漱石の初恋


荻原雄一著『漱石の初恋』(未知谷,2014)を読了した。


漱石の初恋

漱石の初恋


漱石の恋人説に5人目の新説、その名前は清子(さわこ)と云う。これまでの、恋人には以下の諸説があった。例の「井上眼科の女」である。


決定版 夏目漱石 (新潮文庫)

決定版 夏目漱石 (新潮文庫)

漱石の愛と文学 (1974年)

漱石の愛と文学 (1974年)


以上の四名が、これまで漱石の恋人、あるいは漱石が終生あこがれた女性とされてきた。


荻原雄一氏は、中国の漱石研究家・崔萬秋氏が『三四郎』翻訳にあたり鏡子夫人に聞いた話として、序文に「漱石の初恋の対象は外務省某局長の娘」との記載があることから、著名な外交家の第二夫人との間の娘・清子(さわこ)にたどり着いた。


漱石の思い出 (文春文庫)

漱石の思い出 (文春文庫)


根拠として引用される文章は、鏡子夫人『漱石の思い出』など、該当する箇所は、これまでの諸説と同じものである。漱石の恋に引用される文章は、『文鳥』の「昔し美しい女を知っていた・・・」から、『夢十夜』の「第一夜」、『三四郎』の中で広田先生が見る夢の中の少女、『永日小品』の「心」に描かれる花柳界の女、などである。


文鳥・夢十夜・永日小品 (角川文庫クラシックス)

文鳥・夢十夜・永日小品 (角川文庫クラシックス)


荻原雄一が注目したのは、『趣味の遺伝』で紀州藩の武士の話から、紀州藩出身の外交官を時代状況から判別する。

すなわち、著名な外交官とは、陸奥宗光であり、その娘・清子(さわこ)こそ、漱石の恋の対象であり、終生忘れることができない「天上の女性」となったと、主張し証明する。


この考えで、宮井一郎と同じように漱石の作品群に、一人の女性(F)をめぐる二人の男性(Mとm)との葛藤を、初恋の女性・清子(F)を中心に謎解きされる。「天上の恋、地上の婚姻」として、作品の構図を収めてしまう。思いこみに引き寄せれば、全てがそのように解釈できることは、宮井一郎と同じである。


さて、これで漱石の初恋の相手と想定される女性が、五名になった。嫂・登世に始まる新・恋人説は、次々と現れた。大塚楠緒子、花柳界の女、日比野れん、陸奥清子といずれも、それぞれ説得性を帯びていると云えるかも知れない。


「井上眼科の女」を推測しても、漱石作品に常に反映されていると読むことにどこまで意味があるのだろうか。鏡子『漱石の思い出』は、あくまで文学を理解しない妻として、漱石を一番近いところで、外面を観察してきた女性である。漱石の内面は、作品に表現されているはずだから、作品=「フィクションのテクスト的現実」(蓮實重彦)を読み解くことこそ、漱石に迫る方法ではないだろうか。


漱石の恋人、あるいは初恋の人は、誰であれ漱石テクストにさりげなく挿入されている。その文章を「フィクションのテクスト的現実」として読むことこそが、漱石にかぎなく近づくのではあるまいか。


漱石論や漱石作品論は、膨大な数にのぼる。日本近代文学者で、漱石ほど多くの学者・批評家・読者に関心を持たれた作家はいないのではないだろうか。『漱石全集』をはるかに凌駕する研究は、もはや語り尽くされたと言えなくもない。ところが、毎年、数冊の漱石本が出版されるし、研究論文は数十篇書かれてきた。その総数は膨大な数で正確にカウントできないほどだ。特に戦後、漱石評価は高まるばかりで、同時代の文豪・鴎外への関心度に比べるても、圧倒的に漱石派が多い。


鴎外は、留学先においてドイツ人女性エリスとの恋愛を経て、『舞姫』に昇華されている。鴎外の初恋とはエリスを探し出すことで、何ほどかの解答が得られる。二人の妻への鴎外の思いも、ぼぼ通説が承認されているようであり、漱石の初恋ほど、繰り返し新たな恋人が出現するということはない。


漱石の初恋の人を探究することは、もういいのではないか。驚くべき人が今回、取り上げられているけれど、結局、それも一つの仮説に過ぎない。仮説が、伝説に転化し定着することはないのだ。