「映画女優の自伝」を読む

女優岡田茉莉子

 

 


小津安二郎のDVDを見直していると、小津映画サイレント期の名優岡田時彦の娘、岡田茉莉子の出演作二本、『秋日和』と『秋刀魚の味』にコメディエンス的女優として出演している。岡田茉莉子が直接小津安二郎に質問している。「四番バッターはどなたですか」と、答えは「杉村春子だ」すぐに回答があり、ではわたしはと聞くと小津さんは「君は一番バッターだよ」と返事があったそうだ。

 

 

小津安二郎映画における女優の位置づけはきわめて重い課題*1だ。東宝から松竹へ移籍した岡田茉莉子は、父岡田時彦の主演作品を監督した小津安二郎監督の『秋日和』に出演する。小津の遺作『秋刀魚の味』にも、佐田啓二の妻役として出演し、小津作品は二本に出演した。いずれの作品もコメディエンヌ的存在として父親の演じたキャラクターと共通する点があった。

ここまでは、小津安二郎との関係で岡田茉莉子に関心を持ち、100本記念として自らプロデュースし、監督に吉田喜重を希望し、吉田喜重が脚本も担当できるのであればという条件のもとで撮られた『秋津温泉』を見る必然に突き当たったからだ。

 

 

岡田茉莉子著『女優 岡田茉莉子』(文藝春秋,2009)を書棚から引き出して、あらためて読み直してみる。といっても購入時点では、すぐに読むことをおそらくは前提としていなかった。しかしながら、小津安二郎吉田喜重の、例の松竹監督会・宴会からの因縁を踏まえると、吉田喜重著『小津安二郎の反映画』(岩波書店,1998)が小津解読の大きな鍵となる。しかし今はそこまで踏み込むことは控える。

 

 

更に、四方田犬彦編著『吉田喜重の全体像』(作品社,2004)をも必然的に呼び起こすこととなる。この本の表紙には、『煉獄エロイカ』から岡田茉莉子の画像が掲げられているのは、吉田喜重にとっての岡田茉莉子の存在の大きさを示すものだろう。

 

 

小津安二郎の作品をサイレントから一本づつ見直していた作業が根底にある。従って、小津安二郎に関する覚書を作成するのが本来の目的であり、それは次回以降にまわさざるを得なくなった。それほど『秋津温泉』という作品の強度がわたくしを惹きつけたからにほかならない。

 

さて、今回の本題は、岡田茉莉子著『女優 岡田茉莉子』である。女優になるべく生まれたような女優だが、女優になるまでは、母子家庭であり、実に過酷は環境だった。父親は戦前の大スター岡田時彦。この事実を知るまでの過程に泣かされる。高校2年のとき疎開先の新潟の映画館で溝口健二サイレント映画『瀧の白糸』を見る。帰宅して母に話すと、

「あなたの見た映画は、お父さんの映画ースクリーンに写っていたのは、あなたのお父さん」

と初めて岡田茉莉子の父親の存在が知らされる。岡田時彦は既に結婚していたが、宝塚歌劇スター田鶴園子と不倫愛で出来た子どもが、高橋鞠子(本名)だった。鞠子一歳のとき父時彦が急死した。これらの事実を初めて鞠子は知らされる。その宿命がやがて、東京に戻り東宝の女優となるのだった。

 

 

本書の細部は、出演した映画や舞台劇の梗概を記述しており、いってみれば著者・岡田茉莉子の映画愛に満ちた日本の映画史的な資料的価値が十分ある。

 

東宝の大部屋から女優岡田茉莉子としてスタートする。岡田茉莉子映画出演第一作は成瀬己喜男監督『舞姫』(1951)だった。
以後、東宝に所属していたけれど、1957年にフリーとなるが、その年の9月に松竹と専属契約をかわす。そして、父岡田時彦が親しくしていた小津安二郎監督の『秋日和』(1960)に出演を果たす。
いよいよ、1962年「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として自らプロデュースした主演映画『秋津温泉』の監督に吉田喜重を希望することになる。

 

 

以後、監督吉田喜重、女優岡田茉莉子としての作品、『水で書かれた物語』(1965)、『女のみづうみ』(1966)『情炎』(1967)『炎と女』(1967)、『樹氷のよろめき』(1968)、『さらば夏の光』(1968)、『エロス+虐殺』(1970)『煉獄エロイカ』(1970)、『告白的女優論』(1971)、『鏡の女たち』(2003)と『秋津温泉』を併せて、計11本の映画にかかわることになる。二人は1964年に結婚し、現在に至っている。

岡田茉莉子は、『舞姫』から『鏡の女たち』に至るまでの映画の内容を紹介しながら、女優ならではの映画史にもなっている自伝を書いたと言えるだろう。一方で、多くの舞台に出演し多忙な中、吉田監督はフランスでオペラ『マダム・バタフライ』の演出に5年ほど係わり、また映画を離れていた間は、TVで「美の美」という芸術に係わるドキュメンタリーを撮影している。

『女優岡田茉莉子』は、自身の自伝であるのみならず、夫吉田喜重とのあゆみをも綴り、日本映画界の監督や俳優にも多く言及していて*2、実に興味深い映画愛自伝になっている。

更に重要なこと、すなわち撮影所システムの崩壊に立ち会うことにもなる。もちろん、その予兆を感じつつ直前に岡田茉莉子は、夫吉田喜重が独立プロを立ち上げて松竹から独立した。映画製作にとって撮影所システムが如何に重要であったかの証明もされている。<撮影所システム>とは、原則会社側が、監督・俳優・撮影・美術・照明・道具その他すべてを抱えて、映画を製作するシステムのことであった。


岸惠子自伝


あの「君の名は」で一世を風靡した岸惠子の疾風怒濤・波乱万丈の半生を自らの手により上梓した『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店,2021)は、圧倒的な筆致で読む者を引き込む、稀有な自伝になっている。

 

 

映画女優としても、帰国しては、主に市川崑監督作品に出演している。『おとうと』が渡仏後に撮った作品だったとは、時間軸を、著者自身の「自伝」と巻末「岸惠子略履歴書年譜」を参照しながら読む。映画女優のほか、国際ジャーナリストとして活躍し、エッセイを書き、「小説」を書き、作家になり、日経新聞に「私の履歴書」を掲載したことが契機となり、総合的な自叙伝として刊行されたのが本書である。女性としての生き方を示す指針ともなり得る、優れた作品になっている。語り口の良さ、素直で読みやすい文章から、岸惠子の全体像が浮かび上がってくる。優れた自伝とは、生き方が見事に反映されている。それは『女優岡田茉莉子』も同様である。

 

 

岸惠子も、小津作品に一本だけ出演している。『早春』(1956)では、淡島千景を妻に持つ池部良と不倫関係になるOLを演じている。自分の考えをしっかり持ち、男に対して堂々と自己主張できる女性を演じている。『東京暮色』(1957)では、笠智衆の娘で原節子の妹有馬稲子の役は、岸惠子を想定して脚本が書かれていたそうだ。

 

 

 

 

 

 



*1:小津安二郎作品の女優といえば、原節子三宅邦子杉村春子田中絹代有馬稲子淡島千景司葉子岡田茉莉子岩下志麻、高橋とよ、飯田蝶子、吉川満子、桑野通子、桜むつ子、一本でも印象深い若尾文子山本富士子岸惠子等々数多い

*2:例えば、三国連太郎は台詞覚えが良くない、など