うつせみ


マンションや住宅街で玄関に飲食店の広告を貼りつけて行く青年。バイクで走り去る。その後、青年は同じ場所に戻ってきて、広告を貼り付けた家の玄関を確認して行く。広告が貼られたまま残されている家屋の鍵を持参した道具で開け、部屋の内部へ進入する。「空き家」(原題)を探して、泊りあるく青年テソク(チェヒ=イ・ヒョンギョン)は、ある日、一軒家で夫から暴力を受けて傷だらけになっている女性ソナ(イ・スンヨン)に出会う。冒頭からラストまで、一言も喋らないテソク。一方、ラスト近くまで同じようにひとことも言葉を発しないソナ。寡黙な二人は、動作の模倣と反復によって、気持ちが同化してゆく状況を捉える。『悪い男』を想起させるテソクだが、沈黙は最後まで続く。


うつせみ [DVD]

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キム・ギドクベネチア映画祭で受賞した作品『うつせみ』(2004)は、彼のフィルモグラフィ中でも究極のシンプルさが、我々の前に提示される。『悪い男』(2001)『春夏秋冬そして春』(2003)『サマリア』(2004)と観てくると、『うつせみ』が凝縮された世界であることが分かる。いわゆる韓流ドラマの懐かしいような愛とは、180度異なる極北の愛や、ぎりぎりの関係を好んで描いてきた。この作家には、賛否両論があるだろう。敢えて覗きたくない深層心理が表層化された世界。人間の内面に迫る映像。特異な世界も『うつせみ』では、自然な風景や凝った映像にはなっていない。


悪い男

悪い男


『うつせみ』は、ソナが見た夢の世界かも知れない。テソクが警察に捕らわれ、監獄独房の中で鳥のように、風のような不在になって行くシークエンスがきわめて刺激的な画面を構成している。何のために、存在を消去しようとしているのか。それは、解放されたあとソナの家に影のように住み込むためであった。およそ考えられない存在と化したテソク。ラストシーンは、ソナとテソクの二人が体重計に乗ると目盛りがゼロを指す。存在しているけれども実体がないことの象徴か。不思議な感覚に捉われる。


サマリア [DVD]

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キム・ギドクの発想のユニークさ、描き方の特異さ。韓国映画という枠から大きく飛翔している。スタイリシュではなく、むしろ不器用な印象を受ける。にもかかわらず、鋭角的な空間を造型している。人と人との関係、とりわけ男女関係の距離のとり方が、尋常ではない。異常なる関係の極限を描いている。いってみれば、現実に背を向ける似たもの同士がお互いを招き寄せる。以前にも拙ブログ触れたが、<救い>のない世界だ。『うつせみ』にも、朝鮮家屋でくつろぐシーンが唯一、心の安らぎを体験しているように見える。けれども、それも、仮の空き家に過ぎない。究極の<救い>は、周到に排除されている。優れた監督のみ持ち得る固有で特権的な世界、それがキム・ギドクのフィルムにほかならない。


春夏秋冬そして春 [DVD]

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キム・ギドクの世界 ?野生もしくは贖罪の山羊?

キム・ギドクの世界 ?野生もしくは贖罪の山羊?


キム・ギドクの新作『弓』(2005)が公開されている。
今年度カンヌ映画祭「ある視点部門」のオープニング作品となったフィルムで、要注目。