ベルクソンの翻訳


アンリ・ベルクソンの著書は、まず主著4冊。


1)時間と自由(1889)
2)物質と記憶(1896)
3)創造的進化(1907)
4)道徳と宗教の二源泉(1932)


短篇を集めた2冊

5)精神のエネルギー(1919)
6)思考と動き(1934)


そしてテーマを「笑い」に絞った短篇、林達夫訳で有名な

7)笑い(1900)

以上の7冊だが、このところ新訳出版が異常に多いのだ。


まず、博士論文「意識に直接与えられたものについての試論」の邦訳版『時間と自由』について、2冊の新訳が加わった。

時間と自由 (講談社学術文庫)

時間と自由 (講談社学術文庫)

意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)

意識に直接与えられたものについての試論 (ちくま学芸文庫)

時間と自由 (岩波文庫)

時間と自由 (岩波文庫)

時間と自由 (白水uブックス)

時間と自由 (白水uブックス)



主著『物質と記憶』は、近年でも3つの新訳がある。

物質と記憶 (岩波文庫)

物質と記憶 (岩波文庫)

物質と記憶―精神と身体の関係について

物質と記憶―精神と身体の関係について

物質と記憶

物質と記憶

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)


大著『創造的進化』について

創造的進化 (岩波文庫 青 645-1)

創造的進化 (岩波文庫 青 645-1)

創造的進化 (ちくま学芸文庫)

創造的進化 (ちくま学芸文庫)

創造的進化 (新訳ベルクソン全集)

創造的進化 (新訳ベルクソン全集)


最後の著作『道徳と宗教の二源泉』

  • 『道徳と宗教の二源泉』 平山 高次訳 岩波文庫、1953
  • 『道徳と宗教の二源泉』 中村 雄二郎訳 白水社、1978
  • 『道徳と宗教の二つの源泉』 森口 美都男訳  中公クラシックス、2003
  • 『道徳と宗教の二つの源泉』合田 正人訳 ちくま学芸文庫,2015
  • 『道徳と宗教の二源泉』竹内 信夫訳 白水社,2016(予定)

道徳と宗教の二源泉 (岩波文庫)

道徳と宗教の二源泉 (岩波文庫)

道徳と宗教の二つの源泉〈1〉 (中公クラシックス)

道徳と宗教の二つの源泉〈1〉 (中公クラシックス)

道徳と宗教の二つの源泉 (ちくま学芸文庫)

道徳と宗教の二つの源泉 (ちくま学芸文庫)



『精神のエネルギー』について

  • 『精神のエネルギー』 渡辺 秀訳 白水社、 新装復刊版,2001
  • 『精神のエネルギー』 宇波 彰訳  第三文明社 レグルス文庫,1992
  • 『精神のエネルギー』  原 章二訳 平凡社ライブラリー,2012
  • 『精神のエネルギー』 竹内 信夫訳 白水社,2014


精神のエネルギー (レグルス文庫)

精神のエネルギー (レグルス文庫)

精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)

精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)


『思考と動くもの』

  • 『思想と動くもの』 河野 与一訳 岩波文庫,1997
  • 『思想と動くもの』矢内原 伊作訳 白水社,2001
  • 『思考と運動』 宇波彰訳、レグルス文庫, 2009
  • 『思考と動き』 原 章二訳 平凡社ライブラリー, 2013
  • 『思考と動くもの』 竹内 信夫訳 白水社,2016(予定)

思想と動くもの (岩波文庫)

思想と動くもの (岩波文庫)

思考と動き (平凡社ライブラリー)

思考と動き (平凡社ライブラリー)

ベルグソン全集〈7〉思想と動くもの

ベルグソン全集〈7〉思想と動くもの



『笑い』

  • 『笑い』 林 達夫訳 岩波文庫,1976
  • 『笑い─ 喜劇的なものが指し示すものについての試論 』 竹内 信夫訳 白水社,2011
  • 『笑い/不気味なもの』原章二訳 平凡社ライブラリー, 2016

笑い (岩波文庫 青 645-3)

笑い (岩波文庫 青 645-3)

笑い/不気味なもの (平凡社ライブラリー)

笑い/不気味なもの (平凡社ライブラリー)

2016年1月には、 原章二訳、平凡社から『笑い/不気味なもの』と題して出版される予定。


しかしながら、今、何故ベルクソンなのか?

2006年刊の「ベルクソン読本」新装版が2013年、2009年12月「思想、ベルクソン生誕150年」の2冊の解説本がある。

ベルクソン読本 〈新装版〉

ベルクソン読本 〈新装版〉


前者では、「ベルクソン著作解題・研究紹介」(277頁〜311頁)がきわめて有用であり、後者は、藤田尚志「ベルクソン研究の現在」が参考になる。


ベルクソンドゥルーズの方向が、ベルクソン・ブームだった時期から、ベルクソン哲学の現代的な再評価が主体化されたのだろうか。竹内信夫個人訳『新訳ベルクソン全集』(白水社)は、ほぼ全貌が視えてきた。

平凡社ライブラリ版の原章二訳は、大変読みやすく、既刊2冊はベルクソン入門には最適の訳となっている。
熊野純彦による岩波文庫版・新訳は、注目すべき2015年の翻訳だった。

今年は漱石関係の書物に集中していたので、どうしてもベルクソンとの関係が気になる。
漱石による英語版「時間と自由」への感想は、

「余ハ常ニシカ考え居タリ、ケレドモ斯ウシステムヲ立テ、遠イ処カラ出立シ此所ヘ落チテ来ヤウトハ思ハザリシ」
(p.41『漱石全集』27巻)


と『時間と自由』英文版の余白に記している。


また、沼波瓊音宛書簡(大正二年七月十二日)には

ベルグソンは立派な頭脳を有したる人に候あの人の文を読むと水晶に対したるが如く美しき感じ起り候夫カラ其態度が超然として逼らず怒らず余計な事を云わず必要な事をぬかさず。人格さえ窺はれ候。奥ゆかしき学者に候。(p.183『漱石全集』24巻)


とまで、絶賛している。漱石ベルクソンに出会ったのは、「修善寺の大患」後であり、一般的には『道草』での言及がよく知られている。しかし、『彼岸過迄』『行人』『心』『硝子戸の中』『道草』は、ベルクソンの「時間」「記憶」「持続」などの思考に関係すると思われるのだが。