<漱石の初恋>を探して

荻原雄一『<漱石の初恋>を探して 「井上眼科の少女」とは誰か』(未知谷,2016)は、昨年出版された『漱石の初恋』(未知谷,2015)を、ドキュメンタリー風にたどった作品である。

漱石の初恋

漱石の初恋


そもそも漱石の恋人説は、江藤淳の嫂登世説から始まる。大塚楠緒子説を出した小坂晋、日比野れん説の石川悌二。花柳界の女性説の宮井一郎

いずれの恋人説も、漱石初恋の女性が、漱石全ての作品に関係するという読み方だ。


例えば、「文鳥」の中の一節は、石川悌二によって日比野れんに。


文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

 昔美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えているところを、後から、そっと行って、紫の帯上の房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫廻まわしたら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後あとである


例えば、『永日小品』の「こころ」からは宮井一郎が、「花柳界の女」に。


夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

やがて散歩に出た。・・・(略)・・・するとどこかで、宝鈴が落ちて廂瓦に当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路の入口に一人の女が立っていた。何を着ていたか、どんな髷に結っていたか、ほとんど分らなかった。ただ眼に映ったのはその顔である。その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉と額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。百年の後のちまで自分を従えてどこまでも行く顔である。黙って物を云う顔である。女は黙って後を向いた。追いついて見ると、小路と思ったのは露次で、不断ふだんの自分なら躊躇するくらいに細くて薄暗い。けれども女は黙ってその中へ這入はいって行く。黙っている。
けれども自分に後を跟けて来いと云う。自分は身を穿めるようにして、露次の中に這入った。


例えば、『三四郎』の中で広田先生の見た夢は、荻原雄一陸奥清子に。


三四郎 (新潮文庫)

三四郎 (新潮文庫)

「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが、そのほうが、新聞の記事より聞いていても愉快だよ」
「ええ。どんな女ですか」
「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」
 三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。
「いつごろお会いになったのですか」
「二十年ばかりまえ」
 三四郎はまた驚いた。
「よくその女ということがわかりましたね」
「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子をかぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙の法則は変らないが、法則に支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装なりをしている。髪も昔の髪である。黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」

特に、この夢の中の少女を、荻原氏は「井上眼科の女」と解して、その少女は、陸奥宗光の第二夫人との間の娘「清子(さやこ)」だということを、陸奥宗光関係資料から、清子の写真を入手する。漱石が描く少女に符合するというわけだ。この少女が「井上眼科の女」であり、明治24年のカルテに記載されているところまで突きとめる。しかし、明治24年漱石が「井上眼科」に通院した年のカルテは不明だった。


漱石の伝記から、なぜ四国の松山中学に赴任したのか、その理由は「井上眼科の女」にある、という説だ。伝記的な実証をいくら重ねても、漱石テクストと合致する保証はない。恋人説を主張する5人は、伝記的なことを作品の中に読み取る方法を取る。


しかし、漱石の初恋の女性が、全ての作品に出てくるというのは仮説であり、生涯、初恋の女性を想い続け、作品に反映させているということは証明できない。


伝記的事柄と漱石テクストとの過剰な関係に依存する。しかし、それは、読み手の思い込みに過ぎない。


問題の明治24年の井上眼科のカルテが見つかった場合、夏目金之助陸奥清子の二人が同じ日に記録されているはずでる。だからと云って、「井上眼科の女」は陸奥清子であり、漱石の初恋の人であったということになるのだろうか。少なくとも、明治24年のカルテの全てに、誰が患者としてきていたのか、特に少女の場合は、陸奥清子ひとり、とは限らない。



子規宛て書簡(明治24年7月18日)

ゑゑともう何か書くことはないかしら。ああそうそう、昨日眼医者へいった所が、いつか君に話した可愛らしい女の子をみたね。ー銀杏返しに竹はなをかけてー天気予報なしの突然の邂逅だからひやつと驚いて思はず顔に紅葉を散らしたね。丸で夕日に映ずる嵐山の大火の如し。


「井上眼科の女」への言及は子規宛て書簡に以上のように書かれている。「可愛らしい女の子」への一瞬の思慕と思えばいいのではないか。

伝説と化した「井上眼科の女」とは、漱石一流の作物であるかも知れないではないか。


『舞姫』―エリス、ユダヤ人論

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