近代文学の終わり


近代文学の終り―柄谷行人の現在

近代文学の終り―柄谷行人の現在


柄谷行人の『近代文学の終わり』の標題講演と、「歴史の反復について」を読めば、今日の状況が、歴史的パースペクティヴのなかで、私たちが何処にいるのかが明快に指摘されている。

私が話したいのは、近代において文学が特殊な意味を与えられていて、だからこそ特殊な重要性、特殊な価値があったということ、そして、それがもう無くなってしまったということなのです。(p.16)

そして、終わりに、

今日の状況において、文学(小説)がかつて持っていたような役割を果たすことはありえないと思います。だた、近代文学が終わっても、われわれを動かしている資本主義と国家の運動は終わらない。それはあらゆる人間的環境を破壊してでも続くでしょう。われわれはその中で対抗して行く必要がある。しかし、その点にかんして、私はもう文学に何も期待していません。(p.80)

ということばで結ばれている。


文学好きにとっては、いかにもつらいことばであるけれど、柄谷行人の言説(仮説)はほぼ認めないわけには行かない。柄谷氏は日本の近代文学についてのみ言及しているのではない。近代文学が重要視されたということは、詩ではなく「小説」が重要視された。その根源はサルトルにある。一般的にサルトルは哲学者として認識されているが、柄谷氏によれば、彼は「根本的に小説家」であったという。構造主義やポスト・モダンは、アンチ・サルトルとして捉えられがちだが、例えばドゥルーズサルトルの<文学とは一言でいえば、永久革命の中にある社会の主体性(主観性)である>ということばを引用している。あまりに、偉大であったサルトルの後の世代は、サルトル批判から始めなければならなかった。フーコードゥルーズデリダは、すべてサルトルの影響下にあり、サルトルの文学=小説のことばを、エクリチュールと言い換えたのだった。サルトルの文学は、エクリチュールの批評に移行したというわけだ。


近代文学=小説がなぜ特殊な意味をもっていたかというと、<小説は「共感」の共同体>、<想像の共同体としてのネーション>の基盤になったからだという。写真が出現したとき絵画は写真ができないことをやろうとした。映画が出現したとき、小説しかできないこと、例えばアンチロマンで対抗しようとした。日本文学の場合は、リアリズムが主流となり、「私小説」が近代文学を担った。「三人称客観」が虚構でしかないこと、「三人称客観」が与えるリアリズムの価値がなくなると、近代小説の意義がなくなりただの物語になった。


「文学」が倫理的・知的な課題を背負うがゆえに影響力をもつというような時代は終わったと柄谷行人はいう。近代小説が終わったら、日本の歴史的文脈からみれば「読み本」や「人情本」になる。実際、最近の小説は、村上春樹に代表されるグローバルな読み物か、きわめて狭い世界を描く作品、あるいは、純文学の崩壊など、「近代文学」は、その使命を終えたといっても過言ではないだろう。

せいぜいうまく書いて世界的商品を作りなさい。マンガがそうであるように。実際、それができるような作家はミステリー系などにけっこういますよ。(p.60)


「文学」に対して手厳しいが、柄谷行人の言説を否定することはできない。


62頁と63頁の表「世界資本主義の諸段階」は、項目に「世界資本主義」「ヘゲモニー国家」「資本」「世界商品」「エートス」「社会心理」「主要芸術」。年代は60年サイクルで「1750〜1810」(重商主義)、「1810〜1870」(自由主義)、「1870〜1930」(帝国主義)、「1930〜1990」(後期資本主義)、「1990〜」(新自由主義)で、構成されている。この表は説得的であり、実際に現物で確認していただきたい。



本書で、「援助交際」と呼ばれる十代の少女の売春形態に革命的な意味付けをしようとした「社会学者」がいたと、宮台真司が揶揄されている。その宮台真司は、「転向」してしまった。宮台真司の思想的淵源が、高橋和巳の『邪宗門*1にあったことが、『限界の思考』*2で語られている。なぜ、宮台真司が「転向」したのか、高橋和巳の「散華」の思想が根底にあることで理解できる。


限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学


現代思想は死んだ」といわれる。いや、現代思想社会学者が担っているという見解もある。しかし、いま、話題の社会学者は思想家ではなく、思想史研究家ないし思想=哲学・研究家(注釈者)にしか見えない。それはそれで面白いし、知識としての読書たり得るが、社会学者が時代を牽引する思想家であるとは思えない。


きわめておおざっぱに解釈したが、柄谷行人の『近代文学の終わり』から、思想家などいないことがよく解った。急いで付け加えておくが、以上はあくまで私の「仮想」の世界であることは申すまでもない。


定本 柄谷行人集〈1〉日本近代文学の起源 増補改訂版

定本 柄谷行人集〈1〉日本近代文学の起源 増補改訂版

*1:ISBN:4022640049,ISBN:4022640057

*2:北田暁大との対談『限界の思考』80頁で、宮台真司が「中学三年のときこれを読んだことが、僕の未来を決定づけたんですね。」と述べている。思想的には、最初に出会う書物の影響が大きい。