小沢昭一的新宿末広亭十夜


小沢昭一が、新宿の末広亭で10日連続高座に出た。そのときの記録が『小沢昭一的新宿末広亭十夜』として発売された。積読から、本日読了した。



小沢昭一的新宿末廣亭十夜

小沢昭一的新宿末廣亭十夜



キネマ旬報』2006年8月上旬号が「追悼 今村昌平」で、北村和夫長門裕之、緒方拳などとともに、小沢昭一が「僕の魂の核になるものを肌身で教えてくれた」と談話を寄せている。


今村昌平のほとんどの作品に出た小沢昭一からみた監督像とは、次のとおり。

彼はどんどん自分にないものを取り込んで、いつのまにか怪物的な人間になっていった。そのために、どんどんね、世間じゃ不埒だと言われるようなことでも実行してきた(笑)。ただ、素質的に怪物ではなくて、怪物たらんと努力を積み重ねた、と、そういう感じがするんだけどね。僕は”人間が変わる”ということをあんまり信じないんだけど、今村昌平という男に関しては、ああ、理想像を自分の中で築き上げ近づこうとしてなれる人間もいるんだな、と感心していました。・・・彼のモノの考え方に共鳴し、人間を冷ややかに、あるいは温かく楽しく、裏も表も見つめるようになった。そういう意味でも、恩人だと僕は思っているんです。(p.41)


今村昌平を身近で捉えた卓見である。人をみる眼の確かさこそ「小沢昭一的こころ」といえよう。


さて、『小沢昭一的新宿末広亭十夜』は、柳家小三治から「寄席」に出てみないかとの誘いに快諾し、忘れ去られた寄席芸人を中心に、小沢昭一的語り口によって、過去の人物が眼前によみがえるほどの素敵な芸を披露している。


戦前戦中の尺八芸人・扇遊の尺八芸が面白い。講座でひたすら尺八を磨くだけという芸があったとは、いやはや。添田啞蝉坊の大正演歌「金々節」が披露され、延々、「金、金、金」の歌がつづく。寄席芸人が、画一的ではなく、様々な芸を持つ多様性があったことが、小沢昭一的語りで復元される。見事な話芸。


小沢昭一といえば、まずは映画俳優、個性的な脇役のイメージが強い。また、ラジオ番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の「宮坂さん」ギャグでもお馴染みだ。朝日賞受賞の放浪芸記録の評価となった大著『放浪芸雑録』(白水社、1996)『日本の放浪芸 』(白水社、2004)がある。いずれも未読だが、なぜか、気になる人になった。


放浪芸雑録

放浪芸雑録

日本の放浪芸

日本の放浪芸


そういえば、坪内祐三との対談が巻末付録として各巻についている『小沢昭一的百景−随筆随談選集』(晶文社)全6巻もあった。



最新刊の文春新書『同級生交歓』では、昭和32(1957)年10月号に「麻布中学」同級生として個性的な5人(加藤武フランキー堺仲谷昇、内藤法美、小沢昭一)として、書生姿で出ている(p.114-115)。この新書の解説も坪内祐三だ。小沢昭一本が、予想外に多いことに改めて驚いた。これまで、俳優・芸人としてのみ見ていた小沢昭一が、記録する人であった。その業績は、庶民芸人として柳田國男に比肩できる存在だ。私にとつて嬉しい未読本が大量に出てきた。やれやれ。


同級生交歓 (文春新書)

同級生交歓 (文春新書)