1Q84


村上春樹の新作『1Q84』(新潮社、2009)が、出版界に「村上特需」をもたらしているようだ。発売開始以来の増刷で、120万部の売上は出版界にとって、まさしく「特需」になっていると報道されている。不況の出版界にあって、村上春樹の存在は大きい。


1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1


6月23日(火)の『朝日新聞(大阪版)』に、「『1Q84』を読み解く」と題して、赤坂真理亀山郁夫森達也の三氏の書評が掲載された。とりわけ、亀山氏によるプラトンの「想起」からしか発想できない善悪の境界が壊れた世界での「幸福の絶対性」希求は、説得力があった。また、森達也氏による『1984』のビッグブラザーならぬ「リトル・ピープル」が、民意や世相としてこの国の形を決めているという指摘。森氏によれば、「続篇はありえない。」という。

さて、村上春樹の意図は如何。


1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2


村上特需で、中央公論版『チェホフ全集13巻』から、『サハリン島』のみを抽出して出版されるようだ。『1Q84』の第20章「天吾、気の毒なギリヤーク人」に、チェ-ホフの紀行記録『サハリン島』のなかのギリヤーク人について記述されている箇所が、数か所引用されている。チェ-ホフがシベリア旅行に出発した理由として、村上春樹は次のように述べている。

自分が都会に住む花形作家であるという事実に、チェーホフは居心地の悪さを感じていた。モスクワの文壇の雰囲気にうんざりしていたし、何かというと脚を引っ張り合う、気取った文学仲間にも馴染めなかった。底意地の悪い批評家たちには嫌悪感しか覚えなかった。サハリン旅行はそのような文学的な垢を洗い流すための、一種の巡礼的な行為だったのかもしれない。そしてサハリン島は、多くの意味で彼を圧倒した。だからこそチェーホフは、サハリン旅行を題材にとった文学作品を、ひとつとして書かなかったんじゃないかな。(p462「BOOK1])


雨天炎天

雨天炎天


まさしく、村上春樹自身の体験と重ね合わせることができる。『雨天炎天』において、ギリシアのアトス半島の修道院への巡礼の旅を、禁欲的に実行した村上氏の行動が想起される。

「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人物である」と言ったのはたしかチェーホフだ。なかなかの名言だ。(p472「BOOK1」)

チェーホフの上記のことばを引用する村上氏は、まさに『1Q84』が問題解決の小説を目指すものではなく、問題提起の作品であることを宣言している、といってもいいだろう。つまり換言すれば続編はない、ということ。


サハリン島 (上巻) (岩波文庫)

サハリン島 (上巻) (岩波文庫)


1Q84』は問題解決ではなく問題提起の小説なのだ。さてしかし、

ブランド・スーツを身にまとったキャリアウーマン風の女性がタクシーに乗り、首都高速を走る。車内には、ヤナーチェックシンフォニエッタ』の演奏が流れる。女性の名前は「青豆」。高速道路の非常口階段を颯爽と降りて行く。ハードボイルドな出だしに思わず引き込まれる。並行して、受験予備校の数学講師の天吾は、平凡な毎日を送っているが、新人賞の選考原稿を読むと17歳の少女が書いた『空気さなぎ』という魅力ある作品に出会う。編集者小松の薦めで原稿に加筆することになる。


海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)


 いつもように、二つの世界が並行して描かれる村上春樹の最新刊『1Q84』2冊は、事前に内容の予告がなく、『海辺のカフカ』から7年、待ちに待った長編作だった。期待にたがわず、先をせかせるような巧みな構成と、意表をつく展開。誰もが「傑作」と呼ぶであろう作品への期待感は、2冊目の半ばまで持続した。見事な比喩や、音楽に関する造詣の深さや、先行する文学作品へのオマージュ。

しかしながら、終末に近づくにつれて、これでいいのだろうか、という率直な疑問に捉われる。「青豆」と「天吾」は出会うこともなく、終末を迎えていいのだろうか。どうしても続編を期待させる。「さきがけ」関係のひとたちは、どうなったの?「青豆」に、依頼していた「正義の老婦人」とその用心棒タマルは?「ふかえり」はどこへ?などいくつもの疑問が放置される。続篇なしでは、不可解のままとなってしまう。


ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)


「BOOK1」「BOOK2」を読むかぎり完結していない、ように思える。『ねじまき鳥クロニクル』第3部のように、「BOOK3<10月ー12月>」の刊行に期待したくなる内容だった。


ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)


とはいうものの、チェーホフの引用から、本書は「問題提起」の小説と解釈する方が、著者の意図するところに合致するのではないか。完結する必要のない物語であることを、ギリヤーク人の挿話を通して村上氏自身が語っているのだ。