鈴木清順映画はバイアスを排除した評価をすべきときだ

鈴木清順映画

 

清純神話といういつの間にか神ががりの映画監督と称される鈴木清順について、ベストテンを記録しておきたい。もちろん、目標はあの淀川長治さんの「映画ベスト1000」にほかならない。

 

鈴木清順に関する言説はいまや至るところに横溢している。いわく清純美学、いわく清純スタイル、いわく清順マジック等々、枚挙にいとまがない。

 

 

通常は、『ツィゴイネルワイゼン』に始まる、日活解雇後、独立ブロからシネマプラセットなる映画ドームを設置してそこで上映する度肝を抜くあの快挙だ。わたくし自身が経験した清純映画とは、公開に間に合った映画として『ツィゴイネルワイゼン』は記憶され、通常はこの作品をベストワンに押している。

 

 

 

 


1968年日活から鈴木清順が解雇される。1967年に公開された『殺しの烙印』が解らない映画だというのが直接の原因だった。1966年の『東京流れ者』の段階で、日活上部からの解雇もやむなしという構えで、美術の木村威夫とともに、セットや色彩、ショットの確信性や、プログラム・ピクチャーの限界に挑戦していた。実際、木村威夫の美術は極限をきわめ、抽象的なオブジェがあるだけのナイトクラブを設計している。主題歌が常に流れる、歌謡映画アクションの最高峰であろう。

 

 

鈴木清順映画は、『野獣の青春』以後『殺しの烙印』までの作品が通常評価されている。とりわけその契機となったが『関東無宿』に表れてるワン・ショットであろう。小林旭が敵の相手を切り倒した、その瞬間に壁が真っ赤に反転するショットに代表されるだろう。

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関東無宿の背景が一瞬にして真っ赤になった瞬間

刺青一代』において高橋英樹が、敵方に一人で乗り込む時の演出の見事さは、多くの批評家が指摘しているように、プログラム・ピクチャーとして出色であった。襖を次々に開けてゆく展開、ガラスの上での高橋英樹河津清三郎の対決など、言及すべき多くのすぐれた演出がある。

 日活時代の作品には、大勢のその他群衆やエキストラが多数出演したいた。それが、わずか10人程度で群衆を表現せざるを得なかったのが、『ツィゴイネルワイゼン』冒頭の女性の死を取り囲む群衆の少ない数であった。撮影所システムから離れることのリスクは大きい。

 

 


ツィゴイネルワイゼン』は怪談話の変奏である。ショットの斬新さ・前衛性によって、画面の表示が作品の意味を排除している、という不思議な快作であった。40年を過ぎた2020年代に見る新鮮さはもはやない。本来は、清純のベストとなるべきであろうが、『けんかえれじい』の完璧さに及ばない。

 

 


大正浪漫三部作も全てを同じ評価基準では語れない。『夢二』の遊びは再見の欲望を刺激しないし、『ピストルオペラ』はファッションと色彩と仕掛けを見る作品で、映画的評価は困難である。とは言っても『夢二』の女優さんたち、毬谷友子、宮崎萬美、広田玲央名の美しさ、更には『ピストルオペラ』の江角マキコ山口小夜子のスタイリッシュな美しさは、この監督ならではの女優の美を映像に刻印したことは十分賞賛したい。

 

 


上島春彦鈴木清順論: 影なき声、声なき影』(作品社,2020)が昨年出版され、副題に『影なき声』が置かれている。具流八郎集団による脚本『夢殿』を補助線に論じているようだが、定価1万円は一人の映画監督論としてはどうだろうか。辞書的役割をも果たしているようだが、出版社HPで読むことができる「まえがき」と第一章の冒頭を読み敬遠することにした。

 

 

 

日活初期作品である『影なき声』(1958)は、新聞社の電話交換手であった南田洋子が質屋強盗の声を聴いたが、その時は犯人特定に至らなかった。3年後南田は、小心者・高原駿雄と結婚し平凡な主婦になっていた。宍戸錠が支配する広告会社に就職できた高原は、麻雀接待を連日続けることになり、妻南田は、電話で宍戸の声が犯人の声であることを確信したため、悲劇に巻き込まれる。これは電話が交換手を通すシステムの時代の話だが、新聞記者二谷が南田の様子が気になり、事件解明に取り組む。随所に清順らしきショットが遍在する。割れた鏡、取り調べ室を横移動のキャメラで捉えるショット。アクションサスペンス映画だが、よくできたリアリズム映画になっている。

