松岡正剛の千夜千冊
2000年2月23日、中谷宇吉郎『雪』で始まった、松岡正剛氏の1000冊読破記録は、2004年7月7日『良寛全集』で無事終了した。この間の集中力には敬意を表するとともに、対象分野の広さに圧倒される。
松岡正剛氏は、工作舎時代からその名前を知り、数冊氏の著書を読んでいるが、思想家とか、批評家の枠組みに収まらない幅の広さがある。では、松岡正剛とは何者なのかといえば、答えるのには非常に難しい存在で、今回の千冊も、むろん、単なる博識者と規定すると、そこからズレてしまう。
松岡氏が取り上げている本について、私が読んだ本をどのように解釈しているかが、判断基準となる。千冊は、著者にとって、必ずしも最適と判断しうる書物とは限らないようだ。
いわゆる代表作を取り上げている場合を除くと、吉本隆明は数多い著作の中から『芸術的抵抗と挫折』を、丸山眞男は『忠誠と叛逆』を、大岡昇平は『野火』を、磯田光一は『鹿鳴館の系譜』を、ブコウスキーは『町でいちばんの美女』を、四方田犬彦は『月島物語』を、江藤淳は『犬と私』を、花田清輝は『もう一つの修羅』を、江國香織は『落下する夕方』を、鴎外は『阿部一族』を、それぞれ取り上げているけれど、これらの選択は、他の本もあり得るわけで、首をひねらざるを得ない選択になっている。
たとえば、吉本隆明は『マチウ書試論』、丸山眞男は『日本政治思想史研究』あるいは『現代政治の思想と行動』、花田清輝は『復興期の精神』、ブコウスキーは『詩人と女たち』ではないのか。
一方、埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』や、漱石『草枕』、小林秀雄『本居宣長』など、首肯できるものが多いことも確かだ。
なぜ現代を代表する作家、古井由吉 、村上春樹、村上龍 などがないのか。また、女性作家が極端に少ないのも問題。さらに、柄谷行人があるのに、蓮實重彦がない。哲学でいえば、カントやヘーゲルがないのはなぜか。 疑問が次々とわいてくる。
そもそも、松岡正剛における思想の根拠がどこにあるのかが、よくわからないのだ。個人的な思い入れで千冊を選ぶことは、だれでも可能だろう。『千夜千冊』が一冊の本として刊行されたとき、その偏向ぶりが見えてくるのではないだろうか。百科全書派の博学者が、博識を披瀝することのみで終わることのないように祈りたい。
■松岡正剛の著書
- 作者: 松岡正剛
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- 作者: 松岡正剛
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