もう一度倫敦巴里


和田誠著『もう一度倫敦巴里』(ナナロク社,2017)を読む。といっても話の特集から出ていた原本『倫敦巴里』(1977)を所有していたはずだが、見つからない。復刻というより、「『雪国』海外編」」「雪国・70年2月号・73年11月号・75年2月号・77年2月号のつづき」が増補されている。


もう一度 倫敦巴里

もう一度 倫敦巴里


川端康成『雪国』の冒頭部分を、他の人が書いたら、という設定でのパロディで、なにより蓮實重彦が最高である。いかにも蓮實重彦が書きそうな文体で、「。」が一つしかない。すべてを「、」で繋ぐ手法は、映画評論『シネマの記憶装置』(フィルムアート社,1979)『シネマの煽動装置』(話の特集,1985)の文体模倣、パロディとして見事というほかない。実に、笑ってしまうのだ。


シネマの記憶装置

シネマの記憶装置

シネマの煽動装置 (1985年)

シネマの煽動装置 (1985年)


『倫敦巴里』(話の特集)の元版は、1977年刊行であり、リアルタイムではないけれど、その旧版を所蔵していたが、現在、現物を確認できない。で、新版に付録として「『もう一度倫敦巴里』に寄せて」と題する小冊子がついている。

清水ミチコ「倫敦巴里リターンズ」、堀部篤史「『倫敦巴里』って何なの?」、丸谷才一「戯画と批評」、谷川俊太郎「やきもき」の4篇である。清水ミチコは、モノマネのセンスとして、堀部氏は、「『倫敦巴里』はパロディの対象や引用元を知らずとも楽しめる優れた作品であり、そういうものに触れれば引用元や関係性を知りたくなる」と、絶賛している。

『兎と亀』は、世界の映画監督がイソップ童話に「兎と亀」を撮ったらという前提のもと、シナリオの形で、いかにもその監督ならではのカット割りやキャメラの動きまで指示している。