 

 

 

 

 

鈴木清順アクション映画ベストテン


1)けんかえれじい(1966)

2)関東無宿(1963)

3)東京流れ者(1966)

4)刺青一代(1965)

5)ツィゴイネルワイゼン(1980)

6)殺しの烙印(1967)

7)河内カルメン(1966)

8)陽炎座(1981)

9)悪太郎(1963)

10)野獣の青春(1963)

 

以上がベストテンになる。以下、今回再見した映画、初見の映画も含めて
見た映画に限定してランキングに位置づけ*1てみた。


11) 俺たちの血が許さない(1964)

12) 春婦傳(1965)

13)  峠を渡る若い風(1961)

14) すべてが狂ってる(1960) 

15)探偵事務所23 くたばれ悪党ども(1963)

16) ピストルオペラ(2001)

17) 夢二(1991)

18) 花と怒濤(1964)

19) 踏みはずした春(1958)

20) 散弾銃の男(1961)

21) 素ッ裸の年令(1959)

22)悲愁物語(1977)

23)肉体の門(1967)

24) 密航0ライン(1960)

25) 影なき声(1958)

26) オペレッタ狸御殿(2005)

27) カポネ大いに泣く(1985)

28) その護送車を狙え(1960)

29) 暗黒街の美女(1958)

30) 東京騎士隊(1961)

 

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鈴木清順映画の素朴な疑問】(補足1

ショットが繋がらない映画は、果たして映画といえるのだろうか。映画は、大衆娯楽であるとすれば、鈴木清順はこの矛盾を抱えたまま、敢えてショットが繋がらない映画を撮り続けたことになる。仮に他の映画監督が、ショットが繋がらない映画を撮った場合は、問題視されるはずだ。映画の物語性を考えると、映画から物語の意味を排除した鈴木清順の評価は、日活解雇という事件が大きく作用したと言えないだろうか。日活時代こそ評価したい映画ファンはどう思うのだろうか。

 

【プログラム・ピクチャー時代の監督たちの再評価】(補足2)
日活時代の鈴木清順を評価することは、当時の五社(松竹、大映東宝東映、日活)時代の監督諸氏の評価こそ見直す時期に来ている。現在の日本映画の衰退は、一本の映画を作るために多くのスタッフの結集が必要であり、何よりも資本の調達が大前提となる。この際、いわゆる巨匠監督、小津安二郎溝口健二黒澤明諸氏等は除外している。

 

松竹でいえば清水宏渋谷実木下恵介豊田四郎ほか、大映は、三隅研次森一生増村保造ほか、東宝は、成瀬己喜男・市川崑ほか、日活は川島雄三舛田利雄中平康蔵原惟繕井上梅次ほか、東映では、マキノ雅弘沢島忠山下耕作中島貞夫など、錚々たるメンバーがいる。彼らは五社に拘束されるなかでも、自己作品に特徴を持たせている。それぞれ作家論が可能な才能を発揮している。彼ら、プログラム・ピクチャー時代の作家の評価も必要だろう。成瀬己喜男、木下恵介市川崑川島雄三マキノ雅弘増村保造は、既に個人作家としての研究書が出版されている。渋谷実研究書は最近刊行された。

 

 

スタジオ・システム時代は、セット・美術・照明・道具技術などに高度な水準を持つスタッフを各社が雇用しており、常に一定水準の映画を毎週量産していたことは、あらためて強調しておく必要があるだろう。鈴木清順が日活時代にコンスタントに仕事ができた背景には、映画黄金時代にプログラム・ピクチャーの助監督・監督としての土台を築いていたことが大きい。

 

ここで取り上げた作家諸氏の名前は記憶されるべき作品を残している。鈴木清順のみが絶賛されることは、映画および映画史を語る場合、映画批評に偏向をもたらしはしないか。

優れた映画を撮った作家は評価されるべきだろう。

*1:日活時代の作品を新たに見た場合はその都度、ランキングの中に組み入れていることを報告しておきたい。