華氏911



マイケル・ムーア監督、話題の『華氏911』(2004)を観てきた。ムーアがこの作品の製作を思い立ったのは、9・11の6週間後にブッシュが、ビンラディン一家の自家用機をアメリカから離陸させていたことだった。『10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス』の中で、マイク・リーが、ブッシュとゴアの大統領選挙のでたらめさを指摘していたが、フロリダ州の集計の結果を、連邦最高裁の決定により、疑問を残したまま、再集計もされずブッシュが当選したことが、そもそも、アメリ国民の選択の誤りであったことが、まず明快に示される。


9・11の報告を小学校の教室で聴いたときのブッシュの呆然とした表情が、この国の将来を決めてしまっていた。テロ殲滅の美名のもと、アフガニスタンへの侵攻。名目的には、オサマ・ビンラディン逮捕で開始した戦争までは、表面上の理屈は通っていた。しかし、「大量破壊兵器の脅威」を名目とする「イラク戦争」には、何の大義名分もない。大量破壊兵器は、イラクで発見されていない。フセインは逮捕されたが、一体、国際法的にどのような罪になるのか。また、オサマ・ビンラディンはいまだ、行方も分からない。なぜ、アメリカ国民が、ブッシュの戦争を支持したのか理解に苦しむところだ。ブッシュこそ、戦争犯罪人にほかならない。


まあ、こういった疑問に対して、得意の突撃取材で、ブッシュ親子とアラブの石油利権をめぐる疑惑について、ここまで徹底的に暴露されると、戦争がいったい誰のために行われているのかが、誰でもわかる。軍需産業とアラブの石油の利害に関係する企業が儲かるだけであり、アメリカ国民すべてが、戦争による恩恵を受けることはない。


カンヌでタランティーノが、パルムドール授与の理由として、「政治は受賞に何の関係もない。単に映画として面白かった」という評価は、たしかに正鵠を得ている。TVドラマや古い映画のパロディ風の編集には、笑ってしまうし、要は、ドキュメンタリーの編集の見事さであり、舌を巻く巧さである。


それにしても、後半部分でイラク戦線に参加した兵士たちの精神的・肉体的被害は、当事者やその家族でなければ、本当のところは分からない。アメリカはベトナム戦争の敗北で、戦争の無意味さを理解したはずだ。一人の指導者によって、この国が、ここまで荒廃していることは、他人事ではない。日本の自衛隊イラクに派兵されていることの意味も、当然、浮き彫りにされてくる。


もちろん、「自由と民主主義」の国アメリカであるからこそ、このような映画の公開も可能だったわけで、なんともアイロニカルな事態だ。次期大統領選挙に、『華氏911』が、どのように影響するのか、そのあたりも見極めたいところだ。


悪の枢軸」国への戦争の反復が、ブッシュを再選させるシナリオだとすれば、大統領選挙前に仕掛ける次なるターゲットはどこか。まさかとは思うが、モフセン・マフバルバフやアッバス・キアロスタミが住む国が、候補として浮上するかもしれない。「帝国」としてのアメリカの行方は?
「民主主義」と「帝国」が共存できる唯一の国家を、世界が注目している。


私見によれば、『華氏911』は非政治的映画だ。プロパガンダ映画ではなく、暴露的なパロディフィルムなのだ。あくまでムーアの眼が選択したドキュメンタリー・フィルムとして観ること。結果として政治的な力学を持つことは確かとしても。主役はブッシュではなく、ムーア自身である。だからこそ、マイケル・ムーアの視線をタランティーノが評価したのだ。