『別れる理由』が気になって
本書は、坪内祐三が『群像』に延べ2年間連載した評論であるともに、対象となった小島信夫『別れる理由』は、12年あまり同じ『群像』に連載された異常に長い小説でもある。
『『別れる理由』が気になって』は、本格的な小島信夫論であり、異様に長い『別れる理由』をまともに論じた最初の評論で、1970年〜1980年代の文学論にもなっており、刮目に値する書物だ。
- 作者: 坪内祐三
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/03/26
- メディア: 単行本
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小島信夫『別れる理由』全三巻(468p +465p +477p =合計1,410頁)は、原稿用紙にして約四千枚になる。現在、『別れる理由』は絶版であり、私もネット古書店で入手して読んだのが一昨年のことであった。実際、この全三巻の大著を一気に読み通すことは困難だった。とりあえず、一巻づつ、時間をかけて読み続けること。継続することしかなかった。
小島信夫の小説では、妻は他者であり、息子も他者であり、娘も他者であり、時には自分自身も他者である。その他者同士の集まりの中で何らかの折り合いをつけて行く場所が家族である。(p.32)
坪内祐三は、『別れる理由』の流れに沿って、その前身である『抱擁家族』と『ハッピネス』をも踏まえながら、丁寧に読み解く。
『別れる理由』は、大きく三つの部分で構成されている。最初は、『抱擁家族』の続編として普通の小説言語で物語が進む、次の部分では、主人公・前田永造の「夢のような」世界が、ギリシア古典劇になり、やがて馬に変身する。最後は、前田永造、作者の「小島信夫」、実在の文学者・藤枝静男や柄谷行人や『月山』の作者が登場するメタ小説で終わる。
『群像』連載開始が、1968年10月、連載終了が1981年3月であり、坪内祐三の年齢でいえば10歳から始まり、連載が終わる時は22歳の大学生になっていた。
『一九七ニ』の作者である坪内祐三は、例によって自身の時代感覚を検証しながら、同時代の文献を早稲田大学図書館の書庫で確認するという実に細部にこだわった作品論として試みている。
江藤淳が、小島信夫の『抱擁家族』を評価したのは周知のとおり『成熟と喪失』であり、『別れる理由』に触れたのが『自由と禁忌』であるが、江藤の読みに疑問を示しながら、『別れる理由』の同時代性と現在まで持続している「小説」であることを、証明して行く。
そして、「悲しいだけ」という作品に対する問題意識(批評性)を共有するこの三人、藤枝静男と柄谷行人と前田永造、いや、『別れる理由』の作者を加えて四人、さらにまた小島信夫を加えて五人は、それぞれの意識や言葉が渾然となりながら(渾然一体ではないことに注意)、『マルクスその可能性の中心』を「中心」に、パーティーでの会話のやり取りを重ねて行く。(p.272)
長い長い『別れる理由』は、メタ小説のまま『月山』の作者・森敦との会話で唐突に終わる。
『別れる理由』と『意味の変容』は、いわば同時進行中の作品という点で共通していた。(p.311)
私が小島信夫に関心を抱いたのは、朝日の書評に掲載された高橋源一郎の書評『各務原・名古屋・国立』であった。さらに、同年(2002)岩波新書で発行された『一億三千万人のための小説教室』の「ブックガイド」に、
小島信夫「漱石を読むー日本文学の未来」「私の作家遍歴」
ほんとうは全作品と書きたいところですが、なにしろ、どれも長いので、この二つの評論だけ選びました(これもまた、たいへん長いのですが)。小島信夫の場合、小説も評論も同じ文章です。
(中略)
小島信夫は、小説に、甘い考えを抱かないのです。勉強すべし。(p.140−141)
と紹介されていたことに始まる。ここから、絶版の『別れる理由』や『私の作家遍歴』『美濃』『静温な日々』などを読み、小島信夫の懐の深さというか老獪さを知ることとなった。
そして、坪内祐三の本書に至ったわけであり、坪内氏にとって1979年は文学にとってターニングポントだったという。
一九七九年に文章表現の世界で一つの大きなパラダイム・チェンジが起きたこと。
(中略)
私は村上春樹の「風の歌を聴け」に出会ったのだ。
(中略)
私はようやく自分たちの言葉を見つけたと思った。
(「一九七九年のバニシング・ポイント」『後ろ向きで前へ進む』p.64、65)
すなわち、この年に村上春樹が『風の歌を聴け』で群像新人賞を受賞し、当時の坪内祐三に時代が変わったという意識を持たせたのだった。実際、村上春樹の登場が、日本文学史を大きく変容させた。新しい文体。
- 作者: 小島信夫
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一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))
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- 作者: 坪内祐三
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●追記1
小島信夫『別れる理由』を読了しなくとも、坪内祐三『『別れる理由』が気になって』を読むことで、多くの引用や解説から、ほぼ『別れる理由』の内容が分かるように書かれている。しかしできれば、講談社文芸文庫で『別れる理由』を復刊していただきたい。
●追記2
坪内祐三の言う「1979年のバニシング・ポイント」から補完すれば、坪内氏が言及しているように、柄谷行人『反文学論』(冬樹社)、『意味という病』(河出書房新社)、そして、蓮實重彦『表層批評宣言』(筑摩書房)がいずれも、1979年の出版であり、いわゆるポスト・モダンの時代に入った年だった。
坪内氏は指摘していないけれど、映画批評の上でも、蓮實重彦『映画の神話学』(泰流社)、『映像の詩学』(筑摩書房)が発行されたのが、1979年であったことは記憶に値することだろう。良きにつけ悪きにつけポスト・モダン=停滞の時代に入った記念すべき年だったことを、補記しておきたい。
- 作者: 柄谷行人
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- 作者: 蓮實重彦
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