近代文化史入門


『超人 高山宏のつくりかた』に続いて、高山宏著『近代文化史入門-超英文学講義』を読む。


近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)


高山宏『近代文化史入門-超英文学講義』(講談社学術文庫、2007.7)は、『殺す・集める・読む-推理小説特殊講義』(創元社ライブラリー、2002.1)とともに、18世紀〜19世紀に至る文化的諸相にマニエリスム的要素を探求し、様々な角度から文化・文学・美学を読み解く刺激的な書物になっている。


殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)

殺す・集める・読む―推理小説特殊講義 (創元ライブラリ)


シェイクスピアから、シャーロック・ホームズルイス・キャロルまで、多角的に言及されるが、私自身の関心の趣くまま読む。


とりわけ面白いには、現在のコンピュータによるデータベース構成の発想は、19世紀末には電気がないだけで思考法そのものは、すでにカード形式で表現されていたことだ。情報化社会とか、ネット社会との発想そのものは、決して新しいものではない。推理小説がメタ小説であるという慧眼には恐れ入る。


『近代文化史入門-超英文学講義』とは、高山氏による自身の英文学への決別のための語りおろしであることが、「学魔口上」で明かされる。まず、冒頭の文庫化されるにあたっての「まえがき」から引用する。

今まで何の関係がと思われていたふたつのものがひとつであることがわかる時の、脳の中に生じる変化を、ぼく自身、今や大袈裟ではなく、生きていることの究極の快と思う。それこそが、「魔術」と呼ばれ、「マニエリスム」と呼ばれてきたものの真諦(しんたい)であるとすれば、ぼく自身、この本でいわば魔術し、マニエリスムしている道理にもなり、現にその通りなのである。/美食や男女性愛にしか快を見ない気風やお国柄の中で、知識や学問に快を感じ、思いきり楽しむ感性がもっともっと広まって欲しいという一心で旧著はつくった。(p.5)


高山ワールドの英文学史が、ピクチャレスクな図版とともにわれわれの前に現前するマニエリスム。巻末の「ブックガイト」が知的刺激に満ち満ちている。


『殺す・集める・読む-推理小説特殊講義』冒頭のシャーロック・ホームズ論三点が、本書を補完している。とりわけ「データベースの文化史に向けて」の副題を持つ『ホームズもタロットも』が、デジタル化しつつある現在の情報の在り方を巡って興味深い。


高山宏がいうところの超人文学、脱領域的人文学の構築が21世紀の課題といえよう。表層的な情報化社会の根柢にあるものが、19世紀末の推理小説がメタレベルであったことや、データ化する必然性のあるもののみが、データベース化されていた。数量的限界(排除と選別)があった。しかし、21世紀のデータベース化はいわばあらゆるものをデータ化している。有効な索引付け(Index, 検索キーワード)が重要になってくる。

学問の細分化と、各分野を横断することの弁証法的統一。

未知の領域へ進もうとしているのか、歴史の反復形式の変容に過ぎないのか。19世紀末のデータベースは閉じられた世界であったが、21世紀のデータベースは、Webによって世界に開放されている。情報の大衆化時代とは、必ずしも「知」の大衆化時代ではないところが厄介なのだ。


情報の歴史―象形文字から人工知能まで (BOOKS IN・FORM SPECIAL)

情報の歴史―象形文字から人工知能まで (BOOKS IN・FORM SPECIAL)


とすれば、松岡正剛『情報の歴史』(NTT出版、1990)は、Web社会以前から「情報」の行方を視野に入れていたわけで、2007年現在、再度増補版の発行を期待するところ大なる先駆的書物であったことが解ってきた。


松岡正剛千夜千冊 (1)

松岡正剛千夜千冊 (1)


松岡正剛との接点は、「情報と編集」ということになるが、高山氏の「マニエリスム」に相当する核となるものが私には見えないのだ。だから『松岡正剛千夜千冊』(九龍堂、2006)の購入へのためらいがある。必要なものはweb上で読めばいい。