アマデウス ディレクターズカット版


ミロス・フォアマンアマデウス』(1984, 160分)を公開時にスクリーンで観て以来、今回、「ディレクターズカット版」(2001,180分)をスクリーンで観る。この20年間に本作を観る上での、決定的な違いは、ロケ地であるプラハを訪れたことと、モーツァルトのオペラを観劇できたことだろう。



20分長くなった「ディレクターズカット版」は充実していた。サリエリが、病院でモーツァルトを殺害したと神父に告白するシーンから始まるフィルムの存在感、18世紀ウイーン時代の雰囲気がプラハと分かっていても、懐かしいような想いを誘う。


モーツァルトが天才ぶりをしめすシーンは、歓迎のためにサリエリが作曲したチェンバロ曲を皇帝ヨゼフ二世がたどたどしく弾くと、それを聴いたモーツァルトは楽譜なしで、凡庸な作品を、いかにもモーツァルトチェンバロ曲に仕上げる光景だ。サリエリでなくとも、天才モーツァルトに対する畏怖の思いが、ため息へと転化するシーンだ。


モーツァルトが伯爵の娘の音楽教師の再就職を依頼にくるシークエンスがあり、豪華な書斎を通るが、ここは、その美しさで著名なストラホフ修道院の図書室*1であることが分かる。


トム・ハルス扮するモーツァルトが、オペラの指揮をするシーンをキャメラが舞台側から捉え、数々の名曲を楽しく見せてくれる。いかにモーツァルトの音楽が美しく心弾む楽曲であるかは、時代を経るに従って、かつては上演されなかったオペラまで、ほぼ全作上演されるまでになったことでも解かる。歴史とともに、モーツァルトは成長する作曲家なのだ。



アマデウス』では、ネビル・マリナーが指揮監督を務めているが、マリナー指揮・アカデミー室内管弦楽団の「フルートとハープのための協奏曲」は私には忘れらない思い出がある。まあ、そんなことはどうでもよろしい。モーツァルト生誕250年、オペラをはじめ交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ・ソナタ*2,ディベルティメント、どのモーツァルトも多様な演出、演奏で私たちを楽しませてくれる。


モーツァルト:ピアノソナタ集

モーツァルト:ピアノソナタ集


アマデウス』は、モーツァルト役のトム・ハルスの嬌態ぶりと奇声によって、この映画をよりリアルに感じさせたし、サリエリ(F.マリー・エイブラハム=好演)の回想という形をとりながら、モーツァルトの半生を描いた傑作であることを再確認したのだった。天才は短い生涯でも、多くの優れた作品を残す。「レクイエム」作曲にいたるシーンは、ピーター・シェファー原作の舞台劇を、見事なまでに喜劇から悲劇への転調として描かれ、作品はモーツァルト自身へのレクイエムにもなっている。


フィガロの結婚』『魔笛』など、モーツァルトのオペラは上演される毎に、あらたなケルビーノやパパゲーノが出現することも楽しみだ。



モーツァルト生誕250年を記念して関係本が多数出版されている(未読あるいは読書中)。

モーツァルトを求めて (白水uブックス)

モーツァルトを求めて (白水uブックス)

モーツァルト 天才の秘密 (文春新書)

モーツァルト 天才の秘密 (文春新書)

新編 疾走するモーツァルト (講談社文芸文庫)

新編 疾走するモーツァルト (講談社文芸文庫)

モーツァルト オペラのすべて (平凡社新書)

モーツァルト オペラのすべて (平凡社新書)

*1:ストラホフ修道院の図書室は二つあるが、映画の背景は多分「神学の間」。

*2:モーツァルトのピアノ・ソナタを独特のタッチで極端に表現したグレン・グールドの演奏は、好きなCDだ。もちろん、グールドはバッハの「ゴールドベルク変奏曲」に尽きるが、グールドのモーツァルトも聴いて楽しい。