暗殺者たち


『新潮』2013年2月号に、黒川創著「暗殺者たち」が冒頭に収録されていて、漱石の全集未収録作品で、「満州日日新聞」明治42年11月5日、6日にわたり掲載された「韓満所感」が、マイクロフィルム版と、活字に翻刻したものを付録として黒川作品に付されている。


新潮 2013年 02月号 [雑誌]

新潮 2013年 02月号 [雑誌]


韓満所感」は、伊藤博文ハルビンで射殺されたことに触れているが、内容的には「満韓ところどころ」を補完するものであり、漱石は知人・友人への配慮は記されるけれど、伊藤公事件そのものへの政治的見解は控えている。


漱石文学全集 (第10巻)

漱石文学全集 (第10巻)


黒川氏の作品「暗殺者たち」は、ある作家がロシアのペテルブルク大学で講演する体裁をとっている。批評なのかノンフィクションなのか、小説なのか判然としない。しかし、読み始めると安重根から始まり、大逆事件で処刑された幸徳秋水や菅野須賀子や、大石誠之助などに言及して行くことになる。事件当時、獄中にいたため逮捕をか免れた荒畑寒村は、菅野須賀子の元夫であり、幸徳秋水を事件に巻き込むことになった菅野須賀子を中心に、講義(物語)は進められる。


黒川氏は、作家が答えるかたちで、「本当にテロリストと呼ばれるに値する行動を取れたのは、伊藤博文安重根、この二人」と答えている。伊藤公は維新時に、実際テロリストとして活躍していたことも「暗殺者たち」で明かされている。


日高六郎・95歳のポルトレ―対話をとおして

日高六郎・95歳のポルトレ―対話をとおして


「暗殺者たち」は読みがいのある良い作品だった。しかも漱石全集未収録の「韓満所感」を発見したのだから、凄いことだ。


満州日日新聞」明治42年11月5日
韓満所感(上)」東京にて 夏目漱石

昨夜久し振りに寸閑を偸んで、満州日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認め出すと、伊藤公が哈爾賓(はるびん)で狙撃されたと云ふ號外が来た。哈爾賓は余がつい先達て見物に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラットフオームは、現に一ケ月前余の靴の裏を押し付けた所だから、希有の兇變と云ふ事實以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた。ことに驚ろいたのは大連在滞中に世話になったり、冗談をいったり、すき焼きの御馳走になったりした田中理事が同時に負傷したと云ふ報知であった。・・・


満州日日新聞」明治42年11月6日
韓満所感(下)」東京にて 夏目漱石

・・・(略)・・・歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸いにして日本人に生まれたと云ふ自覺を得たことである。内地に跼蹐してゐる間は、日本人程憐れな國民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終壓迫されてならなかったが、満州から朝鮮に渡って、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた。/同時に、余は支那人朝鮮人に生まれなくつて、まあ善かったと思った。・・・


ところで、「満韓ところどころ」では、哈爾賓へ行く手前で連載を終えている。明治42年12月4日が最後で、文末に、「まだ書く気はあるがもう正月だから一先やめる」と気分が乗らないようであった。


それにしてもなぜ「満州日日新聞」掲載の「韓満所感」が、100年以上も放置されてきたのか。最初の全集編集時に、漱石は「朝日新聞」の社員であり、『虞美人草』以降の作物はすべて「朝日」に掲載されていたため、「韓満所感」が見逃されてきたのだろう。内容的にみれば、福澤「脱亜論」のように引用・利用される懸念があるが、伊藤公については、小説『門』で言及されているし、政治的な意見は控えておくと断っているので、福澤とは全く異なる所感である。


門 (岩波文庫)

門 (岩波文庫)


満鉄総裁であった中村是公に誘われ、満韓旅行にでかけていたが、帰国後、「朝日」に「満韓ところどころ」の連載が始まり、その途中で、「満州日日新聞」への寄稿を依頼されたものと推測される。本文の閲覧や複写は、国立国会図書館にて可能だが、「朝日」以外に、漱石作品が掲載されている可能性がゼロとは言えなくなった。


満韓ところどころ

満韓ところどころ