火火(ひび)


高橋伴明監督『火火』(2004)は、文句なしの傑作だ。『TATTOO(刺青)あり』(1982)や『光の雨』(2001)の高橋伴明が、なぜ女性陶芸家の半生と、息子の白血病にかかわる映画を撮ったのだろうか、との疑問がわくが、それは映画を観ることで解消される。


『TATTOO(刺青)あり』『光の雨』は、事実をもとに映画化=虚構化したという点では、『火火』も同様である。女性陶芸家・神山清子の半生を実録として描いたフィルムであり、基本的には、高橋伴明の作風の延長上にあり、『火火』はその到達した作品といえるだろう。


主人公に田中裕子を得たことが、何よりもこのフィルムを成功させている。鬼気迫るその演技で、久々に田中裕子は『天城越え』(1983)『ホタル』(2001)以後の代表作となった。


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映画の前半は、神山清子(田中裕子)が、信楽自然釉を古代穴窯で焼きあげることを使命と考え、男性ばかりの窯元組合に、女性の窯元はいらないとの反対を受けながらも、貧乏と闘い、子育てもしっかりこなし、作品の成功に挑戦を続ける。


焼き上げては、作品を破壊する。その繰り返しが延々と続く。そしてついに、念願の信楽自然釉が焼きあがる。女流陶芸家として認知され有名になって行く。一方、子どもたちは、母親の意図に反して、姉は短大へ進み信楽を去って行く。息子は窯業試験場に進学し技術を身につけるが、パチンコにのめり込む。やがて、母のもとで仕事を始めるけれど、意気込みが感じられない息子に対して、母からの叱責が何度も飛ぶ。


ところが、ある日、息子・窪塚俊介が突然たおれる。原因は白血病であり、骨髄移植しなければいずれ死を迎えると医者から宣告を受ける。窪塚俊介(好演)には、恋人の池脇千鶴がいた。「十字架を背負わす」わけには行かないと、別れを告げ、結局、恋人は彼のもとを去る。このあたり、「死」を控えた恋の現実的な行方を考えさせる。


白血病もの『世界の中心で、愛を叫ぶ』などは、病気そのものを美しく描いているが、現実はもっと厳しい。骨髄提供者をさがす運動や、やがて結成される骨髄バンクのことなど、現実は甘くはない。白血病治療の凄まじさも遠慮なく、リアルに描き込まれている。


映画の後半は、息子・窪塚俊介白血病との闘いを中心に、それに、田中裕子の焼き物への執念をも併行して描いており、作品としてのバランスが取られていることも脚本を兼ねた監督の手腕。


田中裕子の素晴らしさは、自然に陶芸家という肉体労働者になりきっているところ。例えば、足をなげだす入浴シーンや、疲れ果てて大の字で寝ている光景など、吉永小百合では絶対撮れないシーンであろう。息子役の窪塚俊介、娘役の遠山景織子、弟子の黒沢あすか、おそらくは日本映画の半分に出ている先輩陶芸家役・岸部一徳、叔母さん役・石田えりなど、それぞれが役にはまり、いい味が出ている。


冒頭で、白い衣装の喪服を着た田中裕子は堂々として、凛とした美しさ。そのシーンがラストへ繋がり喪服のまま、古代穴窯へたきぎを入れるシーンのストップモーショーン。


光の雨』を撮り全共闘世代を総括し、客体化した高橋伴明にとって、『火火』を撮ることが、ひとまわり上の世代・神山清子の女性としての生き方に、敬愛の眼差で接していることが窺える優れたフィルムになっている。


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これは余談だが、かつて女優さんは映画監督と結婚するケースが多かった。吉田喜重岡田茉莉子夫妻、大島渚小山明子夫妻、篠田正浩岩下志麻夫妻など、その最後が高橋伴明高橋恵子夫妻であった。最近の例では、青山真治とよた真帆夫妻のみ。映画の黄金時代は、映画監督の社会的な知名度も高かったが、撮影所システム崩壊後は、女優という立場が監督を凌駕しているように見える。もちろん、「結婚」という制度を問題にしているのではなく、「芸術としての映画」を問題にしているので、職業としての映画監督自体が難しくなっている、これこそ問題なのだ。実際、岡田茉莉子小山明子岩下志麻高橋恵子は監督の良きパーナーであるともに優れた女優として活躍していることは強調していいだろう。

これはあくまで、監督と女優の良きコンビネーションとしての話。敢えて結婚と結びつける必要性はない。例えば、増村保造若尾文子小津安二郎原節子成瀬巳喜男高峰秀子溝口健二田中絹代のように、かつては監督と女優の映画があったのだ。