ライフ・イズ・ミラクル
ユーゴスラビア崩壊のあと、ボスニア戦争があったことが忘れられようとしている。エミール・クストリッツァ『ライフ・イズ・ミラクル』(2004)は、彼独自の祝祭的空間の中で突然起きた戦争の悲劇を、一種ユーモラスに描きながらも、民族争いのむなしさや、無意味な戦争を、徹底して容赦なく映像化する。独自の味付けがあるので、複雑なボスニア戦争の解読には困難を伴うけれど、映画として『ライフ・イズ・ミラクル』が持つパワーには、ひたすら圧倒されつつ画面に眼を向けていた。
この映画の前半は、ボスニアのセルビア人地区にある山沿いの鉄道駅に住むルカ(スラブコ・スティマチ)、妻でオペラ歌手のヤドランカ(ヴェスナ・トリヴァリッチ)、プロのサッカー選手を目指す息子ミロシュ(ヴク・コスティッチ)の三人の日常的な暮らしぶりが、コミカルなタッチで描かれる。
妻のヤドランカは、ハンガリーからきた音楽家とベオクラードへ駆け落ちする。息子ミロシュは、軍隊に取られる。ボスニア戦争が勃発し、ミロシュは捕虜となる。ルカは一人暮らしをしていたが、顔見知りの病院の看護婦サバーハ(ナターシャ・ソラック)が、ムスリム人の捕虜として、ルカが監視することになる。やがて息子の交換捕虜として役立ちそうだとの判断で。
戦争状態が激化するうち、一つの家に同居するルカとサバーハは互いに惹かれあい、恋愛関係に発展してしまう。映画の後半は、この二人のラブストーリーになっている。ベッドの二人が、空中を飛ぶシーンなど、一種のメルヘン的な「ロマンス」だが、その根底には、シェイクスピアの悲劇がある。敵対する集団の男女が惹かれあい、激しい恋に落ちるというのは『ロミオとジュリエット』そのものだ。
橋上での捕虜交換の場では、アメリカ人女性レポーターがはしゃぎながらTV中継をするが、ルカとサバーハの心中は穏やかではない。無事、捕虜交換が済み、日常生活が戻ったかに見える。しかし、絶望したルカは、鉄道自殺を図る。ここで、列車を妨害するのが、この映画の副主人公のロバ。全編に亘り、ロバの存在と、ルカに不幸な知らせをもたらす郵便配達夫が、狂言回しの役割を演じている。ロバと郵便配達人。いかにも、クストリッツァ的世界だ。
エミール・クストリッツァとは、旧ユーゴのサラエボでムスリム人として生誕し、プラハでミロシュ・フォアマン*1の教えのもと映画を学び、『パパは出張中』で一躍脚光を浴び、ハリウッドへ渡り、『アリゾナ・ドリーム』*2の撮影中にボスニア戦争が勃発、ユーゴスラビアの解体を、アメリカから視るという皮肉な経験をする。戦後、ベオグラードに移り、傑作『アンダーグラウンド』を撮ることになる。
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四方田犬彦によれば、「ムスリム人という出自をもつにもかかわらずサラエヴォからは拒まれ、かといってセルヴィアに胸襟を開くこともできず、国際的知名度だけが一人歩きしてしまった監督」と手厳しい。引用した四方田氏の著書『見ることの塩』では、
クストリッツァは、典型的なユーゴノスタルジアの徒であり、その困難な気持ちを向ける対象を見出しきれないという気持ちが今回のフィルム(『ライフ・イズ・ミラクル』筆者註)の幻想的な結末を準備しているように、私には思われた。(p.284)
と、エミール・クストリッツァへの過剰な評価を警戒する。
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「パレスチナ・セルビア紀行」の副題を持つ『見ることの塩』は、映画史の専門家として、テルアヴィヴ大学に四ヶ月滞在し、また、ベオグラード大学とコソボのプリシュティナ大学に三ヶ月滞在したときの紀行文であり、実体験をもとに書かれている。もちろん、その重みは尊重しなければならないけれど、映画の評価とは、現地で民族と宗教が複雑に交錯する現実から、抽象化した世界を、クストリッツァ固有の祝祭的空間として描いた作品として、いわば、政治的・宗教的信条とは次元の異なる世界として、評価すべきだと思う。歴史に残る映画とは、歴史的枠組みを超えているからこそ、名作として残るのではないのか。*3
■エミール・クストリッツァの代表作
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