憲法の「空語」を充たすために


内田樹氏による、講演記録『憲法の「空語」を充たすために』(かもがわ出版,2014.08)を読了した。



場所は神戸市で、兵庫県憲法会議主催。2014年5月3日の憲法記念日の講演だ。まえがきによると、安倍政権が、7月1日に「集団的自衛権行使容認」を閣議決定したことを受けて、「日本の民主制と憲法脆弱性」に深く憂慮しながら、以下のように記している。

私たちの国の民主制と平和憲法はこれほどまでに弱いものであった。わずか二回の選挙で連立与党が立法府の機能を事実上停止させ、行政府が決定した事項を「諮問」するだけの装置に変えてしまった。立法府が機能不全に陥り、行政府が立法府の機能を代行する状態のことを「独裁」と言います。日本はいま民主制から独裁制に移行しつつある。(p.4)


敗戦を終戦と言い換え、誰も戦争責任をとらなかった。丸山眞男が「無責任の体系」と「抑圧の委譲」と喝破した戦時体制は、戦争の目的が何であったかを明らかにせず、結局「一億総懺悔」というかたちで、「負けた後の国家再建の物語」を自力で創れなかった。


〔新装版〕 現代政治の思想と行動

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東京裁判で、誰が戦争責任者であるかを明確にできないまま、A級戦犯とされた14名が、靖国神社に合祀され、戦後、一宗教法人に過ぎない靖国神社が、何故かいまも国家・国体の名において戦死した軍人のみが神とされる。


これら曖昧な問題が延々と継続し、大東亜戦争・太平洋戦争は、「先の戦争」と呼ばれ、敗戦したにもかかわらず、終戦と言い換えているのが、この国の実情である。


内田氏の講演は、明快であり、「日本のシンガポール化」という指摘は、実に恐るべき計画であることが、露呈されている。シンガポールとは、民主主義国家ではなく、一党独裁政権であり、首相ポストは独裁者一族の世襲制となっており、国営企業のCEOを勤めている。行政府は世襲制であり、立法府一党独裁だから、トップダウンで全てが決まっている。労働運動や学生運動はないし、反政府的なメディアもない。


いま、世界の富裕層がシンガポールに集まってきている。企業活動がしやすいというわけだ。


「日本のシンガポール化」とは、第一に行政府の機能を制約し、行政府の権限を強くすること。実際、特定秘密保護法解釈改憲による集団的自衛権行使容認のプロセスは、ほとんど国会を機能させなていない。


第二は、機動性による社会の階層化という流れであると内田氏は言う。機動性というのは、国民国家への帰属性の数値表現で、平たくいえば、「自分の祖国がなくなっても困らない人」は機動性が高い個人ということになる。財界が求めるグローバル人材とは、機動性の高いひとたちであり、機動性礼讃の徴候的な文書が「自民党改憲草案」であると、氏は言う。


自民党改憲草案22条「居住・移転および職業選択の自由」では、基本的人権に無制限の自由が賦与されており、この条項のみ、「公共の福祉に反しない限り」という現行憲法の限定条件が外されている。これは、草案を起草した人達は、日本社会の階層の最上位を占めているからで、「個人の機動性は公益より優先されるべきである」と、本音を漏らしている、と内田氏は言う。グローバル資本主義にとって国民国家は、障害になると考えたからである。


つまり、経済的には国民国家の解体を率先して進めている人々が、政治的イデオロギー的には、ファナティックなナショナリストとして振舞っている、一見矛盾した光景がある。それを内田氏は、

一つ確かなのは、国民国家の解体過程では、国民資源をグロ−バル企業の私有財産に付け替えるためにはナショナリズムが有効利用できるということ(p.87)

であると内田氏は言う。

一見奇妙な論理だが、株式会社の基本原則は、コストの外部化で、工場から排ガスを大気中に排出し、廃液を河川に流すのは「環境保護コストの外部化」であり、高速道路や鉄道の整備を強く求めるのは「流通コストの外部化」。原発稼働を要求するのは、「製造コストの外部化」というわけだ。

グローバル企業によるコストの外部化は、本来企業が負担すべきコストを国民国家の税金と国民生活の犠牲に「付け替える」ことです。国民資源を私企業のために消費しろと、そう要求するわけです。(p.89)

ナショナリズムの排外的傾向、強権的体質、非寛容、暴力性「だけ」を抽出した畸形的なイデオロギーです。それがグローバル資本主義の補完物として活発に機能している。(p.92)

このような方向性に対抗するためには、「ゲマインシャフトの再構築」、つまり同一共同体内部の人々が支え合い、助け合って生きて行くための共生の仕組みをどうやって作り直すかということが、それぞれの社会での優先的政治課題になる・・・(p94-95)


いずれ安倍政権は瓦解し、その政治的企ての犯罪性と愚かしさについて日本国民が恥辱の感覚とともに回想する日が必ず来る、と内田氏は確信していると言う。しかし、同時代を生きる、一人の国民として、かかる破壊行為が何時まで続くのだろうか?

いかなる独裁制も必ず崩壊する時がくる、という歴史的証明は、ローマ帝国の崩壊以来、幾度も反復されてきたことを想い出そう。


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