蟻の兵隊


木下順二氏がいうところの「未清算の過去」を映画化したのが、『蟻の兵隊』であろう。

映画『蟻の兵隊』は、金谷薫監督が「日本軍山西省残留問題」を、生き残った奥村和一氏に寄り添うようにキャメラでドキュメントした傑作である。戦争を映画に撮ることはきわめて難しい。撮る側の姿勢が問われるからだ。同時に、観る側の姿勢もまた問われる。


初年兵として、中国人の殺害を命じられた若き奥村氏は、その過酷な経験によってはじめて日本陸軍の軍人になったと「軍人勅諭」に拘束されていた、軍隊の中の自己を反省しながら語る。終戦の日がすぎて、なお軍の命令で中国に残留し、中国共産党と戦うことが日本軍の使命であると信じ、かろうじて日本に生還する。すると、もはや軍属を解除されていた。日本軍の命令もなく、勝手に中国に残留したことになっていたのだ。


私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 (岩波ジュニア新書 (537))

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奥村和一氏たちが「西省残留問題」の史実を明らかにし、犠牲者に対する国家賠償、後援措置の実現を裁判で目指しているが、政府側は「軍命がなかった」として、訴訟は困難をきわめている。


映画『蟻の兵隊』の圧巻は、中国人女性・劉面煥さんの痛切きわまりない告白にあると思う。日本軍は、中国で何をしたか、老いた劉面煥さんが語る内容の前に、観る者は沈黙を強いられる。このシーンがあるからこそ、「未清算の過去」の映画化になっているといえる。


ゆきゆきて、神軍 [DVD]

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この映画の手法は、原一男ゆきゆきて神軍』を連想させる。また、クロード・ランズマンの長編ドキュメンタリー映画ショアー』を。これらは、「未清算の過去」を清算する映画といえるだろう。


ショア [DVD]

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クロード・ランズマン『SHOAH』(作品社,1995)*1について、テクストの翻訳者・高橋武智氏は、次のように「あとがき」に記している。

ホロコーストの一エピソードを扱ったスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993年)は大きな評判となったが、方法的に『ショアー』と対極にあるだけでなく、ランズマンの言葉を借りれば、ホロコーストの<神話化><伝説化>に寄与し、したがって、歴史修正主義者につけいられる可能性をはらむ作品であった。この映画の興行が成功したことは、『ショアー』の公開を近づけるよりは、むしろ遠ざける効果をもたらしたかもしれない。(p.472−473『SHOAH』)


戦争を映画化するとき、フィクションとして撮るか、あるいはドキュメンタリーとして「事実」を究明することを目指すか方法は別れるが、いずれが優れているかの判断は、きわめて難しいと言わざるを得ない。


いま、前提として考えているのは、クリント・イーストウッド硫黄島二部作のことである。私は、イーストウッドの試みは、フィクションとして成功したと評価する。少なくとも『硫黄島からの手紙』は、初めて硫黄島の戦闘を正面から正攻法で描いたフィルムであると。もちろん、ドキュメンタリーではないから、イーストウッドの意図は、「未清算の過去」として捉えていない。なぜなら、この二部作は、アメリカ映画であり、何よりもアメリカ国民に向けて撮られた作品だからである。


硫黄島の戦闘の前には、アッツ島玉砕があった。大本営の責任者は、栗林中将に「アッツ島玉砕」の再現を期待していた節がある。しかしながら、硫黄島での日本軍は玉砕とは正反対の方法で戦った。いわば、死を覚悟した徹底抗戦である。硫黄島は玉砕ではなかった。その戦いをアメリカ人監督が撮ったのだ。日本人が撮るべき「喪の作業」を、イーストウッドは一定の距離感覚で捉えたからこそ、優れて映画的な磁場を形成したといえるだろう。


硫黄島からの手紙』が、<神話化>や<伝説化>に寄与するかどうかは分からない。ただ、日本人が忘却していた「硫黄島の戦い」を想い出させた功績は、評価に値するだろう。


では、日本人による「未清算の過去」の清算を誰が行うのか。それは、金谷薫やクロード・ランズマンの手法によらなければならないのか。そこが問題なのだ。硫黄島戦の生き残りの秋草鶴次『十七歳の硫黄島』(文春新書,2006)がある。


十七歳の硫黄島 (文春新書)

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硫黄島の戦いは「玉砕」の一語で語れないことを知らされる。栗林中将の死後も、3ヶ月生き延びて地獄のような体験をした人たちがいた。秋草氏の手記は、映画では描かれなかった、さらに過酷な体験があったことが知らされる。硫黄島で死んだ人たちを「玉砕」の一語で片付けるわけには行かない。秋草氏はいう。

「どんな意味があったか、それは難しい。でもあの戦争からこちら六十年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、と言ってやりたい」(p.259)

死者への鎮魂の想いが伝わってくる。更に、「謝辞」で、次のように述べる。

死を覚悟して敵前に身をさらし、爆弾や鉄砲弾による直撃弾などで戦死する者の多くは「天皇陛下万歳!」と一声をあげて果てた。重傷を負った後、自決、あるいは他決で死んでいく者は「おっかさん」と絶叫した。負傷や病で苦しみ抜いて死んだ者からは「バカヤロー!」という叫び声をよく聞いた。「こんな戦争、だれが始めた」と怒鳴る者もいた。/豪内では、たいがい「おっかさん」と「バカヤロー!」であった。地下壕の中での生活は、人間界の極限に挑戦しており、いかなる文字を並べてもその実情に迫ることは不可能である。生還者の手記をすべて合わせても描写しきれないだろう。ただ精霊安からんことを祈念しつつ執筆した。(p.260)


「地下壕の中での生活は、人間界の極限に挑戦しており、いかなる文字を並べてもその実情に迫ることは不可能である。生還者の手記をすべて合わせても描写しきれないだろう。」と秋草氏が書いていることは、まさしく、硫黄島の戦いの総てを描くことは、文字にせよ映画にせよ、不可能であることを物語る。


私見によれば、硫黄島の完全な再現は不可能に近い。とすればイーストウッドが『硫黄島からの手紙』においてなしえたことは決して「<神話化>や<伝説化>に寄与する」ものではない。イーストウッドは、「散華の精神」や「玉砕」を美化してはいない。むしろ、アメリカのイラク戦争への批判がその根底にあったと推測する。保守派で共和党支持者であるイーストウッドが、『硫黄島』を撮ることで、アメリカによる一方的なイラク戦争を告発したのだ。映画『硫黄島からの手紙』は、アイルランドアメリカ人によるアメリカ国民に向けた映画である。とすれば、硫黄島の死者への鎮魂は、日本人の手によってなされなければならない。それはもはや、映画に対する批評とは別次元の問題である。

まさに、木下氏のいう「未清算の過去」の清算問題である、と思う。