映画365本


宮崎哲弥『映画365本』(朝日選書、2009)が刊行された。宮崎氏は、かつて同じシリーズで『新書365冊』を上梓している。新書本についての言説は明解そのものであった。しかしながら、宮崎氏は『映画365本』の「はじめに」のなかで、「本書は所謂シネフィル(映画愛好者、映画通)のためのもの」ではない、と冒頭で牽制している。内容は「政治」「メディア」「法と秩序」「文化と歴史」「生と死」「宗教と思想」「倫理と社会」「特別篇オールタイムベスト50」にとして構成されている。


映画365本 DVDで世界を読む (朝日新書)

映画365本 DVDで世界を読む (朝日新書)


一本の映画について、「蘊蓄力UPポイント」「教養力ポイント」の二つの側面から言及し、更に「導きの星」という評価軸のもと、「人生星」「思考星」「社会星」「仕事星」「恋愛星」「家庭星」の六項目において点数化されている。宮崎氏はこれらの映画をすべてDVDで観ている。



新書365冊 (朝日新書)

新書365冊 (朝日新書)


宮崎氏の蘊蓄や教養力についての言説は、監督や俳優の履歴や他の作品を援用しながら縷々述べているが、それらは映画データベースを観れば、それなりに分かるような内容である。本書の特徴は、構成の妙というか、映画の取りまとめ方に宮崎色が出ている。換言すれば、宮崎氏の政治思想・宗教・社会制度的側面からの、知見が披瀝されるのに都合のいい作品を選択しているということだ。基本的にハリウッド映画しかとりあげていないので、世界状況の方向性を見据えるという点では不満が残る。365本と謳いながら、映画そのものに触れているのは50本で、羊頭狗肉といわざるを得ない。




傾聴すべき見解や知見が数多くみられることや、映画の裏面、予想外の見方に教わるところもあるが、敢えて『新書365冊』のような網羅性を示すかのようなタイトルを付す必要があったのかどうか。内容的には、『アメリカ映画についてのささやかな私見』あたりが妥当だろう。シネフィル云々の次元ではなくとも、例えば、ダニー・ボイル監督『サンシャイン2057』(2007)に触れるとき、蘊蓄力ではせっかく『麦の穂をゆらす風』(2006)をとりあげながら、監督のケン・ローチの名前さえ出さない。戦争映画、民族問題に関する重要な映画であるにもかかわらず、だ。また、ダニー・ボイルの活躍に言及するところで、2008年アカデミー賞スラムドッグ$ミリオネア』も出てこない。ショーン・ペンが『ミルク(2008)で主演男優賞を受賞しただの、『愛を読むひと』(2008)でケイト・ウインスレットが主演女優賞を受賞したことはしっかり言及されているのに。



スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]



映画は時代や世界を写す鏡であることに間違いはない。そしてハリウッド映画が典型的にアメリカ社会を、象徴しているのも事実だ。宮崎哲弥は映画を観すぎているのではなく、とりあげる映画の範囲が狭いのだ。そこを前提にするなら、限定された世界に対する知見が、それなりに普遍性を帯びていることに同意するだろうし、鋭い見方も評価できよう。


父親たちの星条旗 [DVD]

父親たちの星条旗 [DVD]


しかし映画紹介本としてみると、もの足りないし、設定されるテーマに関して肝心な作品が抜けていると言わざるを得ない。以下一例をあげてみる。たとえば「政治」の項では、戦争映画としてイーストウッドの『父親たちの星条旗』(2006)やスピルバーグミュンヘン』(2006)が抜けている。


チャーリーとチョコレート工場 [DVD]

チャーリーとチョコレート工場 [DVD]


「メディア」では『アンカーウーマン』(1996)、「法と秩序」の場合は、ケン・ローチアメリカにおける違法移民を取り上げた『ブレッド&ローズ』(1999)がある。「文化と歴史」では、『太陽の帝国』(1987)をとりあげるべきだろうし、「生と死」ではジョニー・デップ主演『チャーリーとチョコレート工場』(2005)を、そして「宗教と思想」では『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』や『コンスタンティン』(2005)など肝心な作品が欠落している。


ブレッド&ローズ [DVD]

ブレッド&ローズ [DVD]


アメリカ映画としては遺漏が多く、ましてヨーロッパ映画、アジア映画などアメリカ以外の国の制作による映画を対象にせずに、<356本>とタイトル化するのは自信過剰にほかならない。


ゼア・ウィル・ビー・ブラッド [DVD]

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド [DVD]


宮崎氏は、今後期待し得る貴重な評論家ゆえ、辛口のコメントになってしまったが、期待度が大きいからこそ、とりあげたことを了解いただきたい。それにしても、「映画と本」は評論家にとってセットになっていることは嬉しいことだ。



映画史への招待

映画史への招待



最後に、映画について<シネフィル>としてではなく、アーカイヴ的保存の点からいえば、これまで世界で公開された全てのフィルムを保存しなければならない。これが書物の場合であれば、出版された「もの」として残る。ところが、こと映画に関しては、保存しなければならないというアーカイヴ的発想はごく最近のものである。保存することは絶対必要*1なことで、更に観るという立場から言えば、肝心のフィルムがDVD化されていないケースがきわめて多い。未ソフト化作品が如何に多いか、それは書物と較べれば明らかだろう。



濃縮四方田―The Greatest Hits of Yomota Inuhiko

濃縮四方田―The Greatest Hits of Yomota Inuhiko

*1:特に、紀伊国屋レーベルの「クリティカル・エディデョン」シリーズのサイレントフィルムは、厳密なテキスト・クリティクを経ていることは周知のとおりで、再現・保存という点でこの姿勢は評価に値することは強調しておいていいだろう。