ブッダ論理学五つの難問


ブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)

ブッダ論理学五つの難問 (講談社選書メチエ)


タイトルに惹かれて、石飛道子『ブッダ論理学五つの難問』を読む。本書は、ブッダの教えを論理学的に解読する、しかも、因果関係を含む存在論について、ブッダと龍樹を手がかりに、一見きわめてスリリングな手法で解読して行く。

ブッダが自ら一切を知る者であると述べている以上、まず前提として真実と認めなければならない。・・・(中略)・・・それはすべての世界を貫く原理原則を知った、ということではなかろうか。・・・(中略)・・・あらゆる人が納得できるもの、それは論理である。道理である。つまり、ブッダはこの世界を貫く論理を知った者であり、したがって、どんなことがらを持ち出されても理法にしたがって説明できるということだ、と言えないだろうか。(p.23)


この前提で、ブッダ論理学が倫理学と同化し、ブッダ存在論と認識論が、デカルト以来の西洋哲学の存在論を否定し、ヴィトゲンシュタインの哲学も批判の対象となり、すべてにおいてあらゆる点で、ブッダの思想が語りつくしていることが、証明されて行く。


ブッダ存在論とは、「生ずる性質のものは減する性質のものである」という一文に集約されると、著者は言う。これは、たしかに解るし、腑におちる。


著者は、龍樹が『方便心論』で演繹論理学を、『中論』で縁起の論理学を説き、ブッダの思想をもっもと理解した人物として、龍樹を評価する。


ブッダのことばに加えて、龍樹『方便心論』について、『中論』の解釈に匹敵する適切な解説があれば、本書はもっと身近に感じることが、できたかも知れない。読み始め当初の期待は次第に薄れ、読者の私には消化不良のかたちで終わってしまった。

ブッダは滅後およそ六百年の後に生まれた龍樹の読んだ阿含経典と、さらにそれから千九百年後に生きているわたしの読んだ阿含経典は同じなのである。龍樹が『方便心論』の中に隠しておいた阿含経典をわたしが見つけることができたのは、経典が表現はもとよりその構成や語順にいたるまで、まったく変わらずに保存されてきたからである。(p.181)


「龍樹が『方便心論』の中に隠しておいた阿含経典をわたしが見つけることができた」ことの発見は偉業であると思う。ただ、それが著者の頭の中に留まっていて、読者(私)には伝わってこないのだ。


つまり、龍樹『方便心論』が、いまひとつ私には理解できなかった。腑におちないのだ。著者は「現代論理学は一切を語れるわけではない」ところから出発しているが、「論理学」にこだわる必要があるのだろうか。ストレートにブッダの思想を、龍樹の『方便心論』で読むことはできないのだろうか。素朴な疑問である。

ブッダによって「語られないこと」とは、ブッダによって「断定されないこと」と同じであって、「世界は常住である」という見解にかんしては、ブッダは自分では断定して主張することはないが見解の一つとして承認している法(教え)であるとお墨付きをあたえているのである。(p.112)

ブッダのことば。

名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、かれらは死の支配束縛に陥る。しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が〔有ると〕考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。(p.176)

このことばも、分かるし、腑におちる。


たとえば、巻末文献に出ていない、黒崎宏の『ヴィトゲンシュタインから龍樹へー私説『中論』』(哲学書房)*1のように読者にときめきを感じさせないのは、なぜだろうか。読む私に、たぶん、仏教的・論理学的感性と素養が不足しているのだろう。


いまひとつ気になつたのは、第四の難問で「イラク戦争」に言及することだ。著者は、ブッダの思想からは、「イラク戦争」は愚かに見えることを論理学的に証明することで、ブッダ思想の完璧さ・崇高さを示したことになると考えられたのかも知れない。けれども、あまりにも現代的・現実的な例を示すことで、逆効果になりはしないかと懸念する。論理学的な正さが「戦争」という現実に対して、いかに無力であるかを露呈することにほかならないからだ。著者の姿勢が、真摯なだけに、余計な心配をする。


本書の冒頭には、「これは、正真正銘、仏教の開祖ゴータマ・ブッダについて書いた本である。」と言及している。最後まで読み、それは感じた。論理学という形式が最良であったかどうか分からない。ただ、論理学そのものがもつ形式性が、ブッダの思想に迫る方法としてベストなのだろうか。


一読者の希望として龍樹の『方便心論』の解説書を書いていただきたいと願うものである。本書が、刺激的な試みであり内容が深いだけに、雑読系の一般読者の心をときめかせる方法で解説されることを期待したい。「正真正銘、仏教の開祖ゴータマ・ブッダ」に同化する龍樹『方便心論』の解説書を。


立川武蔵の『空の思想史』のようなラディカル(根底的)で読みやすい本を期待するのは、次元が違うのだろうか。


空の思想史 原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)

空の思想史 原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)