考える人


『考える人』14号を購入した。この種の雑誌はなるべく、購入しないことにしている。第一雑誌として大きすぎるし、分厚いので、保存するのに困る。連載ものは、単行本としてまとめられたとき、購入した方が読みやすい。したがって、購入するには余程の理由があるということになる。


まず、二つの対談が収録されていること。それに小林秀雄賞が発表されている記事*1が掲載されていること。対談とは、小島信夫保坂和志の『小説の自由』と、鶴見俊輔荒川洋治『詩のことば 思想のことば』の二つである。付け加えれば、特集の『ドイツ人の賢い暮らし』も気になっていた。


小島信夫保坂和志の『小説の自由』は、現在『新潮』に連載中の『小説をめぐって』の13回分をまとめた『小説の自由』の著者・保坂和志が、敬愛する90歳の現役作家・小島信夫を相手に、持参した『菅野満子の手紙』と『寓話』を材料に、不思議なことばの空間に導かれる。



実は、保坂和志の『小説の自由』も読了しておらず、『菅野満子の手紙』*2と『寓話』*3は古書で求め、前者は読了しているが、『寓話』は未読だった。そんな条件のもとでも、この二人の対談はきわめて刺激的であり、そもそも<小説>とは何かを考えさせる。

戦後の日本の小説は小林秀雄とか平野謙というような、批評家主導で価値がつくられていったんじゃないか。そうすると、小島信夫の小説なんていうのは、あがってくる余地がない。三島由紀夫小島信夫の『抱擁家族』と深沢七郎の『楢山節考』を気持ち悪がったという。気持ち悪いと感じただけで、三島由紀夫は偉かったと思うんですね。(保坂和志

ここは、小林秀雄でなく、<平野謙江藤淳>とすべきところだろう。

僕の厄介な長い作品と、坪内さんのものと、僕が書評として書いた感想と、その三つを合わせると、どうやら一つの世界ができるんじゃないか。(小島信夫

「厄介な長い作品」とは、もちろん『別れる理由』のことであり、坪内祐三の「『別れる理由』が気になって」が出版されたことで、小島信夫が注目されている。

「別れる理由」が気になって

「別れる理由」が気になって

漱石は、小説はプロットだとみんな思っているが、そんなばかなことはない。一行を読んでも、全体と同じ感じがする書き方もある。(小島信夫


小説はどうあるべきかは、回答のない設問だ。19世紀に近代小説が成立して、21世紀には崩壊の危機にある、このことは確かだ。だが、どのように進むべきかは、判断に苦しむところであろう。


鶴見俊輔荒川洋治『詩のことば 思想のことば』

詩とことば (ことばのために)

詩とことば (ことばのために)

荒川洋治の詩集『心理』に、丸山眞男が登場していること、また、鶴見俊輔が聞き手として加わった丸山眞男の『自由について』で、二人の語りが繋がってくる。

心理

心理

石原吉郎を評価し、『思想の科学』に発表の機会を鶴見氏が提供した。『望郷と海』*4発行の基礎を鶴見俊輔が担っていたのだ。宮沢賢治については、荒川洋治は、『美代子石を投げなさい』で賢治を評価する人たちを批判した。*5

宮沢賢治の近年の高い評価は、すでに日本が安定した生活水準を保ったなかでの評価なんだ。(鶴見俊輔


さらに、谷川雁の「工作者」としての目利きが、中村きい子森崎和江石牟礼道子を次のスターと予言したことなどが言及される。

いま、詩人たちは自分の詩を書いているだけです。自分の話を書く時代は終わったと思う。(荒川洋治

小説の自由

小説の自由

「私を見て」「私はこんな生い立ちで、こんな苦労をした」「私はこんなに傷つきやすい」という小説がいまさかんに書かれている・・・(保坂和志の『小説の自由』P.50)


近代文学の終焉」を説く柄谷行人に賛同するわけではないけれど、「近代詩の終焉」の時代なのかもしれない。19世紀的な文学から、21世紀の文学へとは、どうのような状況なのだろうか。判然としない。


小説や詩は「自由」なのだろうか。むしろ、「不自由」なのではないだろうか。そんな気配が濃厚であるように感じられる。


脳と仮想

脳と仮想

*1:「第四回小林秀雄賞」の選評で、加藤典洋は「受賞作、茂木健一郎『脳と仮想』。初の一作受賞にふさわしい。ある意味では一人の書き手が生涯に一度しか書けない(と評者には思われる)「命がけの飛躍」を秘めた論考である。」という。私も「十年に一冊の本」と評価した、同感である。

*2:ISBN:4087725553

*3:ISBN:4828822178

*4:ISBN:4480083596

*5:ISBN:4783723133