街場のアメリカ論

街場のアメリカ論 NTT出版ライブラリーレゾナント017

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アメリカナイズされた社会だの、グローバリゼーションだの、日本の社会は「アメリカ」なる国を無視して、政治・経済・宗教・映画・戦争・フェミニズム・裁判などについて語ることができないシステムになっている。なぜか?この質問に、トクヴィルに依拠しながら、明快に語ってくれるのが、内田樹『街場のアメリカ論』である。


フランス人のトクヴィルが、170年前、アメリカに関する知識を持たない人々を対象に『アメリカにおけるデモクラシーについて』*1を書き、その内容が現在でも、ほとんど妥当することに内田氏は敬意を表しながら、「日米関係」「ジャンク・フード」「アメリカの統治システム」「戦争経験」「キリスト教」など、11項目にわたり、読者の目からうろこを取ってくれる。


アメリカとは歴史を持たない国であり、イギリスから移民してきた人々がまず「理念」をつくり、理想の国が達成された状態からスタートした。

資本主義が未発達である場所に、他のどこにも見られないようなタイプの完成型の「資本主義の純粋精神」が着床して、そこに開花したのでした。アメリカという国の特徴はまさにこの「理念先行」「完成型先行」という順逆の狂ったあり方に存すると言っていいでしょう。(p.101)


国家の起源は、かつてあつただろう黄金時代を遡及的に作為するもので、アメリカの場合は、先に起源ありき、だったわけだ。


本書の慧眼は、第五章「成功の蹉跌ー戦争経験の話」のうち、「アメリカの没落」(129頁以下)にある。

アメリカは遠からず没落するでしょう。これは避けがたい流れです。
・・・(中略)・・・
私たちの優先的な課題は(エマニュエル・トッドが言っているとおり)、「アメリカが滅びていくことがもたらす被害をどうやって最小化するか」ということに集約されます。アメリカが急激に没落していくことで世界が受ける衝撃は巨大です。それがどれくらいの混乱をもたらすか測定不能です。ですから、アメリカにはできるだけゆっくりと没落していってもらいたい。いかに周囲を巻きこまないで、静かに滅びてもらうかということを、ヨーロッパとかアジアの諸国が考えて、政策的に提言してゆかないといけないんじゃないかと思います。(p.132)


内田氏は、「まえがき」で述べている。

私の仮説は、日米関係の本質は現実の水準ではなく、欲望の水準で展開しているというものである。(p.15)

日本人はアメリカ人に対して倫理的になることができない。
これが日本人にかけられた「従者」の呪いである。
・・・(中略)・・・
私がアメリカを批判するとき、そこにはアメリカ市民に代わって、救国の処方箋を書き上げなけらばならないという責務の感覚はまったくない。(p.28)


本書は内田氏が、トクヴィルエマニュエル・トッドの言説を援用し、ラカン的発想でアメリカを捉えた鋭い仮説と読んだ。


歴史上一度繁栄した帝国が、再度繁栄した例がない。アメリカも例外ではありえない。


帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕


ちなみに、丸山眞男は『断想』(1956)の中でトクヴィルに触れて、次のように評価している。

トクヴィルのものを読んで何より感心させられるのは、政治家としての鋭い日常的な感覚と学者としての異常な抽象能力が彼の内部で渾然一体となっていることだ。(『丸山眞男集第6巻』p.148)


丸山眞男集〈第6巻〉一九五三−一九五七

丸山眞男集〈第6巻〉一九五三−一九五七


「鋭い日常的な感覚と学者としての異常な抽象能力が彼の内部で渾然一体となっている」とは、内田氏にもあてはまる評価ではないだろうか。