表象の芸術工学


書物を通じて著者に出会う。それは数多くの作家や評論家やライターなどの物書きなのだが、ある書物が、決定的な衝撃をもたらし、その著者との遭遇を一種奇蹟のように感じることは、これまでの乏しい経験から言っても、10年に一人だ。そのひとりになるかも知れないのが<高山宏>である。


超人高山宏のつくりかた (NTT出版ライブラリーレゾナント)

超人高山宏のつくりかた (NTT出版ライブラリーレゾナント)

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)


漠然とは感じていたけれど、『超人 高山宏のつくりかた』(2007)に始まり、『近代文化史入門』(2007)『殺す・集める・読む』(2002)を経て、『表象の芸術工学』(工作舎,2002)を読むことで、高山宏の存在が大きくなってきた。


表象の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)

表象の芸術工学 (神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ)


高山宏『表象の芸術工学』は、常に「ことば」で思考する習慣のある者にとって、前提そのものを、逆立ちさせるほど強烈な言説と視覚的資料によって、あたかも教室で対面しているかのような錯覚をうけてしまった。


神戸芸術工科大学での一年間の講義を、記録したものだが、意表をついて江戸研究からはじめられ、フーコー『言葉と物』のもつ「表象」と「タブロー」の解釈、世界の成り立ちがアルファベット順で引く辞書の出現によって、世界観が変容することを、NDL-OPACで検索してみると、なるほどチェインバーズ「Cyclopaedia」の1728年初版復刻版には、解説・高山宏と記載されていることで解かる。


とりわけ「イメージの饗宴」と題する60頁あまりの図版に圧倒される。視覚文化によって、関係づける手法。一種ケレン味があるが、そこが高山ワールド満開と言う印象を受ける。この講義を直接受けることの幸福を思うと、嫉妬を覚えるほどだ。図や絵画を視ることで、高山氏の意図するところがより鮮明化されるし、「ピクチャレスクと庭」「絵狂いの部屋」「観相と骨相のコスモグラム」「断面化し内を開く快感」「驚異の部屋」など、17世紀から20世紀を「表象」(図像)によって関連させて行くための素材一覧になっていて、視ていると不思議な世界に誘われる。


『表象の芸術工学』を読めば、高山宏の学問体系の輪郭がほぼ見えてくる。ダイナミックで博覧強記の異端学者。だからこそ、実に面白い。近々、青土社から『アリスに驚け』が刊行される。併わせて絶版となっていた『アリス狩り』(1981)が新装版で復刊される。さらに、東京大学出版から『新人文感覚』2冊が、この秋に刊行される予定だ。『超人 高山宏のつくりかた』には、翻訳予定が100冊あると記されていた。驚くべき「学魔」だ。当分は、眼が離せない。


エクスタシー (高山宏椀飯振舞 (1))

エクスタシー (高山宏椀飯振舞 (1))


20世紀のフランス現代思想はたしかに、言語・言葉についての思想であった。視覚的なものに注目していない。哲学とは何よりも「言語」にほかならないからだ。世界観と現実の世界の違い。カントはそれを「物自体」は認識できないとした。ウィトゲンシュタインは語りえないものについては沈黙すべきだと言った。言語を分析する哲学と、図像を関係させるマニエリスム。これらの現象が平行しかつ対立するものなのか。言語と表象(図像)を結びつけるものは何か。それは言葉以外にはないだろう。それにしても最後は「言葉・言葉・言葉」。


新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め

新編 黒に染める―本朝ピクチャレスク事始め

綺想の饗宴―アリス狩り

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