信ずることと考えること
茂木健一郎の『脳と仮想』に導かれて、小林秀雄の講演『信ずることと考えること』と『現代思想について』『本居宣長』をこの連休に聴いていた。小林秀雄の文章は、難解であり、考え抜かれたレトリックを駆使しているので、『本居宣長』やベルグソン論である『感想』は、何度か挑戦したが、いつも挫折してしまう。
小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/01/01
- メディア: 単行本
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小林秀雄の講演は、近代科学は測定可能な実在を対象とし、測定不能な精神や感情の問題を疎外したことを、繰り返し指摘している。「心脳問題」を小林秀雄は、本気で考えていたことが、講演を聴くことで、良くわかる。魂の存在を、自己意識の中で信じていたこともよくわかる。
小林秀雄の声と語り口は、よく指摘されるところだが、志ん生の噺ぶりにそっくりであるのに驚いた。いずれも「国民文化研究会」の「夏季学生合宿教室」で講演されたもので、学生からの質問に、真剣に回答している。その真剣さは、本物であり、聞きながら畏怖の念を抱かざるを得ない。
「信じること」は、「責任をとる」ことだと小林秀雄はいう。「イデオロギーは責任を取らない」「インテリは反省をしない」「直接の経験はぼくの心にしかない」「ぼくの心が本当の実在」
「精神の自由は測定不可能である」「近代科学は測定科学であり、測定不可能な精神を物質的事実にに置き換えている」
近代科学の合理主義にたいして、本気で「精神」の側にたち、闘っている思想家の声が聴こえる。小林秀雄の気迫を感じるのだ。これは、小林秀雄の難解な文体の裏側にある本音だと感じた。
これらの講演は、衝撃的であり、「言葉を失う」とはまさしく、このような経験のことだ。「意識と存在」の問題を自己のこととして考えるならば、小林秀雄の講演は、畏怖に値する。
しばし、「ことば」を用いて書くことについてためらいを覚えた。小林秀雄は「自分の文章はむつかしくない」という。「文章はみんな難しい。どんなつもりで、その表現をしたのかを考えると難しい」ともいう。
小林秀雄が講演『本居宣長』*1で引用する宣長の歌。手持ちの岩波文庫『うひ山ふみ』*2から。
また、同書から「学問の方法」について引用する文章。
学びやうの次第も一わたりの理によりて、云々(しかじか)してよろしと、さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果たしてよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、実にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、実はたゞ其人の心まかせにしてよき也。詮ずるところ学問は、たゞ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びようは、いかようにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれば、功はなし。(p.15)
いまの学問界は「常識」を忘れているという指摘は、2005年の「いま」にも該当するだろう。『現代思想について』*3で、「学問とはどうして生活していいのかを教えるものだ」と言っている。小林秀雄自身は、学生時代から「自活」していたと。そしてまた、小林秀雄は「理想を抱いたことはない」と明言する。いつも感動や直感から、書き始める。
小林秀雄の講演を聴くと、しばし、ことばを失う。「書くこと」の重さをひしひしと感じる。私は、いま、立ち止まってしまった。
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その後、再度『本居宣長』に挑戦してみたい。
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