ヴィム・ヴェンダース覚書
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1983年、ひとりの無名の青年がキャメラを持って東京にやって来た。ドイツでは、既に何本かの優れた映画を撮っている新鋭の監督であった。青年はその後、世界的に著名になるヴィム・ヴェンダース。小津安二郎が描いた<東京>を理想の聖地と思い、小津映画の足跡をキャメラに収めようとの目論みを持っていた。のちに『東京画』(1985)というタイトルが与えられるそのフィルムは、笠智衆へのインタヴューとキャメラマン厚田雄春による小津組の再現がなされた稀有のドキュメンタリーとして、記憶されることになる。
『東京画』は、冒頭とラスト・シーンに小津の『東京物語』が引用され、1983年現在の東京の風景がヴェンダースの眼によって捉えられる。パチンコ店や、ゴルフ練習場でさえ高層ビルの夜景と同様に、小津映画の痕跡をとどめているかのようだ。夜の盛場のショットなどは、小津の画面そのもののようにも見える。圧巻は厚田雄春が流す涙を、原節子の涙に転換するシーンの感動的な編集にある。すべてが小津安二郎へのオマージュから成り立っている。
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【映画体験としてのアメリカ】
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ヴィム・ヴェンダースが『パリ、テキサス』(1984)によって、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得し、日本にはじめて登場したのが1985年であった。全編アメリカでロケをしたヨーロッパ映画として制作された背景には、コッポラに呼ばれ『ハメット』(1982)の撮影に悪戦苦闘を強いられた苦いハリウッド経験がある。その顛末を作品化したのが『ことの次第』(1981)であり、映画への自己言及的フィルムとして貴重な記録といえよう。
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『ハメット』は、ハリウッド方式に馴染めないまま、数年をかけて作りあげたハードボイルド映画であった。作家ダシール・ハメットを主人公に、全編がほとんど夜のシーンで構成され、時代の雰囲気を濃厚にただよわせる一風変わったフィルム・ノワールとして、ヴェンダースの作品の中でも特異な位置を占める。
『パリ、テキサス』では、崩壊した家族の幸せが8ミリ・フィルムの中に封じ込められている。長い旅から帰省した父が子と再会し、失踪していた妻と鏡越しに交わす長い会話は、過剰な愛に苦しむ男と女の回復不能な関係を、鏡を介した視線が象徴する秀逸なシーンである。男は母と子の再会を確認し、また旅に出るロード・ムービーの宿命的帰結であった。
【ロードムービーのアリス】
『都会のアリス』(1973)『まわり道』(1975)と『さすらい』(1976)の初期ロード・ムービー三部作は、すぐれてヴェンダース的世界の特質を物語るフィルムであり、『都会のアリス』には、あらゆるヴェンダース的符蝶がみられる。アメリカを一ヵ月間さすらってドイツの出版社に約束した原稿が書けないまま、ニューヨークに戻ったフィリップ・ヴィンターが、ふとしたきっかけで、アリスという名の少女をドイツの祖母の家まで送り届けることになる。少女と青年の二人旅がはじまる。飛行機、汽車、船、モノレール、自動車などあらゆる乗物が総動員される。目的の定まらない青年が、少女に導かれながら成長してゆくビルドゥングス・ロマン的旅の軌跡。ニューヨークからアムステルダムへ、ヴァッパタール(吊り下げ式のモノレールが印象に残る)からルール地方へ、ついにはライン河沿いにミュンヘン行きの汽車の空撮ショットで唐突に映画は終わる。もちろん、とりあえずの終りにしかすぎない。ロード・ムービーとは終りのない旅にほかならず、完結しないフィルムこそヴェンダース的彷徨の世界なのである。
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【天使はヴェンダースの理想の投影か】
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『ベルリン、天使の詩』(1987)が、ヴェンダースの最高傑作であるという評価に異論はなかろう。ここでの天使は、人間の内面の声を聞くことができる。人々のモノローグの数々。人はそれぞれ何らかの悩みを抱えながら生きている。天使は、彼らの声を聞くだけで、彼らを救済することができない。人間の肩に手を置き頭を接触させることしかできない無力な天使たちは、それでも毎日、人々の内面の声を聞き続ける。疲れた天使達の帰る場所が図書館なのだ。図書館がこれほど素晴らしく描かれた映画は、他にないだろう。天使の一人ダミエルは、サーカスの美女マリオンに恋をし、人間になることを決意する。天使が人間になって、はじめて味わうのが血の味であり、限りある生を選択したことの重みが語られる。
時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!<デラックス版> [DVD]
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ベルリンの壁崩壊後撮られた続編『時の翼にのって』(1993)は、低徊的で作者が統一後の混沌の中、感慨にふけっている以上のものではなかった。ヴィム・ヴェンダースの集大成的作品『夢の涯てまでも』(1991)は、1999年の近未来を舞台に、女性の主人公が<見る>ことの究極=夢の映像化という禁断の世界をさまよう。賛否相半ばするフィルムとしていわば宙吊りにされているが、6時間の完全版が公開され、前半の世界をめぐる旅と、後半の<内面への旅>が融合されることによって新たなロード・ムービーとして再生するだろう。
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その後、ドキュメンタリーの傑作『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1998)がキューバのハバナに住むミュージシャンたちを生き生きと捉えたことで、一種の流行現象になったことは記憶に新しい。少なくとも、アメリカを相対化する位相にいたことは確かだ。ドイツ・ニュー・ジャーマン・シネマを担い、蓮實重彦から「73年の世代」(『季刊リュミエール』創刊号)*1と評価された映画的記憶に連なる技量は、おそらく最新作『アメリカ、家族のいる風景』(2005)に結実しているであろうと期待したい。
*1:「73年の世代」とは、ヴィム・ヴェンダース、ビクトル・エリセ、ダニエル・シュミット、そして今やハリウッドの大監督となったクリント・イーストウッドで、1973年に映画的デビューを果たした4人の監督のことである。