演や論文を「入門編」として編纂した『精神のエネルギー』と『思考と動き』の二冊が出版され、日本語翻訳本は数多い。


精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)

精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)


古典の新訳は一種のブームだが、哲学もカントなど一部に新訳が見られるけれど、ベルクソンほど継続して新たな翻訳が出るケ−スは希らしい。瀬名織江氏も、主として『精神のエネルギー』に依拠して、物語が構成されている。


思考と動き (平凡社ライブラリー)

思考と動き (平凡社ライブラリー)


刑事コロンボ」方式、つまり最初に犯人と犯罪が提示され、それにベルクソンの哲学的ことばが云々と述べられ、解決に至るという推理探偵小説である。それに肝心のベルクソン哲学は、分かりやすく解説されている。


時間と自由 (岩波文庫)

時間と自由 (岩波文庫)


第1話は「宇宙は持続する」と題して、真の時間は「持続」であることを、砂糖の入った紅茶を飲むためには砂糖が溶けるまで待たねばならない、また、時計に表示されているのは時間ではなく、針の動きの痕跡に記号を振ったものでしかない、つまり、全てのものは時間の中に生きている、真の時間とは「持続」であることが、事件解決のヒントとして提示されている。


創造的進化 (ちくま学芸文庫)

創造的進化 (ちくま学芸文庫)


第2話では、脳は物質だが、記憶は物資ではない、脳の役割は限られたもので、脳は心をつかさどる機関ではなく、運動習慣を保存するだけの器官、思い出すためだけの器官であること、生命が物質と出会うときに、意識は自らに焼き入れし、効果的な行動への準備をするというベルクソン哲学が生かされる。



第3話は、無が有より多くのものを含んでいる、「無」イコール「ゼロ」ではなく、無を置き換えだと考えるとこと、つまり、「Aがない」というとき、「AでなくBがある」という観念を前提とし、そこに否定と云う観念が入り、観念二つになる。「空虚という表象は、つねに一つの充実した表象である」というベルクソンの考えが、事件を解決に導く。

意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)

意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)


第4話は、「無秩序は、いま一つの秩序の存在を示すものである」を、第5話は「テレパシーが現実のものであるとすれば、それは自然なものである」、第6話は「現在の瞬間は、知覚をたえず記憶に映して動く鏡である」というベルクソン哲学が、事件解決に導くといった按配である。



時間と自由 (白水uブックス)

時間と自由 (白水uブックス)


哲学者であるにもかかわらず、ノーベル文学賞を受賞したベルクソンを理解するためには、文学的アプローチが望ましいことを、瀬名織江さんは探偵小説によって果たそうと試みている。その意気を歓迎したい。実際、『哲学探偵ベルクソンの事件簿』は、ベルクソン哲学を確認しながら、小説を読む楽しみが伴っている。


【補足】2013年5月14日
なお、第5章のネタは小林秀雄が講演「信じることと考えること」の冒頭でベルクソンが、女性が経験した「心霊現象」を擁護する講演「<生きている人のまぼろし>と<心霊現象>」によっている。ベルクソン小林秀雄が共感する良い話っぷりであり、この講演はお勧めである。


道徳と宗教の二つの源泉〈1〉 (中公クラシックス)

道徳と宗教の二つの源泉〈1〉 (中公クラシックス)

道徳と宗教の二つの源泉〈2〉 (中公クラシックス)

道徳と宗教の二つの源泉〈2〉 (中公クラシックス)

笑い (岩波文庫 青 645-3)

笑い (岩波文庫 青 645-3)

*1:いまというより、実際この10年以上にわたり、ベルクソンルネッサンスが「持続」していることは注目に値する。