ドゥルーズ『シネマ2』


ジル・ドゥルーズ『シネマ1(Cinema 1: L'image-mouvement 』(1983) と『シネマ2(Cinema 2: L'image-temps )』(1985) の2冊の翻訳を待つこと20年以上となった。法政大学出版局から、この10月下旬に宇野邦一訳『シネマ2−時間イマージュ』が刊行されるらしい。*1


文字どおり待望久しい翻訳出版だ。映画の基本的文献。ドゥルーズによる映画理論の集大成であり、早く読みたい。翻訳本がなく、きわめて特権的にドゥルーズから様々な引用がなされてきた。フランス現代思想の専門家たちが、自己の読解によって、ドゥルーズの『シネマ』が語られてきた。まず翻訳本を出し、その上で議論を展開すべきではなかったか。『シネマ』の翻訳の遅れが、映画批評を「お遊び」にしてしまったのではないか。


もちろん、映画の見方は自由であり、観る者の数だけ解釈があることは確かだ。その上で、映画の形而上学的読解の一つの規範として読めばよい。私の関心からドゥルーズに接近する方法としては、『シネマ』がもっとも望ましいが故に、期待するところ大なのである。『シネマ1』の刊行も待たれる。


映画について知るには、小津安二郎溝口健二黒澤明の三人の映画を観れば基本が分かる。小津安二郎の固定しいたキャメラによるローアングルの正確無比な画面構成。カットのつなぎによってフィルムが編集される。溝口健二の基本は、ワンシーン=ワン・カットの長回しによる、ロングショット。一方、黒澤は複数のキャメラによる自由自在でリアルな演出。日本映画に関しては、この三人の作品を観れば、他の映画は、三人の手法から影響を受けた何らかの模倣になっている。


小早川家の秋 [DVD]

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西鶴一代女 [DVD]

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用心棒 [DVD]

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映画批評は、双葉十三郎による『ぼくの採点表 西洋シネマ体系』全5巻がお勧め。特に、第1巻の1940〜1950年代が圧巻。すべてがリアルタイムで観た時点での、鋭く、時にはユーモア溢れる優れた映画事典となっている。


外国映画ぼくの500本 (文春新書)

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日本映画 ぼくの300本 (文春新書)

日本映画 ぼくの300本 (文春新書)


これらを前提に、ドゥルーズの『シネマ』の翻訳を早く読みたいものだ。今月一番の期待本。

『差異と反復』『アンチ・オイディプス』『千のプラトー*2に続いて出版された、ドゥルーズの最も浩瀚な書物が『シネマ』2巻本なのだ。


ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)

ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)


翻訳者の宇野邦一は、『シネマ』について次ぎのように述べている。

映画についての思索である以上に、世界としての映画について、映画に介入され、何かしら映画のようなものになってしまった世界についての思索なのである。そして精密な哲学的記述でありながら、映画作品の一つ一つの断面を、切り子ガラスのカット面のように集積していて、ほとんど現代世界についての稀有な理論的<小説>として読むこともできる。(p.217『ドゥルーズ流動の哲学』)


ますます早く読みたくなる。<小説>として楽しく読みたいものだ。20年も待ったのだから。


差異と反復

差異と反復

千のプラトー―資本主義と分裂症

千のプラトー―資本主義と分裂症



■補記(2006年10月5日)


ドゥルーズ『アンチ・オイディプス』が、宇野邦一新訳で河出文庫から出版される。これを機に再挑戦したい。また、ドゥルーズが編集したベルクソン『記憶と生』(未知谷、1999)も気になる本だ。


アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)

記憶と生

記憶と生

*1:最新の情報では11月6日配本(10月23日現在)。「叢書・ウニベルシタス856」として発売される。『シネマ1』は、2007年6月刊行予定。

*2:これらドゥルーズの代表作は、いずれも途中で挫折した苦い経験がある。だからこそ『シネマ』なのだ。