漱石没後生誕記念


2016年2月12日「朝日新聞」に、現在再連載中の『門』が3月に終了したあと、『夢十夜』を、4月1日から、『吾輩は猫である』の連載告知があった。


夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)


岩波書店が、没後100年を記念して、12月より『定本漱石全集』刊行予定も告知されている。漱石作品は、文庫本を新字・新カナで発行されているので、せめて研究用に定本版は、旧字・旧カナでの出版を期待したいのだが、実際は、平成版全集の増補版で終わるのではあるまいか。

定本と称するからは、原稿と初出、初版・重版・再版などを校訂し、旧字はルビで対応すればよい。

漱石全集〈第9巻〉心

漱石全集〈第9巻〉心

さて、「朝日新聞」の漱石没後100年・生誕150年にあたる、2016・2017年は、その前年2015年4月から『こころ』の再連載から始まり、『三四郎』『それから』そして現在は『門』再連載中。


三四郎 (岩波文庫)

三四郎 (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

それから (岩波文庫)

門 (岩波文庫)

門 (岩波文庫)


2016年は、『夢十夜』と『吾輩は猫である』の新連載で一年が終わる。『猫』は初出が『ホトトギス』だから、「朝日新聞」への連載は、始めてということになる。岩波文庫をそのまま転載することはないとは思うが、その場合は「校訂」「注記」がどの程度なされるかだ。

生誕150年の2017年は、『猫』が終わり、1年間の掲載期間を考えると、『硝子戸の中』と『道草』までが、妥当なところか。

硝子戸の中(うち) (岩波文庫)

硝子戸の中(うち) (岩波文庫)

道草 (岩波文庫)

道草 (岩波文庫)


漱石は100年後の評価を予感していた。実際に、漱石の評価は戦前はそれほどではなかった。
正宗白鳥が『虞美人草』を「美文で塗り潰された退屈な小説」「近代化した馬琴」と批判し、「『心』『行人』『明暗』など、漱石晩年の作品に、私は、彼の心の惑いを見、悩みをこそ見るが、超脱した悟性の光が輝いているとは思わない」と記した「夏目漱石論」は漱石批判の嚆矢となった。小説の中で中野重治は、転向小説の一つとして「小説の書けぬ小説家」で、漱石の暗さを指摘し、漱石の弟子や注釈者が道学者先生に仕立てあげたと批判した。この二人がいわば代表的な漱石批判者だった。


新編 作家論 (岩波文庫)

新編 作家論 (岩波文庫)


戦後文学において、始めて漱石論が深められた。


荒正人が自らテクストを校訂した『漱石文学全集』(集英社、1970-1974)を出版し、その付録として膨大な『漱石研究年表』(1974)を刊行する。荒正人の死後、『増補改訂漱石研究年表』(1984)が刊行された。漱石の生涯を、日録風に年譜・年表として、読者に差し出されたのだ。


漱石研究年表

漱石研究年表



以後、1960年代から漱石研究は盛んになってくる。それまでは、小宮豊隆の『夏目漱石』が大きな定説として、一言にしていえば「則天去私」に至る、倫理的・道学的な偉大なる先生としての漱石


夏目漱石 上 (岩波文庫 緑 85-1)

夏目漱石 上 (岩波文庫 緑 85-1)

夏目漱石 中 (岩波文庫 緑 85-2)

夏目漱石 中 (岩波文庫 緑 85-2)

夏目漱石 下 (岩波文庫 緑 85-3)

夏目漱石 下 (岩波文庫 緑 85-3)


戦後、人間漱石として、再評価したのが、江藤淳であり、柄谷行人は『門』以下『こころ』まで作品構成的に断絶したあるいは破たんしているテクストとしての漱石論を提起した。


決定版 夏目漱石 (新潮文庫)

決定版 夏目漱石 (新潮文庫)

小説家夏目漱石 (ちくま学芸文庫)

小説家夏目漱石 (ちくま学芸文庫)


戦後文学者で言えば、大岡昇平『小説家夏目漱石』(筑摩書房,1988)は、漱石作品に「謎」はないが、人間漱石には謎があると喝破した。夏目金之助都落ち、四国の松山中学への赴任は謎の一つであるが、のちに、『坊っちゃん』を書いたのは、ロンンドン留学経験があったからで、『草枕』『二百十日』も熊本経験を題材することができた。


草枕 (岩波文庫)

草枕 (岩波文庫)

二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日・野分 (新潮文庫)


その結果、『鶉籠』にこの三篇を収めて出版したわけだ。『猫一』と『倫敦塔』がほぼ同時に、『猫二』の前に『カーライル博物館』を書き、『猫三』と同じ頃、『幻影の盾』『琴のそら音』を、『猫五』に続き『一夜』を、『猫六』と同じ頃『薤露行』、『猫八』と『趣味の遺伝』、『猫十』の直後、一気に『坊っちゃん』を書いたことに留意しなければならない。

この間の出版は、

  1. 吾輩ハ猫デアル(上篇)(初刊本)1905
  2. 漾虚集(初刊本)        1906
  3. 吾輩ハ猫デアル 中篇(初刊本) 1906
  4. 鶉籠(初刊本)         1906
  5. 文学論(初刊本)        1907
  6. 吾輩ハ猫デアル 下篇(初刊本) 1907

の順であったことは重要である。『漾虚集』『鶉籠』とともに、「朝日新聞」にこの4月から連載される『吾輩は猫である』の成立過程を押さえておこう。



蓮實重彦夏目漱石論』(青土社,1978)も、テクストを読み込むことで、<横たわる漱石>など斬新な漱石論が出てきたのだった。

今、最も信頼のおける漱石論は、大岡昇平の前掲書と柄谷行人『増補漱石論集成』(平凡社,2001)だろうか。


増補 漱石論集成 (平凡社ライブラリー)

増補 漱石論集成 (平凡社ライブラリー)


テクスト論から石原千秋小森陽一は、季刊誌『漱石研究』1号から18号(1993−2005)まで継続的に刊行された時期が、戦後からの研究の到達点であり、また、『漱石作品論集成』12巻(1990-1991)が、作品論の達成と評価されよう。膨大な漱石文献の中で、読むに価する研究成果は、江藤淳大岡昇平柄谷行人に、これらの作品研究が中心となるだろう。

さて、100年後の漱石解読に新たな挑戦は可能なのだろうか?

私たちが、漱石テクストについて考え、書こうとしていることは、既に誰かによって書かれていないだろうか。とりわけ漱石について、膨大な論文や研究が発表されている。それらは全て現前化されていないかも知れない。先行する研究論文を、確認する必要があるだろう。検索ツールについては、国立国会図書館(NDL)や国立情報学研究所(NII)のDBがある。検索方法は、ここでは触れないが、先行する研究論文についての確認だけは、怠ってはなるまい。


夏目漱石という生き方 (別冊宝島 2424)

夏目漱石という生き方 (別冊宝島 2424)