日本語で書くということ


水村美苗が『日本語が亡びるとき』(筑摩書房、2008)を出版したのは、二分冊となった『日本語で読むということ』『日本語で書くということ』(筑摩書房、2009)に収められたエッセイや評論の「序文」を書いているうちに、次第に長くなり序文が独立して『日本語が亡びるとき』となったようだ。今回、当初予定していたエッセイ集の分量が増えたために二分冊になったということが『読むということ』の「あとがき」に書かれている。二分冊のうち『日本語で書くということ』を、まずは読了した。


日本語で書くということ

日本語で書くということ


本書のなかで、漱石論と谷崎論が傑出して面白い。漱石関係の論考が4編あり、とりわけ『行人』と『虞美人草』の解釈が刺激に満ちている。

『行人』とは、一郎が自分の妻お直の「本体」を知ろうとして、少しづつ精神の均衡を失って行く小説である。(p.105「見合か恋愛か―夏目漱石『行人』論」)

女の心自体、まさに透視できないものとしての内面性の「比喩」として、機能してきたのである。透視できない内面性とは、その中心にある自由意志が不可侵であるがゆえに、人間の主体性もっとも本質的に規定するものだとされる。恋愛にとらわれ、<自然>と<法>という対立にとらわれ、女の心にとらわれた一郎は、より根源的に、そのような内面性、そしてそのような内面性に規定される「主体」にとらわれているのである。(p.107「見合か恋愛か―夏目漱石『行人』論」)


女性ならではの鋭い指摘であり、なるほどと思わせる。

虞美人草』が明確にするのは、そこにある「藤尾的なもの」が定義不可能でありながら、漱石にとって「殺して」しまいたいほどの「嫌悪」の念を起こさせるものであったということだけである。そして、この『虞美人草』は確実にある「嫌悪」は、まさに「嫌悪」として対象化されるべきものである。なぜならそこにある「嫌悪」が対象化されてはじめて、漱石の「転換」が見えてくるからである。「男と女」の世界に天誅を加えた『虞美人草』を経たあと、まさにそれゆえに、漱石ののちの小説は、「男と女」の問題に深くかかわる策火となる。(p.155「「男と男」と「男と女」―藤尾の死」)


漱石がなぜ「三角関係」を好んで取り上げたのか、その理由を解明する示唆に富んだ識見になっている。そして、こう結論づける。

日本近代文学において漱石の作品のなかでのみ、女たちは精神のある人間として呼吸している。―そもそも漱石以外の誰が自分の精神の誇りゆえに死ぬような女を描いてしまったりしただろうか。(p.160「「男と男」と「男と女」―藤尾の死」)


谷崎潤一郎については、言語的側面からズバリ次のとおり指摘する。

日本の小説家のできることは、日本語と西洋語のちがいを日本語の欠点と捉えずに長所として捉え、それを生かした作品を書くことである。「転換期」にあった谷崎は、この当たり前すぎるほど当たり前のことを、言葉を尽くし、あれこれと例を挙げ、くり返し力説したのだった。そして自説通りの優れた小説を次々と発表した。・・・日本の小説家たちの間では、日本語が西洋語とちがうという認識さえ共通しているとは言えない。(p.163「谷崎潤一郎の「転換期」―『春琴抄』をめぐって」)


水村美苗がいかに言語に自覚的であるかを証明する言葉である。小説を書く理論家として、水村氏の評論はつねに言語の本質から文学をみている。

とりわけ巻末のポール・ド・マンに関する二編の論考は、言葉に敏感な著者ならではの考察である。

「告発されているのは、ある人間の哲学的な誤りではなく、言語そのものである」。これは「時間の修辞学」の直後にデリダのルソー批判を批判するド・マンの言葉である。その文脈のなかではデリダに向けられているこの言葉は、読み違えの批判から、テキストの可読性の批判へと移っていったド・マン自身の変化を物語るものである。・・・(中略)・・・告発すべきであった言語の代わりにルソーを告発したデリダを告発するド・マンは、かれ自身が告発する行為をここで自ら繰り返している。(p.208−209「リナンシェイション(拒絶)」)