インターネットの法と習慣



Hotwired Japan』の連載に加筆され単行本化された、白田秀彰『インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門』(ソフトバンク新書,2006.7)を読む。まえがきで白田秀彰の姿勢が次のように述べられる。*1

情報時代においては、知的財のさまざまな形態での利用を禁ずることはよろしくない。むしろ、最も適切な媒体を利用しつつ自由な形態で提供することで、利用者の便宜を図るべきであると。(p.5)


著者の姿勢に賛同する。そして、上記文章から、実はローレンス・レッシグの『コモンズ』や『Free Culture』の日本版を期待していたが、内容は違っていた。

コモンズ

コモンズ

Free Culture

Free Culture


本書は、法制史的記述を主として、判例主義の英米法と法律主義の大陸法を比較・説明しながら、インターネット社会の法の確立も、現実社会の法制史を模倣するという見解になっている。


白田氏の記述のスタイルには、方向性が見えにくく、意図が読みとりにくい。法制史的な入門書としては、それなりに分かりやすいが、では、ネット社会の法制度はどのようにすべきかの明確な答えが示されない。


終章の「政治的回路を作ることについて」で次のようにまとめている。

私は「ネットワークには独自の法あるいは固有の価値がありうるはずだ」という主張を掲げている。ところが実際には、そうした独自の法や固有の価値は、なかなか成長し明確化されない。その理由として、私たちが「名」を賭けてネットワークにおいて活動することを避けようとするため、法が発生する基盤となる「責任帰属主体」がアヤフヤであること、「名」を掲げた主体が希薄であるため、規範形成に必要な権威の成長と典礼の整備が阻害されていること、とくに日本のネットワークにおいて、政治的に活動することが忌避されていること、を指摘した。(p.184)


白田氏は、霞ヶ関の官僚に接した印象から「回転の速さという点では、哲学思想家の学者の皆さんの方が圧倒的に速い」と述べる。そして、ネット社会については、ブロガー思想家に期待するという。

ネットワークにおいて政治的回路を形成するための最初のきっかけとなるのは、そうした思想家の登場だろう。・・・ネットにおいては、同様の機能を果たしているブロガー(web+log+er=webを記録する人)から現れるのではないかと、私は予測している。(p.202)


既存のシステムを「なにかヘン」だと感じるものを「言語化し顕現させる思想家があらわれ」、政治的な動きとして「もっともそれらしくない場」から「もっともそれらしくない姿」で現れるという。なんともすっきりしない結論だ。若い読者への期待感で終わる。


「ネットワークには独自の法あるいは固有の価値がありうるはずだ」という白田氏の言説を積極的に理解したい。しかしながら、本書は「奇妙な法学入門」に留まっている。率直にいえば、梅田望夫ウェブ進化論』のような刺激を受けることを期待していた。


ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)


知的財・著作権からいえば、「パブリックドメイン」化と、WWWがすなわちグローバル社会であると前提すれば、素人の発想だが「国際法」的視野からのアプローチができないのだろうか。web社会とは、「諸国家の揚棄」(柄谷行人)を内包しているのではあるまいかなどと考えるのだが・・・


世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

*1:それにしても、5頁の「肖像写真」のアナクロニズムは、一体何なのだろうか。