本の収穫2009

今年の収穫、書籍の部。
村上春樹の新作は、話題が先行しながら、文学作品として異例の大ベストセラーになった。

村上春樹1Q84』(新潮社、2009)

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2


水村美苗『日本語で読むということ』(筑摩書房、2009)
水村美苗『日本語で書くということ』(筑摩書房、2009)

日本語で読むということ

日本語で読むということ

日本語で書くということ

日本語で書くということ

高山宏『かたち三昧』(羽鳥書店、2009)

かたち三昧

かたち三昧

柄谷行人柄谷行人政治を語る』(図書新聞、2009)

山田宏一和田誠共著『ヒッチコックに進路を取れ』(草思社、2009)

ヒッチコックに進路を取れ

ヒッチコックに進路を取れ

◎鷲津力編『加藤周一が書いた加藤周一』(平凡社、2009)

加藤周一が書いた加藤周一―91の「あとがき」と11の「まえがき」

加藤周一が書いた加藤周一―91の「あとがき」と11の「まえがき」

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

高橋源一郎『13日間で「名文」を書けるようになる方法』(朝日新聞出版、2009)

13日間で「名文」を書けるようになる方法

13日間で「名文」を書けるようになる方法

内田樹『日本辺境論』(新潮新書、2009)

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)


ウチダ流日本論「辺境」の設定は、中心と周縁に寄せて、いわゆる中華思想のなかで、歴史的に日本が外来思想の輸入とその日本化という丸山眞男の「執拗低音」に依拠しながら、学問(師と弟子)、言葉(真名と仮名)に触れることで、内田的「阿吽の世界」へ読者を誘導する。
中国から漢字を輸入し「真名」と、日本固有のことばを漢字から作成した「仮名」としたことが、まさしく辺境を象徴する事実であろう。このような思考法は、明治以後の近代社会においても、西洋の近代知を漢字二文字に置き換えたこと、しかも西洋哲学の輸入は、常に新しい思想に価値があるとして、思想が流行化して上書きされていくこと。外来思想の取り込み方は「執拗低音」というスタイルで一貫している。


川上未映子『ヘヴン』(講談社、2009)

ヘヴン

ヘヴン

◎ジョン・グレイ『わらの犬 地球にに君臨する人間』(みすず書房、2009)

わらの犬――地球に君臨する人間

わらの犬――地球に君臨する人間

古山敏幸『映画伝説ジャン=ピエ−ル・メルヴィル』(フィルムアート社、2009)

映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル

映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル

荒川洋治『文学の門』(みすず書房、2009)

文学の門

文学の門

「文学は実学である」と主張する著者の、エッセイ集。

加藤秀俊『メディアの誕生』(中央公論新社、2009)

メディアの発生―聖と俗をむすぶもの

メディアの発生―聖と俗をむすぶもの

高橋正雄漱石文学が物語るもの』(みすず書房、2009)


漱石について、精神分析的視点から「神経衰弱」だの「統合失調症」だの、その症例が様々に語られるなかで、本書は出色の「漱石論」になっている。


◎サイモン・シャーマ、高山宏訳『レンブラントの目』(河出書房新社、2009)

レンブラントの目

レンブラントの目


12月初旬に出版されたばかりで未読ではあるが、出版予告が出てから何年も待った。大著である。自画像が異常に多いレンブラントに迫る書物であり、少しづつ読むつもりだ。

古井由吉『人生の色気』(新潮社、2009)

人生の色気

人生の色気

古井氏の小説は難解であると言われている。本書の古井氏の考え方の基本がわかる。

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今年9月に政権交代が実現し、流行語大賞まで受賞してしまったが、今、この人ならどう発言するだろうか、という「大知識人」が不在なのは如何ともし難い。たとえば、丸山眞男なら、あるいは加藤周一なら、この状況についてどう語るだろうか。

知識人の不在について、論壇の拡散化や情報メディアの多様化など言われるが、もっと根本的にグランドデザインを描ける知識人がいなくなって久しい。丸山眞男が『日本の思想』で指摘した「ササラ型」と「タコツボ型」という文化の在り方が、今なお、いやより一層「タコツボ型」になっているのでないだろうか。

学者が専門領域にとどまり、一般人に語りかけることがなくなってしまった。新聞メディアの衰退に象徴されるようにネット情報への依存度の高まりによるためとは言えないだろう。

本について根本的に考え方を変えないといけない。新刊を追うこと自体の意味は「いま・ここ」へのこだわりであり、遡及的な読書、換言すれば古典への回帰である。


◎熊田敦美『三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録の出版文化史』(勉誠出版、2009)

三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録 の出版文化史

三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録 の出版文化史

今年は『国書総目録』にお世話になった。

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ここまで書いてきて前田塁の本に出会う。奥付けは2010年1月になっているが、年末ぎりぎりで入手した。

前田塁『紙の本が亡びるとき?』(青土社、2010)

紙の本が亡びるとき?

紙の本が亡びるとき?

Googleが提唱し進捗しつつある「ライブラリープロジェクト」や「ブック検索」は、本の形をドラスティックに変えてしまう。1)データベースの会員制閲覧、2)端末からのオンデマンド出版、3)書籍の一部分割販売、4)PDFでのデータ販売、の四つの商用使用が可能となるという。前田氏によれば、フーコーのいう「言説を所有する」欲求に従い、人々は無数の書籍の断片を所有することになる。さて・・・。