漱石辞典


漱石没後150年。ついに出た『漱石辞典』(翰林書房,2017)は、漱石事典ではなく、あくまで「ことば」に拘った、辞典であるところが、これまでの<各種漱石事典>と異なるところである。


漱石辞典

漱石辞典



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となっており、すべて漱石が使用した<ことば>にかかわる。

執筆者が高山宏氏の「ヌーボー式」「夢十夜」「ミケランジェロ・ブオナローティ」「ラファエロ・サンティ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」にしっかり<マニエリスム>を書き込まれていることを確認した。


さてさて。

現在岩波書店から刊行されている『定本漱石全集』は、漱石の自筆原稿を底本としているため、発表当時に活字化されたテキストではなく、平成版で登場した新しいテクストによるもので、漱石が発表していた活字化された内容と異なる文を定本化している。なぜ、こんな事態になっているのか。

平成版『漱石全集』発売時、山下浩氏は読者が読まなかった文字を、全集として刊行することに意義申し立てを行い、初出を復刻したことは、斯界では周知のことである。

そもそも、著者が書いた直筆原稿を読む読者とは、研究者以外いないだろう。作品とは読者のために存在しているのではないだろうか。岩波平成版漱石全集のテキストは読者を想定していないことが一番の問題なのである。

従って、『定本漱石全集』は一冊のみ購入したが、継続にはしていない。テキストの信頼性の問題である。小生は漱石の読者である。


漱石記念年の刊行物。

石原千秋著『漱石と日本の近代(上)』『漱石と日本の近代(下)』(新潮選書,2017)

漱石と日本の近代(上) (新潮選書)

漱石と日本の近代(上) (新潮選書)

漱石と日本の近代(下) (新潮選書)

漱石と日本の近代(下) (新潮選書)


石原氏は、漱石のテキストを岩波の全集ではなく、新潮文庫から引用している。つまり平成版から始まり定本版に至るテキストは、これまで読者が読んできたテキストではない、という理由からだ。納得できる。


石原千秋編著『夏目漱石坊っちゃん』をどう読むか』(河出書房新社,2017)


石原千秋小森陽一共著『漱石激読』(河出ブックス,2017)

漱石研究』(翰林書房)の終刊以来、石原・小森対談は10年振りとなる。熱い語り口が刺激的である。


いとうせいこう奥泉光漱石漫談』(河出書房新社,2017)



半藤一利著『漱石先生がやってきた』(ちくま文庫,2017)

吾輩は猫である』パロディとしては傑作だと思った。面白い。漱石の教師現役時代と交錯させている。


増田裕美子著『漱石のヒロインたちー古典から読む』(新曜社,2017)

小林敏明著『夏目漱石西田幾多郎』(岩波新書,2017)

『憂鬱なる漱石』の著者・小林敏明氏は『西田幾多郎の憂鬱』(岩波現代文庫,2011)を刊行している。同時代人であった二人に共通する<憂鬱>なる概念を読み解く。

憂鬱なる漱石

憂鬱なる漱石

西田幾多郎の憂鬱 (岩波現代文庫)

西田幾多郎の憂鬱 (岩波現代文庫)


これら漱石論から、新たな漱石像がでてくるのだろうか。漱石論の上書きは、基本的にあり得ない。研究的な新説が提出されているかどうか、だ。

他に、

大井田義彰編『教師失格 夏目漱石教育論集』(東京学芸大学出版会,2017)

教師失格 夏目漱石教育論集

教師失格 夏目漱石教育論集

という漱石作品の編集本も出ている。まさに、漱石没後150年。
漱石辞典』はどのように読まれるのだろうか?


■追記(2017年6月28日)
漱石論のいわゆる論争は20世紀末の「こころ」論争以来、とりわけ21世紀に入り、論争らしきものはない。
その点から言えば、『夏目漱石事典』(學鐙社,1992)も依然として重要である。併用されるべき内容であることに変わりはない。